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岐阜・愛知への旅(3日目)

3日目の5月4日、AM8:30頃にホテルをチェックアウトすると、岡崎まで向かいました。犬山駅から名鉄線に乗って名古屋を経て東岡崎へ到着するのに約1時間。駅をでると徳川家康の最初の居城・岡崎城へ向かったのですが、やはりそこからも15分近く歩きました(疲) しかも、それまでの城と違って、”家康最初の居城”ですから、規模が全然違います(汗) 城内に入って天守へ行くまでにも少々時間がかかります。更に、こちらの城も”家康の館”という別館がセットになっていましたので、時間を気にしながらもそちらも見る事にしました。

”天守”は3層3階の”複合連結式望楼型”の”安土・桃山様式”で、内部は”鉄筋コンクリート製”の”展示室”になっていました。大分、急いで城内を見た後、”家康の館”へ入りました。徳川家康をはじめ、”徳川四天王”の本多忠勝や榊原康政等の武器・甲冑等が展示されていました。
岡崎城:1452または1455年(享徳元年または康正元年)、龍頭山の砦として三河国守護・仁木氏の守護代である西郷稠頼・頼嗣父子によって築城され、1531年(享禄4年)、三河国の豪族・松平清康(徳川家康の祖父)が西郷信貞から岡崎城を奪い城主となる。しかし、その後清康は家臣の謀反によって殺害され(森山崩れ)、その後継者・松平広忠(家康の父)も1549年(天文18年)、家臣の謀反によって殺害、嫡子の竹千代(後の家康)は今川義元の”人質”となって、三河国は今川氏の”属国”となる。1560年(永禄3年)”桶狭間の戦い”において義元が織田信長に打ち取られると、松平元康(当時)はすぐさま岡崎城を奪還し正式に岡崎城主となり、名を”徳川家康”と改める。1570年(元亀元年)家康は浜松に居城を移し、岡崎城を嫡子・信康に譲る。しかし、”長篠の戦い”において信康と生母であり家康の正室であった築山殿が織田信長に”武田への内通”を疑われ、”死”に追いやられると、石川数正、本多重次(作左衛門)が”城代”を務め、”豊臣政権時代”に家康が関東へ転封になると、豊臣家家臣・田中吉政が城主となり、この時に城の大幅な”改修”が行われ現在の城郭の原型になる。1602年(慶長7年)、家康が”征夷大将軍”となり”江戸幕府”を開くと、徳川家譜代家臣の本多康重が城主となり、その後同じ徳川譜代の水野氏、本多(忠勝系)氏が城主となり明治維新まで続く。

岡崎城






岡崎城

徳川家康像








徳川家康像

結構規模の大きい岡崎城を後にすると、”昼食”も取れないまま名古屋へと向かいました。名古屋で地下鉄に乗り換えて”名城公園”で降りて名古屋城に向かったのですが、ここでちょっとした”手違い”があり、実は”名古屋城”は”名城公園駅”の一つ手前の”市役所前駅”で降りなければならなかったため、そこから名古屋城へ向かうのにもかなり時間がかかってしまいました(泣) でもって、”徳川御三家・尾張徳川家”の居城だった名古屋城は更に規模が大きく、”正門”から天守へ向かうにも5分以上はかかったと思います。さすがに、”昼食”もとっておらず”空腹”だったため、こちらは”天守”のみを見る事にしました。”外観”は5層6階の”連結式層塔型天守”といった典型的な”江戸様式”で、”内部”は”鉄筋コンクリート製”の”展示室”となっており、織田家、尾張徳川家を中心とした展示物が公開されていました。
名古屋城:16世紀前半の今川氏親が尾張侵攻の目的で築いたとされる”柳の丸”が起源とされ、現在の名古屋城二の丸の辺りにあったと考えられ、1532年(天文元年)、織田信秀(信長の父)が今川氏豊から奪取し”那古野城”と改名。そして、織田信長はこの城で誕生したといわれ、その後、信秀は古渡城へ移り、信長が那古野城主となるも、1555年(弘治元年)信長が織田本家(守護代家)を滅ぼし、清州城へ居城を移したため”廃城”となる。されど、徳川家康が”江戸幕府”を開いて以降は、”政治情勢”や”地形”に問題があった清洲から名古屋へ尾張の”拠点”を移し、1609年(慶長14年)、家康は九男・義直の居城としてこの地に改めて”名古屋城”を築城。以降、”尾張徳川家”の居城として明治維新まで続く。

名古屋城






名古屋城

名古屋城を出ると、一目散で地下鉄に乗って名古屋駅に向かい、名古屋駅に着くと、駅の外へ出てそこの”血かレストラン街”で探し求めていた”味噌煮込みうどん”の老舗「山本屋」を発見。時間はPM3:00をまわっていたのですが、少し並んだ後に、”遅すぎる昼食”を食べました。”麺”は通常のうどんよりも固く、味噌仕立ての”つゆ”は濃厚で、それを半熟になった生卵と混ぜて食べるとそれが絶妙にうまい! やはり、”味噌煮込みうどん”は本場で食べるのが一番ですね。

今年の”ゴールデンウィーク”の”城廻り”の旅は、正直去年の”彦根~安土~関ヶ原”よりもキツかったです(疲) しょっぱなの”掛川駅不審人物事件”による大幅な遅れがあり、”移動距離”も結構あったし、ここまで本格的な”城廻り”は思ったよりしんどかった、という事を痛感しました。今後は”山城廻り”にも本格的に挑戦したいですね。
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