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”突貫小僧”星野勘太郎、逝く

やはり、”運命”というものは存在するのだろうか・・・。9月2日に、”鬼軍曹”山本小鉄が他界し、あれから約3か月後の11月25日、その最高の”パートナー”だった”突貫小僧”星野勘太郎が、”肺炎”のため入院先の病院で亡くなりました(悲)享年67歳。実は、星野は昨年2月に”脳梗塞”で入院し、”リハビリ生活”を送っていたようです。それにしても、やはり”名コンビ”というものは心のどこかで”運命”がつながっているのでしょうかねぇ。心からご冥福をお祈りいたします(合掌)

僕が、本格的にプロレスを見るようになってからは、星野はほとんど”前座”で戦っていた状態で、せいぜい”初代タイガーマスク(佐山聡)”の”パートナー”に抜擢されたぐらいだったと思います。しかし、その初代タイガーが新日本を去り、その煽りを受けるかのように前田日明、藤原喜明、高田延彦、木戸修らが離脱し佐山らとともに「UWF」を結成し、更に長州力率いる”維新軍団”も全日本マットに移籍した事で新日本が手薄になった時、苦し紛れに新日マットに送り込まれた”マシーン軍団”との抗争が勃発した際に、その抗争に星野は抜擢され、以降”対マシーン戦”となると必ず星野が相手をしていましたね。「何んかこの小っちゃくて、短足で、ただわめいてるだけのおっさん、強いのか?」と思いながら見ていましたが、しかし、体が小さくても声を張り上げて果敢に攻めている姿は印象的でした。更に、前田率いる”UWF軍”が新日本マットに帰参すると、今度は星野はこの抗争にも参戦し、”打撃”や”関節技”を主体とする彼らの技にもめげずに自分から突っ込んでいった度胸は本当に凄かったですね。しかし、武藤、橋本、蝶野ら”闘魂三銃士”が頭角を現すと、彼の活躍もあまり目立たなくなりましたが、’95年に引退した後、2002年2月に突如”魔界倶楽部”の総裁としてプロレス界に復帰し、”マネージャー”的な形で新日本マットを引っ掻き回していましたが、やはり、そこには星野なりの当時の新日本に対する”不満”と”不安”があったのでしょう。いずれにしても、星野は小鉄と同じく新日本にとっては欠かせない”陰の立役者”であった事は間違いないのでしょうね(涙)

星野勘太郎・・・本名:星野建夫(たつお)、1943年10月9日兵庫県神戸市出身、身長:170cm、体重:104kg(最大時)。
高校時代にボクシングに打ち込み、卒業後、ボクシングジムに入ろうとするも”リーチ”が足りずに断念し、1961年10月に日本プロレスに入門。同年12月22日、リキ・スポーツ・パレスにおける駒厚秀戦でデビュー。1967年4月にアメリカで山本小鉄と”ヤマハ・ブラザース”というタッグチームを結成(小柄だがパワフルであるという事で、”ヤマハオートバイ”に因んで命名されたとの事。) 1970年に帰国後、アントニオ猪木をパートナーとして「NWAタッグリーグ戦」に出場し、ニック・ボック・ウィンクル、ジョニー・クイン組を破って優勝。日本プロレス崩壊後、1974年1月に新日本プロレスに移籍し、山本小鉄との”ヤマハ・ブラサース”を再結成。1979年1月、国際プロレスのグレート草津、アニマル浜口組から”IWAタッグ王者”を奪取。1980年にパートナーの山本小鉄の引退試合で、国プロの鶴見五郎、大位山勝三組と対戦。その後は、タイガーマスクとのタッグ、対マシーン軍団戦、そして、対UWF戦等で奮闘し、1995年2月19日、両国国技館における木戸修戦を最後に引退。その後、”プロモーター”に転向するが、2002年8月に安田忠夫、村上和成、魔界1号(スーパー・ストロング・マシン)、柳沢龍志らと共に”魔界倶楽部”を結成し、”総裁”としてマネージャーに専念。決め言葉の「ビッシ、ビッシ、行くからな!」が”プロレス流行語大賞”を受賞。しかし、やがて”魔界倶楽部”は空中分解し、その後星野も鳴りを潜めるが、後に蝶野率いる”レジェンド軍”の参謀として真壁率いる”GBH”や中邑率いる”CAOS”との抗争にも参戦していたが、2009年2月4日、都内で倒れ病院に搬送され”脳梗塞”と診断されるや、入院生活を余儀なくされ、”リハビリ”を行っていたが、今年11月25日”肺炎”にて死去。享年67歳。


星野勘太郎









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  1. 2010/12/05(日) 19:37:53|
  2. プロレス|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2
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コメント

ビッシビシ

 御無沙汰しております。
 今年は訃報の多いプロレス界ですが、私も星野勘太郎の現役時代はもう、UWFと戦っている辺りにしか見る事ができなかった世代です。
 当時子供だった私の目には弱く見えました。受けてばかりで攻め手が無く、何度も立ち上がるけれども結局負ける。

 時が過ぎて、その打たれども打たれども何度も立ち上がって相手に向かって行ったその強い心こそが星野のプロレスだったということに気付きました。
 
 例えば同じように身体の小さい木戸のようにクルッと丸め込むイメージもなければ、ジュニアのような派手な動きも無い。 どうやって勝つのか、皆目見当もつかないんですよ。今で言えばNOAHからフリーになった菊地毅みたいな。

 それでも独特の存在感があって。むしろ年を取って、魔界倶楽部の総裁になってからシブさを増して輝いたところもありますよね。

 
 ご冥福をお祈りいたします。 
 
  1. 2010/12/09(木) 08:08:17 |
  2. URL |
  3. フクフク丸 #oKAhFFW.
  4. [ 編集]

フクフク丸氏、大分ご無沙汰しています。

星野は”ヤマハブラザース”の頃はあの身長で体重が110kgもあったようですよ(驚) しかし、星野は”体格”、”技術”云々じゃなくて本当に”気持ち”で戦っていたレスラーの一人だったんですよね。

今の若いレスラー達も星野のように”気持ち”で戦う事を忘れてはいけないのだと思います。

  1. 2010/12/12(日) 14:49:07 |
  2. URL |
  3. スーパーpsy野神 #5FAMoxZ6
  4. [ 編集]

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