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伊那・高遠への旅①

何だか今年は”連休”が多すぎる気がします(汗) でも、まぁ、時期的にもちょうど”紅葉”の真っ盛りな時期ですので、一昨日、昨日と1泊2日で伊那・高遠へ行ってまいりました。

伊那は以前日帰りで二度行った事があり、高遠は一度伊那へ行ったついでに日帰りで行った事があるのですが、少し時間が足りなかったため、今度は泊まりで行きたいと思っていましたので、今回実行した次第です。

伊那は事実上伊那名物”ローメン”を食べるのが目的で行ったようなもんなので、”観光”の方は高遠を中心に周り、”宿泊”の方は伊那に泊まるという形にしました。一日目(21日)の11時半頃に伊那に到着したのですが、そこでまず、飯田線沿いに川の袂まで歩いた辺りにある「萬里」という中華料理店で、伊那名物”ローメン”を食べる事にしました。その”ローメン”ですが、簡単に言ってしまえば、”羊肉”を使った”汁あり焼きそば”という所ですか。”麺”は太い蒸し麺を使い、羊肉や野菜を中華風の出し汁で炒め、スープごと麺の上にかけた物なのですが、それで終わりではなく、その後に各自で麺の上から”ウスターソース”、”酢”、”おろしにんにく”、”ごま油”、”一味とうがらし”等を好みでかけて食べる、というまるで”油そば”のような代物です(笑) 僕は学生時代、”油そば”を食べて育ったと言っても過言ではありませんので、それに近い”ローメン”に魅力を感じるのも当然なのだと思います。でも、”油そば”のように油っぽくなくむしろあっさりしているので、”羊臭さ”を気にしなければ、意外と食べやすい食べ物ではないでしょうか。(ちなみに下の写真は自分で撮った写真ではございません(誤))

ローメン






ローメン

昼食を済ませた後、すぐに伊那駅からバスへ乗って高遠へ向かいました。約25分程で高遠駅(電車の駅ではございません。ちょっとした”バスターミナル”のようなもの。)へ到着。更にそこから徒歩約20~25分程で高遠城址本丸跡へ到着。で、やはり11月後半ですから、”紅葉”を通り過ぎて枯れちゃった木が結構ありましたが、まだまだ紅葉は残っている状態です。周囲の山々にもまばらな感じで赤茶色く色づいていました。現在、高遠城址は”石垣”を残すのみで建造物は明治維新後の”廃城令”によって全て取り壊されてしまい、その代わりに”桜”の木々を植えた事で現在は”桜の名所”として有名ですが、”紅葉”も中々だと思います。(以下の写真は僕が撮った写真です。)

高遠城・・・戦国時代、諏訪氏一族の高遠頼継の居城として築城され、後に武田信玄の支配下となり、信玄の四男・勝頼が城主となり、信玄の嫡男・信義が”謀反”を起こして幽閉された後自害すると、勝頼は信玄の”後継者”として甲府に移ったため、代わりに信玄の実弟・信廉が入城。更に、信玄の五男で勝頼の実弟・仁科盛信が城主となるも織田信長の侵攻を受け、1582年、信長の嫡男・信忠によって落城し、武田氏は滅亡。そして、その直後、信長が”本能寺の変”に倒れると、木曾の豪族・木曾義昌の支配下となり、その木曾義昌を追放した徳川家康の配下に。家康が関東に”国替え”をされると京極氏、保科氏の居城となり、江戸時代に入ると、徳川二代将軍秀忠の三男で保科正光の養子となった保科正之が会津へ移り”会津松平氏”の祖となると、鳥居氏を経て1691年、内藤清枚が高遠藩の藩主となると、以降内藤氏の居城となり”明治維新”まで至る。

高遠城






高遠城祉

高遠城・太鼓櫓小








太鼓櫓

高遠城・紅葉






高遠城の紅葉

高遠城の南門を出て、そこから徒歩10分程の所に「高遠町郷土館」があり、そこに隣接してあの徳川八代将軍吉宗時代(厳密には七代将軍家継の頃)に大奥・大年寄りであった絵島が、後に幽閉された”絵島囲み屋敷”があります。この”絵島囲み屋敷”を見学するにはまず「高遠町郷土館」を見学しなければならないため、そちらから見学する事にしました。”縄文時代”から”明治維新”までの遺物、文書などの数々の資料が展示され、領主の激しい”変遷”のあった動乱の歴史を感じさせられました。更に、その”動乱”が江戸中期にも別の形で起こっており、それが時の大奥大年寄り・江島が芝居見物に出かけて門限に遅れた事がきっかけで、その役者・生島新五郎との”不倫騒動”までに発展した”絵島生島事件”によって捕らえられ、高遠に”流罪”になったのですが、彼女が幽閉された”江島囲み屋敷”が郷土館の隣にあるのですが、はっきり言って”牢屋”同然ですね。外側の”囲い”の上部には内部から逃げやれないように楔のようなものが交互に取り付けられていて、絵島の部屋の窓側にはしっかり”格子”が取り付けられ、その部屋の周りにはそれを監視する役人の部屋があり、”食事”も一汁一菜、一日2回と大変質素な生活を32歳から61歳まで強いられていたようです(哀) 八代将軍・吉宗の時代になり、”享保の改革”の一環としての”大奥改革”のスケープゴートにされたのは明白。確かに”罪”は”罪”ですが、”改革の犠牲者”として彼女を哀れむ人も多いのでしょうね。

絵島囲み屋敷






絵島囲み屋敷

絵島囲み屋敷・囲い






囲み屋敷の囲い

郷土館を後にすると、そのまま高遠駅へ向かい、バスに乗ろうと思ったのですが、次のバスまで1時間半ぐらいあったので、和菓子屋でお土産を買ってから歩いて伊那まで向かいました。しかし、正直”徒歩”をナメ過ぎていた(汗) バスだと25分程の距離でも、徒歩だと2時間近くもかかるものだとは正直思いませんでした。歩けど歩けど”景色”は変わらず、1時間半ぐらい経ってもまだ伊那には程遠かった為、近くのバス停で待とうかとも考えたのですが、もう少し歩けば辺りも開けてくるだろうと思って歩き続け、途中でコンビニが見えましたので、ちょうどトイレにも行きたかったのでコンビニへ寄る事にしました。そして、コンビニを出てしばらく歩き、バス停まで後ちょっとの所で何とバスに抜かれててしまいました(泣) バスは予想以上に早かったんです(涙) 結局、そこからまた更に歩く事になってしまい、やっと開けた所に出た時には17時45分ぐらいになってしまいました。そこに、別ルートのバスがあったので、何とかバスに乗って伊那駅付近で降り、ホテルへ直行して”チェックイン”しました。
本数の少ないバス(電車)に乗る場合は、変に動かずに何とか時間を潰すべきでしたね(悔)

そして、再び”夕食”を取りに外出しました。しかし、伊那駅周辺は以前から寂れた雰囲気のあるいわゆる”シャッター街”なんですが、更に昨今の”不景気”も関係しているせいか結構潰れた店も多いようで、本来行く予定にしていた店もどうやら潰れていたようでしたので、昼と同じ「萬里」へ行く事にしました。今度は”ローメン”ではなくて、酒のつまみになるような一品料理を頼む事にしました。昼に寄った際に見たメニューで気になっていた料理がいくつかありまして、迷った挙句”マトンの唐揚げ”を頼む事にしました。で、思ったよりも”ボリューム”があり、結局料理はそれ一品だけ頼み、他は、ビール、老酒、そして冒険的に”パイカル”という酒を頼んだのですが大失敗!(汗) ”パイカル”という酒は中国で作られる主に穀物や豆類、根菜類を主原料とした”蒸留酒”なのですが、実は以前このような酒を飲んだ事があるのですが、”匂い”は変に”アルコール臭”が強く、”味”は何か”歯磨き粉”みたいな味がして正直「まずい!」と感じた酒だったんです。この酒を飲んだ後、店を出る事にしたのですが、何かこの日は正直”踏んだり蹴ったり”の一日でした。

(次の章へ続く!) 
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  1. 2009/11/23(月) 10:15:33|
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  4. コメント:0
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