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青森~八甲田への旅①

8月13日~15日の2泊3日で青森~八甲田まで旅行へ行ってきました。今回”青森新幹線はやぶさ”なるものを初めて乗ることにしました。他の新幹線よりも心なしか広く、乗り心地も良かった気がしました。大宮から約2時間40分程で新青森駅に到着。しかし、この駅に着いてからのことを十分に調べていなかった自分は、まずトイレに行ってから新幹線乗り場の改札を出て在来線に乗ろうとしたのですが乗り遅れてしまい、次の列車まで20ッ分ほどあったのですが、それがどうやら”特急列車”だったため、仕方なく特急券を買おうと思っても、出来たばかりの駅だったせいか”特急券券売機”などホームにはなく、仕方なく改札を出て特急券を買おうとしたのですが、”青森駅”の表示が出てこず(おそらくは”パニック状態”における勘違いでしょうが)に結局は”乗車券”しか買えませんでした。また、新幹線乗り場の改札を出てしまったので、食事も結局構内にあったコンビニでおにぎり等を買ってそれを昼食としました。そして、青森駅へ着くも、どうも”旅行”となると胃腸の調子が悪くなり、結局”トイレ”に寄ったせいで今度は”三内丸山遺跡”行きのバスにも間に合わず、仕方なく観光物産館「アスパム」で時間つぶしをしました。でやっと、バスの時間になったので、バスに乗って”三内丸山遺跡”ま魔で向かったのですが、このバスは”循環バス”だったため、えらく遠回りをし、更に”お盆”という事もあって道路も混雑していたため、目的地まで1時間近くかかってしまいました(泣) で、あとから分かったことですが、どうも”三内丸山遺跡”までは”新青森駅”からの方が近かったらしく、そこからもバスは出ていたようなので、はじめから”新青森駅”の改札を出て、そこで昼食をとってバスを待つべきだった、と後悔した次第です(悔)

やっとのことでPM3:00近くに”三内丸山遺跡”へ到着、10数年前に行った時は遺跡の部分が剥き出しになっており、その敷地内に”資料室”があったのみだったのですが、現在では「三内丸山パーク・縄文時遊館」として立派なテーマパークとなっており、そこから”三内丸山遺跡”の内部へはいれるようになっており、他には”展示室”、”レストラン”、”お土産売り場”等があり、更には”美術館”まで併設されていました。

まず、”遺跡建造物”ですが、”小型竪穴式住居(一般住居?)”、”大型竪穴式住居(首長の住居?)”、”高床式倉庫”、”物見櫓(宗教的建造物?)”等が復元されていました。

三内丸山遺跡竪穴式住居群






竪穴式住居群

三内丸山遺跡竪穴式大住居






大型竪穴式住居

三内丸山遺跡高床式倉庫






高床式倉庫

三内丸山遺跡物見櫓








物見櫓

”展示室”にも、他の遺跡では発見されていない貴重な発掘物(縄文時代のポシェット、漆塗り土器”等が展示されていました。

縄文時代のポシェット






縄文ポシェット

漆塗り土器








漆塗り土器

本当はもう少しゆっくり見学したかったのですが、時間が少し遅かったのと、”バス時間”の関係上、かなりハイピッチで見学せざるを得なくなりました。この遺跡が発掘されたことによって、”縄文時代”に対する認識が根底から覆されたのは確かだと思います。針葉樹の樹皮で編みこんだ”ポシェット”がこんな時代にあったのは驚きですね。現在でも同じような”編み込み式”の”ポシェット”や”バッグ”はありますからね。

PM4:30頃にホテルに到着。早速、部屋にあるユニットバスで入浴し、その後、外出して夕食をとる場所を探しました。周辺をあちこち歩き回っていると”郷土料理”の店がありましたので、そこに入ることにしました。年配の女性店員のみの本格的な居酒屋で、”大間のマグロ刺身”、”じゃがバター”、”はたはたの生干し”、”しゃもロック串焼き”等を注文しました。”酒”の方も青森の地酒を飲んだのですが、”立佞武多”という酒は独特の風味があって美味しかったですね。”〆”になにか頼もうと思ったのですが、客も入り始めたので、店を出て、コンビニで何かを買う事にしました。そこで、何故か”カップラーメン(白河ラーメン)”に目が留まり、それを買って、ホテルで食べたのですが、正直あまりお腹が満たされませんでした。

しかし、そもそも胃の調子があまり良くなかった僕は、「多少空腹気味の方がいいだろう。」と思って、そのまま寝たのですが、夜中、急にお腹が痛くなってトイレに直行すると、激しい”水下痢”に見舞われてしまいました(汗) 今年の正月、諏訪へ行った時も同じことがあったのですが、今回は”食べ過ぎ”ではなく”空腹”だったのがまずかったようですね。

翌日、まだお腹の調子は悪かったのですが、”食欲”はあったので、少し多めに食べて、薬を飲んでから、次の目的地である八甲田へ向かいました。 [青森~八甲田への旅①]の続きを読む
  1. 2013/08/16(金) 10:28:04|
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掛川~浜松への旅(その2)

4日、朝食を済ませた後、身支度をしてからAM8:30頃にホテルをチェックアウトし、駅で再びお土産を買った後、”天竜浜名湖鉄道”に乗って二俣本町へ向かいました。二俣本町駅を下車し二俣城跡へ向かいました。

二俣城跡






二俣城天守跡

二俣城跡は現在は”本丸跡”、”北の曲輪跡”、”二の丸曲輪跡”、”屋敷跡”等が残っており、本丸付近まで道路が通っていたため行くのは簡単でしたが、何か味気ない感じはしました。本丸には”天守台”があり、そこからの眺め中々でした。

二俣城天守台から見た天竜川






天守台から見た天竜川

本丸を出た後、隣にある”北曲輪跡”へ行きました。こちらは今、”旭ヶ丘神社”となっております。

二俣城北の曲輪跡






北曲輪跡

二俣城跡を後にすると、そのまま駅へ向かい、電車で浜松まで行こうと思いきや、電車が約50分程来ないじゃないですか(汗) 仕方なく隣駅の西鹿島駅まで歩くことにしました。西鹿島駅から浜松へ行く”遠州鉄道”が出ているので、歩いたほうが早いと感じたためです。

天竜川






天竜川

西鹿島駅へ向かう途中、橋があり、その下をかの”天竜川”が流れてました。”絶景”でしたね。30分程歩いて西鹿島駅へ到着。やはり、電車を待つより全然早かったです。

西鹿島駅から30分程で新浜松駅に到着。駅を降りると、”浜松祭り”の山車が数台停まっており、人ごみが凄かったです。その後、昼食にウナギを食べようと思い、本当はもう少し離れた店へ行こうと考えていたのですが、新浜松からJR浜松駅まで少し距離があるのと、ゴールデンウィークの”混雑”のため仕方なく近場の店に入ることにしました。まぁ、味は悪くないですが、期待するほどの味ではなかったですね。

昼食後、やはり”ゴールデンウィーク”ということでJR浜松駅のコインロッカーは全部埋まっていました(汗) しかし、遠州鉄道の新浜松駅にあるコインロッカーはかろうじて空いていたため、そちらを使用することにしました。そして、バスに乗って浜松城へ向かいました。

”市役所前”というバス停で降りると、道路を挟んだ向かい側に”浜松城”がありました。一部”工事中”の箇所があったのですが、天守は大丈夫でしたのでさっそく天守へ入城しました。

天守浜松城








浜松城天守

浜松城:元々今川氏の支城だった曳馬城を、元亀元年(1570年)岡崎から拠点を移した徳川家康が、規模を拡張し、更に”曳馬(ひきま)”という呼び名が”馬を引く=敗北”を意味するため、その地の地名から取って”浜松城”へ改める。織田信長とともに共通の”宿敵”武田氏を滅ぼすと、信長から正式に”駿河の国”を拝領し、信長が”本能寺の変”で討たれるてから4年後の天正14年(1586年)に家康は駿府城に居城を移す(在城17年間)。その後、秀吉が”天下人”になると家康は関東へ移封となり、天正18年(1590年)秀吉の家臣・堀尾吉晴が城主となり、嫡子・忠氏とともに11年間在城すも、”関ヶ原の合戦”後松江に転封となり、以降は譜代大名が入れ替わりに城主となる。

天守内に入ると、”甲冑”、”銃”、”剣”、”槍”等の武具が主に展示されていました。

徳川家康甲冑






徳川家康甲冑

徳川武将図








徳川武将絵図

天守を出た後、日本庭園を見て、それから時間が余ったため”三方ヶ原の戦い”の史跡の一つである”犀が崖”へ歩いていきました。

日本庭園浜松城






浜松城公園内日本庭園

”犀が崖”とは、”三方ヶ原の戦い”後、浜松城へ逃げ帰った徳川軍を後追いすることを中止し、甲斐への帰途中に野営していた辺りにあった崖で、家康は、その隙をついて犀が崖に”罠”を仕掛け、多くの兵を崖に落とすと同時に、鉄砲によって夜襲を仕掛け、武田軍は多くの兵を失いました。その一年後、この崖近辺で人や馬のうめき声が聞こえたり、怪我人が続出したり、更にはイナゴの大群が発生して農作物が荒らされるようになったため、これらが死んだ武田が他の兵の”祟り”であると恐れられ、この怨霊を鎮めるために”遠州大念仏”が行われるようになり、今日まで続いています。

犀ヶ崖






犀が崖

犀が崖を後にすると、美術館付近まで歩いてから、あとはバスで浜松駅へ向かいました。駅へ到着すると、そのままホテルまで行きチェックイン。

”夕食”は、浜松は”駅前”には固まった”飲み屋街”がないため、遠州鉄道で一つ先の”第一通り”という駅で下車し、その付近の居酒屋で”夕食”を撮ることにしました。この期間の浜松では”浜松祭り”が開催されているため人ごみが多く、更に”観光客”も多いため、店に入れるかどうか心配でしたが、さすがに店の数は掛川の比にはならない程多いため、何とか”遠州料理”専門の大衆居酒屋へ入ることができました。その店で、浜松名物”浜松餃子”、”じゃがバター”、”遠州豚のゴロ焼き(豚版サイコロステーキのようなもの)”、”遠州焼き(遠州版お好み焼き)”を頼みました。”浜松餃子”は、通常の餃子よりは皮が薄くフニャっとした感じでしたが、中にはキャベツが大量に入っており、そのシャキシャキ感が皮のフニャフニャ感をカバーしていましたね。むしろ、キャベツの水分によって皮がフニャっとしてしまうのは仕方ないのでしょう。これはこれで僕は”アリ”だと思います。”遠州焼き”は通常のお好み焼きを畳んだ形のもので、これも結構美味しかったです。他のメニューも非常に美味しかったです。

店を出た後、お祭りに参加しようと思いましたが、あいにくの人混みだったため、結局電車に乗って浜松駅へ戻りました。

5日、朝食のバイキングを済ませ、AM8:00頃にホテルを”チェックアウト”し、即駅へ向かいました。電車に乗る前にお土産屋に寄って”浜松餃子”を買おうと思っていたのですが、探しても見つからず、どうやら”売り切れ”だったようですが、どうもこの日観光客の”帰省”のため、物がすぐ売り切れる、という事態が発生したようです。そうこうしている時に”便意”を催してしまい急いでトイレへ。あいにく、個室が埋まっていたのですが、何とか待って空いた個室へダッシュ! そして、”身”を勢いよく出していざ紙で拭こうとした瞬間、な、なんと紙がありません(ショック) まぁ、一応、カバンの中にティッシュペーパーがあったのでそれで拭いたのですが、そのペーパーをカバンから取ろうとした時に、実は”身”がズボンの後ろの方に垂れていたのです(泣) しかも、そのことに気が付いたのは新幹線のホームに上がってからです(涙) 慌ててトイレへ行き、全部拭き取ったのですが、匂いがなかなか取れません(焦) しかし、何とか匂いが消えると、再びホームに戻り、新幹線で名古屋に向かいました。これも、”帰省ラッシュ”の一環なのでしょう(悲)

名古屋に到着した後、まず、”コインロッカー”に大荷物を預けようと思ったのですが、どっこも空いてません!!!(悔) 最終日の”地獄”に突入したとしか思えません(泣) で、仕方なく、大荷物を持ったまま”昼食”を取ることにしました。実は、この日名古屋へわざわざ行った理由は”あんかけパスタ”が食べたかったからなのです。で、早速駅地下にある「リッチ」という喫茶店に入り、何とか”あんかけパスタ”を食べることができました。餡が結構スパイシーで、予想以上に美味しかったです。しかし、他にも食べたいものがあったので、少し時間を空けて、次に別のものを食べようと思ったのですが時すでに遅し。どの店も”大行列”を作っていました。ここでふと気づきました。まず、”静岡~名古屋”は日本の”中間点”にあるため、”東西”から人が集まる場所だ、という事と、あとは”不景気”のために旅費を安く上げるのにこの地域は非常に都合が良い、という事なのです。更には、この地域は”ご当地グルメ”の宝庫なのです! だから、ここまで人が集まってしまうんです! で、仕方なく、本当はPM3:30頃の新幹線で帰るつもりが、PM1:30ぐらいの新幹線「こだま」に乗って帰路に着きました(終わり) [掛川~浜松への旅(その2)]の続きを読む
  1. 2013/05/06(月) 15:08:50|
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掛川~浜松への旅(その1)

5月3日~5日にかけて掛川~浜松方面へ旅行へ行ってしました。まず、3日、指定席がグリーン車しか空いていなかったため、自由席で行かなければならなくなり、始発の東京駅から新幹線「こだま」に乗って掛川まで行き、掛川から”天竜浜名湖鉄道”に乗って遠州森で下車。そこで昼食として掛川駅で買ったおにぎり等を食べ、レンタサイクルを借り、”サイクリング”をしました。

秋葉街道(あきはかいどう、アキバじゃないよ(笑))を旧城下町方面へ自転車を進め、途中天宮(あめのみや)神社に参拝することにしました。

遠州森旧城下町






遠州森旧城下町

天宮神社






天宮神社

見るからに由緒正しそうで、結構古びた感じの天宮神社は、今から約1500年前の欽明天皇の頃に、小碓命(日本武尊)の後裔太田の君、守屋の君の氏族が先祖の遺跡を訪ねてこの地を開き、筑紫の国宗像の御神霊を迎え大氏
神として鎮斎せられたことで始まり、文武天皇慶雲2年勅願により社殿等が造営された神社です。その後、社殿は室町時代に焼失しましたが、徳川家康によって再び社殿が造営され、現在に至ります。

参拝を済ませ、ふと右側を見ると”御神木”がありました。この御神木はナギのいう樹木で、樹齢1000年程あるそうで、案内の方の説明によると中が空洞になっていて、それでも今の所嵐が来ても地震が来ても持ちこたえているとのことです。まさに”神懸り”という事だろうか・・・?

天宮神社御神木








天宮神社御神木

天宮神社を後にし、更へ旧城下町を奥へ進む途中こんな風景が目に飛び込みました。

遠州森町の田園風景

田舎の”子供の日”によく見られる光景です。のどかですね。そして、城下町の端まで行ったところで次の予定のことを考えて折り返すことにしました。正直、もう1時間は時間が欲しかったです(残念) 帰路の途中、駅の案内所で紹介された”ジェラート屋”によることにしました。案内所のおじいさんの説明が少しわかりづらく、道を何度も迷いながら、結局秋葉街道沿いにあった小さく小汚い感じの店がそうでした(テレビで紹介されたことがあるそうです)。そこで、”生キャラメルジェラート”を頼んだのですが、味はかなり美味しかったです。

駅に着き、自転車を返した後、電車に乗って掛川へ戻りました。掛川に着き、荷物をコインロッカーに預けた後、今度は掛川城へ向かいました。

掛川城天守








掛川城天守

掛川城:室町時代中期の文明(1469年~1487年)年間に守護大名・今川義忠が、重臣の朝比奈泰煕に命じて築城したと伝えられ、以降この朝比奈氏が城代を務めるが、1568年(永禄11年)、朝比奈氏の主家の今川氏が甲斐国の武田信玄、三河国の徳川家康の両大名から挟み撃ちに遭い、やがて徳川家康に城を方されると、和議を申し出て朝比奈氏の主君・今川氏真の存命と引き換えに開城。その後、家康の重臣・石川家成、康通父子が城代となる。そして、豊臣秀吉が事実上天下の実権を握ると、”小田原征伐”直後の秀吉の命による家康の”関東移封”によって、石川氏に代わって秀吉の家臣となっていた山内一豊が5万1千石で入城。この時に大改修が行われ、現在の城郭となる。そして、”関ヶ原の戦い”によって家康が”征夷大将軍”となると、家康の名で一豊は土佐一国へ転封となり、徳川譜代の大名が入れ替わり城主になった後、最終的には太田氏(太田道灌の一族)が城主として幕末まで続くことになる。1854年(安政元年)末に起こった”安政大地震”によって多くの建造物は崩壊し、二の丸御殿はすぐに再建されるも、天守が再建されることはなく、100年以上経った1994年4月に天守が”木造復元”として再建される。

掛川城の天守は、日本初の”木造復元天守”で、”複合式望楼型3重4階”の構造になっていて、内部は”木造”でシンプルなつくりになっていますが、展示物がそれほど多くありませんが展示されていて、3層なので最上階にはすぐに登れてしましましたが、そこからは天候の条件が良ければ富士山が見えるそうです(この日は一応見えたことは見えたのですが、雲がかかっていて見えにくいため、写真はあえて載せていません。)

掛川城天守内部






天守内部

天守を出た後、二の丸御殿に入りました。

掛川城二の丸御殿






二の丸御殿

まぁ、どの城も江戸時代に入り、事実上”戦”のない時代に突入すると、城の”天守”は単なる”象徴”でしかなくなり、実際の”居館”および”政庁”としてはこのような”御殿”が用いられるようになったせいもあって、内部はこちらの”二の丸御殿”の方が見ごたえがあるかと思います。

山内一豊鎧








山内一豊甲冑

掛川城二の丸御殿内部






二の丸御殿内部

掛川城を出た後、近くのお土産屋でお土産を買い、少し休憩した後、ホテルへ行くために駅の方向へ向かいました。”チェックイン”後、夕食を食べるために付近を散策したのですが、いざ店に入ろうとすると、ゴールデンウィークのせいかどの店も”予約”でいっぱい。仕方なく、地元チェーンっぽい店に入ったのですが、そこもギリギリで後から店に入ろうとする人が次々と断られていました。で思ったのですが、これは最終日に思い知らされるのですが、今年のゴールデンウィークはここ数年そうですがますます”不景気”で”近場”の傾向が強まっており、しかも”城ブーム”と”ご当地グルメブーム”も重なって、”静岡~名古屋地域”を訪れる客が予想以上に多い、という事なのでしょう。ちなみに、この店では”かつおの刺身”、”ネギトロとアボカドの生春巻き”、”遠州ポークと野菜の鉄板焼き”等を頼んだのですが、結構美味しかったです。(続く) [掛川~浜松への旅(その1)]の続きを読む
  1. 2013/05/06(月) 11:46:54|
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博多~下関~岩国への旅②

13日、ホテルをチェックアウトすると、岩国へ最短で行くのに少し面倒な方法を取らざるを得なくなり、まずは”山陽本線”で小倉まで戻り、小倉から”新幹線”で広島まで行き、広島から今度は逆方向に”山陽本線”に乗って岩国へ向かいました。

岩国駅に到着後、さっそくバスに乗って”錦帯橋”へ向かいました。20分程で”錦帯橋”へ到着。

錦帯橋






錦帯橋

錦帯橋:岩国3代領主・吉川広嘉の名により、大工・児玉九郎右衛門の設計の下、1673年(延宝元年)に完成した5連のアーチ橋で、”日本三大名橋”、”日本三大奇橋”の一つに数えられる。1922年3月、”史蹟名勝天然紀念物保存法”により”名勝”の指定を受ける。

保存のための”通行料”を支払って橋を対岸まで行き、近くの料理屋で”昼食”をとる事にしました。名物”岩国寿司(酢飯の上にでんぶ、錦卵、シイタケなどを乗せて正方形に切った寿司)”の付いた”アユの塩焼き定食”を注文。昼食後、隣の”アイスクリーム専門店”でソフトクリームを買い、それから”吉香公園”を経て”岩国城”へ向かいました。しかし、前日に引き続き、ここでも初めは晴れていたのに、”ロープウェイ”へ乗ろうとした段階で急に”雨”に見舞われる始末(泣) どうも、昨年末以来”天気”に恵まれない日々が続いております(悔) なので、仕方なく道を挟んで向かい側にある”岩国シロヘビ観覧所”へ入りました。

岩国のシロヘビ






岩国のシロヘビ

岩国は”天然シロヘビ(通常はアオダイショウの”白色変異(アルビノ)”だが、この状態で何代も子孫を残している種)”の数少ない産地であり、世界中の生物学者が注目しているそうです。

”シロヘビ観覧所”を出ても一向に雨のやむ気配はないですが、時間ももったいないので”ロープウェイ”に乗って”岩国城”へ向かいました。”山頂”に着くと、2~3分程歩いて”岩国城天守”に到着。

岩国城








岩国城

岩国城:慶長6年(1601年)毛利家一門の吉川広家が、”関ヶ原の戦い”で敗戦後、岩国に入封され、直後築城され、慶長13年(1608年)に完成した山城で、正式には横山城。4重6階の唐造りの天守が建立。しかし、元和元年(1615年)に幕府の”一国一城令”により、完成よりわずか7年にして破却される。現在の”天守”は、1962年(昭和37年)3月21日、本丸南側にあった「天守構造図」という絵図を元に鉄筋コンクリート構造によって復興されたもの。

城内は、吉川氏ゆかりの品々が展示されている”資料館”になっており、最上階へ登った時には天気は多少良くなっていたのですが、景色が最高でしたね。まさか、”海”まで見えるとは思いませんでした(もう少し晴れていれば”絶景”だったと思いますが)。

岩国城から見た風景






岩国城から見た風景

岩国城を出て、”ロープウェイ”を降り、”吉川資料館”へ行く途中に風情のある”楼閣”が目に映りました。”錦雲閣”という藩時代の”絵馬堂”でした。

錦雲閣






錦雲閣

そして、”吉川資料館”へ入り、”入場料500円”を支払いました。そして、”展示室”へ入ると、それほど広いとは言い難い”一室”の中に、吉川氏にまつわる品々数点と、”源氏物語”や”枕草子”等の有名な”絵巻”が数点展示されていました。そして、その部屋を出て、別に”展示室”があると思いきや、”終わり”(悲) これだけで”500円”とるの!?と思いましたけど、それだけ価値のあるものが展示されていると考えれば妥当なのでしょう。

資料館を出ると、再び”お土産屋”等がある所へ戻り、”お土産”等を買ってから、再び”錦帯橋”を渡り、バスで岩国駅へ向かいました。

ホテルに”チェックインすると、やはり大量に汗をかいたため、すぐ”風呂”に入り、そのあと”夕食”をとるために外出したのですが、こういった実際の”観光スポット”と離れた所にある駅には大抵”チェーン店”しかなく、一応”中国地方限定”のようですが”チェーン店”である事は間違いない”ビール専門居酒屋”で夕食をとる事にしました。

”夕食後”は、ホテルに戻り、テレビを見た後床に就きました。

14日、やはりお腹の具合が悪いまま、ホテルを出立し、”山陽本線”に乗って広島へ向かいました。”新幹線”の時間まではだいぶありましたので、”市電”に乗って”繁華街”へ出て、しばらくブラブラしながら、お好み焼きの屋台が何店も入っている”お好み村”という所で昼食をとりました。”1軒目”に入った店は、おばちゃんの誘いにつられてはいってしまったので、味はちょっと”イマイチ”に感じました。なので、もう1軒寄ることにしたのですが、そちらの方が麺や生地の味も良くて美味しかったですです。こういった店が”複数”密集している所は、”はしご”しないとダメなのでしょう。でも、正直お腹キツッ(汗)

このような状態で、腹の具合が不安定の状態で広島から”新幹線”に乗って帰路に就きました(終わり) [博多~下関~岩国への旅②]の続きを読む
  1. 2012/08/15(水) 13:50:46|
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博多~下関~岩国への旅①

8月11日から3泊4日で博多~下関~岩国へ旅行へ行ってきました。11日、新幹線で博多まで行き、そこから地下鉄に乗って天神で下車。チェックインまで30分以上時間があったため、本当は腹ごしらえに”博多ラーメン”一杯いこうかと思ったのですが、あいにくこんな時に限って体調が悪く、食欲があまりなかったので、コンビニで時間潰しした後、ホテルにチェックイン。

ホテルでしばらく休んだ後、外出して近辺を散策してから、ようやく食欲が出てきた頃に川沿いの屋台がボチボチ始まりだしたので、屋台へ行きそこで”夕食”となりました。まずは”串焼き”を4本程頼み、それから”おでん”を7タネほど頼んだ後、最後の”〆”に”ラーメン”を頼みました。”ラーメン”は比較的あっさりしていながらも”コク”があって、”屋台”だからかもしれませんが、東京で食べる”博多ラーメン”よりもスープに”甘み”があってとても美味しかったですね。”おでん”も出汁がしっかりしていて美味しかったです。

一度ホテルへ戻り、一風呂浴びてお腹がすくのを待ってから、再び”屋台ラーメン”を食べる事にしました(体調が良くないのに(汗))。2店目の方は、スープが比較的”濃厚”で、麺がもっちりしていて(ちなみに”屋台ラーメン”は基本的に”麺の硬さ”は選べず、”替え玉”もありません)、やはりスープに”甘み”があって美味しかったです。

翌日、朝起きると案の定”下痢”(汗) ”朝食バイキング”をとった後、8時過ぎぐらいにホテルを”チェックアウト”して、”太宰府”へ向かいました。”西鉄大牟田線”に乗って途中”二日市駅”で”太宰府線”に乗り換えてからトータル約30分程で到着。

太宰府天満宮






太宰府天満宮

駅から参道を通って”太宰府天満宮”に着くと、そこで参拝して、”家内安全札”を買って、”おみくじ”をした後、近くのお土産屋で名物”梅ヶ枝餅”を買ってから、西鉄線に乗って西鉄福岡(天神)で地下鉄空港線に乗っては向かいました。

博多から新幹線に乗って”新下関”まで行き、そこから”山陽本線”に乗り換えて下関へ到着。この時点では”天候”は最悪。”コインロッカー”に荷物を置いてからバスに乗って”御裳川バス停”で下車。”壇ノ浦古戦場”、”壇ノ浦砲台跡”のある”みもすそ川公園”に立ち寄った後、ロープウェイに乗って”火の山公園”へ向かいました。

壇ノ浦古戦場跡






壇ノ浦古戦場

壇ノ浦砲台






壇ノ浦砲台

この時点では、天気は一変して”晴れ間”が見えたのですが、ロープウェイに乗り”頂上”に着いたとたんに”大雨”(泣き) その後中々雨は降りやまず、一応そこからの景色を”写真”に収めたものの、靄がかかってうつりがあまり良くありません(汗)

火の山から見た関門海峡






火の山から見た風景

下りのロープウェイが来たので、それに乗って麓へ下ると、皮肉にも再び”晴れ間”が見えてきました(悔)バスに乗って下関駅で下車し、そのままホテルへ向い、”チェックイン”。前日の博多と違って”関門海峡”の”山口県側”は非常に暑く、”大汗”をかきましたので、まず一風呂浴び、それからまず食事をとる所を探そうとするも、また”大雨”に見舞われ、食事処がある場所が良くわからないまま”大雨”でらちがあかなくなってしまったため、一度ホテルに戻って場所を調べ直した後に、”夕食”を取るために外出しました。

名物の”フグ料理”がある居酒屋がありましたので、そこで”夕食”をとりました。やはり”フグ料理”は少し値段が張ったのですが、店の人に¥8,000代の”ミニコース”を勧められましたので、それを注文しました。”料理”の方は”フグ刺し”、”フグの稚魚のから揚げ”、そして”フグちり鍋”という内容でした。”酒”の方は”冷酒(大)”というのを頼んだら、”4合瓶”が来てしまい、せっかく料理は美味しくいただけたものの、”酒”が飲みきれなくなり、結局具合が悪くなって店を出ました(苦笑) ”ホテル”に戻ると”嘔吐”と”下痢”の繰り返し(汗) このせいで、余計回復しかけた体調を崩す羽目になってしまいました(涙)

(つづく) [博多~下関~岩国への旅①]の続きを読む
  1. 2012/08/15(水) 10:27:35|
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スーパーpsy野神

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