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掛川~浜松への旅(その1)

5月3日~5日にかけて掛川~浜松方面へ旅行へ行ってしました。まず、3日、指定席がグリーン車しか空いていなかったため、自由席で行かなければならなくなり、始発の東京駅から新幹線「こだま」に乗って掛川まで行き、掛川から”天竜浜名湖鉄道”に乗って遠州森で下車。そこで昼食として掛川駅で買ったおにぎり等を食べ、レンタサイクルを借り、”サイクリング”をしました。

秋葉街道(あきはかいどう、アキバじゃないよ(笑))を旧城下町方面へ自転車を進め、途中天宮(あめのみや)神社に参拝することにしました。

遠州森旧城下町






遠州森旧城下町

天宮神社






天宮神社

見るからに由緒正しそうで、結構古びた感じの天宮神社は、今から約1500年前の欽明天皇の頃に、小碓命(日本武尊)の後裔太田の君、守屋の君の氏族が先祖の遺跡を訪ねてこの地を開き、筑紫の国宗像の御神霊を迎え大氏
神として鎮斎せられたことで始まり、文武天皇慶雲2年勅願により社殿等が造営された神社です。その後、社殿は室町時代に焼失しましたが、徳川家康によって再び社殿が造営され、現在に至ります。

参拝を済ませ、ふと右側を見ると”御神木”がありました。この御神木はナギのいう樹木で、樹齢1000年程あるそうで、案内の方の説明によると中が空洞になっていて、それでも今の所嵐が来ても地震が来ても持ちこたえているとのことです。まさに”神懸り”という事だろうか・・・?

天宮神社御神木








天宮神社御神木

天宮神社を後にし、更へ旧城下町を奥へ進む途中こんな風景が目に飛び込みました。

遠州森町の田園風景

田舎の”子供の日”によく見られる光景です。のどかですね。そして、城下町の端まで行ったところで次の予定のことを考えて折り返すことにしました。正直、もう1時間は時間が欲しかったです(残念) 帰路の途中、駅の案内所で紹介された”ジェラート屋”によることにしました。案内所のおじいさんの説明が少しわかりづらく、道を何度も迷いながら、結局秋葉街道沿いにあった小さく小汚い感じの店がそうでした(テレビで紹介されたことがあるそうです)。そこで、”生キャラメルジェラート”を頼んだのですが、味はかなり美味しかったです。

駅に着き、自転車を返した後、電車に乗って掛川へ戻りました。掛川に着き、荷物をコインロッカーに預けた後、今度は掛川城へ向かいました。

掛川城天守








掛川城天守

掛川城:室町時代中期の文明(1469年~1487年)年間に守護大名・今川義忠が、重臣の朝比奈泰煕に命じて築城したと伝えられ、以降この朝比奈氏が城代を務めるが、1568年(永禄11年)、朝比奈氏の主家の今川氏が甲斐国の武田信玄、三河国の徳川家康の両大名から挟み撃ちに遭い、やがて徳川家康に城を方されると、和議を申し出て朝比奈氏の主君・今川氏真の存命と引き換えに開城。その後、家康の重臣・石川家成、康通父子が城代となる。そして、豊臣秀吉が事実上天下の実権を握ると、”小田原征伐”直後の秀吉の命による家康の”関東移封”によって、石川氏に代わって秀吉の家臣となっていた山内一豊が5万1千石で入城。この時に大改修が行われ、現在の城郭となる。そして、”関ヶ原の戦い”によって家康が”征夷大将軍”となると、家康の名で一豊は土佐一国へ転封となり、徳川譜代の大名が入れ替わり城主になった後、最終的には太田氏(太田道灌の一族)が城主として幕末まで続くことになる。1854年(安政元年)末に起こった”安政大地震”によって多くの建造物は崩壊し、二の丸御殿はすぐに再建されるも、天守が再建されることはなく、100年以上経った1994年4月に天守が”木造復元”として再建される。

掛川城の天守は、日本初の”木造復元天守”で、”複合式望楼型3重4階”の構造になっていて、内部は”木造”でシンプルなつくりになっていますが、展示物がそれほど多くありませんが展示されていて、3層なので最上階にはすぐに登れてしましましたが、そこからは天候の条件が良ければ富士山が見えるそうです(この日は一応見えたことは見えたのですが、雲がかかっていて見えにくいため、写真はあえて載せていません。)

掛川城天守内部






天守内部

天守を出た後、二の丸御殿に入りました。

掛川城二の丸御殿






二の丸御殿

まぁ、どの城も江戸時代に入り、事実上”戦”のない時代に突入すると、城の”天守”は単なる”象徴”でしかなくなり、実際の”居館”および”政庁”としてはこのような”御殿”が用いられるようになったせいもあって、内部はこちらの”二の丸御殿”の方が見ごたえがあるかと思います。

山内一豊鎧








山内一豊甲冑

掛川城二の丸御殿内部






二の丸御殿内部

掛川城を出た後、近くのお土産屋でお土産を買い、少し休憩した後、ホテルへ行くために駅の方向へ向かいました。”チェックイン”後、夕食を食べるために付近を散策したのですが、いざ店に入ろうとすると、ゴールデンウィークのせいかどの店も”予約”でいっぱい。仕方なく、地元チェーンっぽい店に入ったのですが、そこもギリギリで後から店に入ろうとする人が次々と断られていました。で思ったのですが、これは最終日に思い知らされるのですが、今年のゴールデンウィークはここ数年そうですがますます”不景気”で”近場”の傾向が強まっており、しかも”城ブーム”と”ご当地グルメブーム”も重なって、”静岡~名古屋地域”を訪れる客が予想以上に多い、という事なのでしょう。ちなみに、この店では”かつおの刺身”、”ネギトロとアボカドの生春巻き”、”遠州ポークと野菜の鉄板焼き”等を頼んだのですが、結構美味しかったです。(続く)
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  1. 2013/05/06(月) 11:46:54|
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