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武田氏最後の居城 -新府城-

ここの所、あまりにも不自然な”土曜日の悪天候”が続いた事によって中々実現出来なかったのですが、昨日ようやくそこそこ天気が良かったので、久々に”山城散策“をしてまいりました。まだ、”桜”の残っている所もあったため、それを期待しつつ、山梨県韮崎市にある”新府城跡”へ行ってまいりました。

JR八王子駅から”特急あずさ”に乗って韮崎駅で各駅列車に乗り換え、新府駅で下車したのですが、まさかの”無人駅”で、トイレもなく、物凄くトイレに行きたかったのを我慢しながら、新府城へと向かいました。そこは結構のどかな風景で、桜がまだ残っており、桃林でも桃が満開で、菜の花やタンポポも咲き乱れていたので、トイレに行きたいのを我慢しながら、写真を撮り、そして、新府城への入り口の鳥居の脇が雑木林みたいになっていて、とうとう我慢できずに○年ぶりに”立ちション”をしてしまいました(汗)


新府城手前の風景






新府城手前の風景

鳥居をくぐって、道路に出ると、その向かい側に神社へ続く階段があり、その登りきった所に”藤武稲荷神社”があります。そこが新府城の”本丸跡”になります。本丸は二手に分かれており、向かって左側には散り際の桜の木が複数あり、向かって右側の奥には、城主:武田勝頼とその家臣に対する”慰霊碑”と、彼らの魂を祀る”廟”が建てられていました。

藤武稲荷神社






藤武稲荷神社

本丸の桜






本丸の桜

武田勝頼公霊社






武田勝頼及び家臣団廟社

本丸から通路を少し下っていくと”二の丸跡”があり、その端部が”断崖”になっており、西方に”釜無川”が流れている、といった”天然の要害”になっていました。”フォッサマグナ(中央地溝帯)”を利用した城だった、という事ですね。

二の丸






二の丸

二の丸の断崖(七里岩)






二の丸の断崖(七里岩)

二の丸の手前に”馬出し”があり、そこから通路を下ると”西三の丸”、”東三の丸”、”大手門跡”、”望楼跡”、”丸馬出し”があり、そこから通路を下ると道路に出てしまいました(汗) 

馬出し跡






馬出し

東三の丸






東三の丸

大手門跡






大手門跡

丸馬出し






丸馬出し

規模的にはそこそこ大きいとは思いますが、反面造りがシンプル過ぎる気もするんです。つまり、攻められやすい、という事ではないでしょうか。そもそも、勝頼の偉大な父:武田信玄は、「人は城、人は石垣、人は堀」と唱えていた通り、家臣、領民こそが”城”であるとして、”居城”を構えず、”居館(躑躅ヶ崎の館)”を本拠地としていました。逆に言えば、それだけ信玄は家臣、領民からの”人望”があったという事でしょう。それに対して、息子の勝頼はというと、決して”愚かな武将”だった訳ではなく、”政治的”にも”軍事的”にも優れた武将ではあったようですが、父:信玄があまりにも”偉大”過ぎた事、”大敵”織田信長が”強大”になり過ぎた事、そして、元々”諏訪家”の後継者となっていた勝頼が武田家の家督を継いだ事に、多くの”譜代家臣”が納得していなかった、という事が災いとなり、武田家は”滅亡”に至った原因となったようです。そして、”譜代家臣”の中には既に織田ないし徳川と内通していた家臣がおり、この新府城は、徳川に内通していたと思われる”一門衆”の穴山梅雪にそそのかされて築いたようです。一見”堅固”な城のように見えますが、今まで行った事のある他の山城がもっと”複雑怪奇”なつくりをしていたのに対して、ちょっとシンプル過ぎる印象を受けたのは事実です。

城を降りた後、新府駅にはトイレがないので、近くの駐車場へ行ってトイレに寄ったのですが、そこから見渡す景色がまた最高でしたね。一面に”桃林”が広がっていました。

駐車場から見た風景






駐車場から見た風景

新府城下の桃と桜






駐車場付近の桃と桜の競演

新府駅へ戻ると、昼食をとるために甲府へ向かいました・・・(終)

新府城・・・天正3年(1575年)の長篠の戦いで織田・徳川連合軍に武田勝頼軍が敗北した事により、領国支配の強化のために重臣:穴山梅雪の進言により、天正9年(1581年)に家臣の真田昌幸に普請を命じて現在の韮崎市に築いた平山城で、躑躅ヶ崎の館よりここに拠点を移す。しかし、翌年の天正10年(1582年)に織田・徳川連合軍が甲斐まで侵攻してきたため、この城に火を放ち、家臣:小山田信茂の居城である岩殿城(大月市)に移ろうとするも、信茂に裏切られ、その後天目山(甲州市)へ追い詰められ、天正10年(1582年)3月、勝頼以下武田家一族は滅亡。
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