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パソコン破損は”虫の知らせ”か? -三沢光晴、死去-

先週の土曜日、つまり6月13日の朝、パソコンを起動させようと思ったら、”初期画面”から次の”Windows画面”が何度も繰り返して表示され、パソコンを起動させる事ができませんでした。結局、”故障”という事で、メーカーに修理に出し、昨日戻ってきたのですが、原因は”マザーボード”の不具合で、それを交換しただけなので”修理費用”は無料で済みました。

で、パソコンが壊れた6月13日の夜、広島グリーンアリーナにおいて「まさか!?」の悪夢が起こるとは思っても見ませんでした。これはまさに”虫の知らせ”という事なのだろうか・・・。

翌日、朝ふとテレビを点け、”ニュース番組”に何気なくチャンネルを変えた時に信じられないニュースが耳に飛び込んできました。「プロレスラーの三沢光晴選手が、試合中の事故により、搬送された病院で”死亡”が確認されました。」 これは”夢”だろう、と一瞬思いましたが、やはり”夢”ではありませんでした(涙) それから、午前8:00に日本テレビ系で放送されている「ザ・サンデー」においても早速このニュースが放送され、司会の徳光氏がかなり取り乱しながらこのニュースを取り上げていました。「”受身の名人”と言われたレスラーが、皮肉にも”受身”によって死んだ。まさに”宿命”を感じます!」という”名台詞”を残しました。NOAHの”地上波放送”が打ち切られ厳しい状況に立たされた所なのに、”悪い事”は続くもんですね(悲) また一人、貴重なプロレスラーを無くしてしまいました(涙)

13日に行われた試合は、バイソン・スミス&斎藤彰俊組(王者組)VS三沢光晴&潮崎豪(挑戦者組)による”GHCタッグ選手権”でした。しかし、斎藤の放った”バックドロップ”が三沢の後頭部を直撃。そのまま、三沢はリング上で倒れたまま動かなくなり、そのまま”レフェリーストップ”で試合終了。「ザ・サンデー」の中では、その後のリング上の状況が放映されていましたが、三沢は倒れたまままったく動かない状態になり、リングドクターが”心臓マッサージ”を行っても反応はなし。観客の”声援”もやがて”悲鳴”のように聞こえるようになり、やがて救急隊が現れて心臓を蘇生させる機械まで持ち込まれました。しかし、それでも反応がなく、そのまま三沢は担架で運ばれてしまいました。そして、搬送された病院で、とうとう”帰らぬ人”になってしまいました。享年46歳。まさに、”プロレスラー”らしい壮絶な”死に様”だったと言えるでしょう(合掌)

三沢光晴・・・1962年6月18日、北海道夕張市に生まれ、埼玉県越谷市で育つ。小学生の時に”プロレスラー”に憧れ、やがてその夢をかなえる為に”レスリングの名門”である足利工業大学附属高等学校へ入学(一年後輩に川田利明がいる)。そして、1981年3月に全日本プロレスに入門。同年8月21日に埼玉・浦和競馬場正門前特設リングにおいて同期の越中詩郎を相手にデビュー。翌年、東京スポーツ新聞社制定昭和57年度プロレス大賞・新人賞を獲得。その翌年の’83年4月、「ルー・テーズ杯争奪戦」に準優勝。翌’84年3月に越中と共に”メキシコ遠征”に出発。同年、7月に”2代目タイガーマスク”として凱旋し、8月26日、田園コロシアムにおいてラ・フィエラを相手にデビューし、”タイガースープレックス’84”によって勝利。翌85年6月に新日本プロレスから移籍してきた”ジャパンプロレス”所属の小林邦昭の持つ”NWAインターナショナルヘビー級王座”に挑戦するも敗退し、8月に再度挑戦して”タイガースープレックス’85”で勝利し、”シングル初戴冠”となる。しかし、同年10月に”ヘビー級転向”のために王者返上。
そして、1988年5月10日に結婚し、その際に自らの”正体”を公表する。更に、1990年に天竜源一郎ら多くの選手が全日本プロレスを離脱。それによって、同年5月14日の試合において自らマスクを脱ぎ、その後素顔の”三沢光晴”として再出発を果たす。同年の6月8日、日本武道館において当時の”全日本エース”であったジャンボ鶴田とシングルで対決し勝利、念願の”鶴田超え”を果たす。8月には川田利明、田上明、小橋健太、菊池毅らと共に”超世代軍”を結成。1991年7月、川田とのタッグでテリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムスの持つ”世界タッグ王座”に挑戦し、タイトルを奪取する。しかし、同年9月「世界最強タッグ」に伴いベルトを返上。翌’92年8月、日本武道館においてスタン・ハンセンの持つ”三冠ヘビー級王座”に挑戦し、ベルトを奪取。”第10代三冠ヘビー級王者”となる。そして、ジャンボ鶴田が”B型肝炎”を理由に”長期欠場”をしたため、事実上の”全日本エース”となる。1994年3月、”全日本の象徴”ジャイアント馬場から初の”ピンフォール”を奪う。
そのジャイアント馬場が、1999年1月に他界。そしてジャンボ鶴田も同年2月に引退。三沢は同年5月に全日本プロレスの”新社長”となる。しかし、翌2000年の4月に”全日本プロレスオーナー”である馬場元子夫人との確執が表面化。同年6月13日、定例役員会において三沢が口頭で一方的に取締役辞任の意向を伝え散会。同時に小橋・田上・百田も取締役辞任。オーナー側との亀裂は決定的となり、15日にフロント陣を含めた離脱者全員で全日本に退団届を郵送し受理。翌日16日に全日本を退団した選手、スタッフを集めディファ有明にて新団体設立会見。同28日の記者会見で8月5日、6日ディファ有明にて旗揚げ戦を行う事を発表。 そして、同年7月10日、記者会見で新団体名を7月7日付けで「株式会社プロレスリング・ノア」として登記申請したと発表。(15日の旗揚げ戦チケット発売日は長蛇の列になり、旗揚げから3戦の計6000枚のチケットが1時間足らずで完売。)  同年8月5日に”旗揚げ戦”を開催。
2001年3月21日、NOAH公式のベルト”GHCヘビー級王座”のトーナメントが開催。翌月4月に有明コロシアムにおいて高山善廣を下し”初代GHCヘビー級王者”となる。 同時期に日本テレビ系列”地上波放送”が開始。同年7月、日本武道館における”GHCヘビー級選手権”において挑戦者の秋山準に敗北。同年11月には小川良成をパートナーにベイダー&スコーピオ組から”GHCタッグベルト”を奪取(翌月12月に高山&大森組にベルトを奪われる)。2002年5月2日、新日本プロレス主催の”東京ドーム興行”に参戦し、蝶野正洋とシングルで対決(30分フルタイムドローに終わる。) 同年9月23日、日本武道館において高山善廣を破り”第5代GHCヘビー級王者”となる。翌’03年3月1日、日本武道館において膝の怪我から完全復帰した小橋健太と”GHCヘビー級ベルト”を賭けて戦うも”バーニングハンマー”で敗北(この試合が2003年度プロレス大賞・ベストバウト賞を受賞)。翌2004年1月、新日本に流出していた”GHCベルト”を奪還すべく小川良成と組んで永田裕志&棚橋弘至組を破りベルトを奪取。同年7月10日、NOAH初の東京ドーム興行「DEPARTUR 2004」において全日本プロレスの武藤敬司&太陽ケア組と対戦し、王座防衛に成功。同月18日、今度は三沢が全日本の両国国技館大会に参戦。小島聡とシングルで対決し勝利。同年10月には全日本の「武藤敬司デビュー20周年興行」において武藤と”ドリームタッグ”を結成。
2005年1月8日、天竜源一郎と15年ぶりにタッグマッチで対戦。同年7月18日、2度目のドーム興行「Destiny 2005」において5年ぶりに川田利明とシングルで対戦し、勝利。翌’06年9月12日、グローバル・レスリング連盟(GPWA)が発足。初代会長に就任。同年12月10日、丸藤正道の持つ”GHCヘビー級王座”に挑戦し、”雪崩式エメラルド・フロウジョン”で勝利し”第11代GHCヘビー級王者”となる。その後、同ベルトを8度防衛し、2008年3月2日に森嶋猛の挑戦を受け”GHCヘビー級選手権試合”を行うも”バックドロップ”によって敗北し、王者陥落(これが三沢の最後の”シングル王座戴冠”となる。)。そして、今年2009年1月4日、新日本の正月東京ドーム大会に参戦し、杉浦貴と組んで中邑真輔&後藤洋央紀と対戦するも敗北。同年3月一杯をもって「プロレスリングNOAH中継」の地上波放送は打ち切り。同年5月6日、潮崎をタッグパートナーに「グローバル・タッグリーグ戦」で佐々木健介&森嶋猛組を破り優勝。それによって、今月13日にバイソン・スミス&斎藤彰俊の持つ”GHCタッグ選手権”に挑戦する事になった訳だが、奇しくもこの試合において三沢は斎藤の”バックドロップ”を受け後頭部を強打、”頚髄離断”によって搬送先の病院で他界。

現時点の”日本プロレス界”の事実上の”リーダー”とも言うべき三沢光晴が、”リング上”で死んだ! これまで危険な技を何度も喰らいながらも這い上がり、”受けの名手”とも謳われたレスラーも、やはり”生身の人間”だった、という事を今回の件で思い知らされた気がします。されど、その反面、「これこそが”プロレス”なんだ!」と胸を張って言える気もする事も確かでしょう。”格闘家”と呼ばれる人はこういう事を絶対に避けますからね。そういう意味でも、”プロレスラー”とは”格闘家”を超えた存在だといえるのではないでしょうか。

されど、この件によっておそらく世間から”問題視”される事は必定。”競技”なのか”エンターテインメント”なのかを本格的に”議論”されるようになるでしょう。そういった意味で、武藤を中心に全日本、新日本、NOAHの首脳が集まって”プロレス統一機構”を検討しているとか。確かに、三沢光晴という”偉大なレスラー”を失ったのは非常に残念です。でも、今回の三沢の”死に方”を”全面否定”する事も果たして正しいと言えるのだろうか?「 ”プロレスラーの中のプロレスラー”が、もっとも”プロレスらしい死に方”をした!」 それでいいんじゃないでしょうか。これは、決して”他の格闘技”、ひいては”他のスポーツ”では決してできない事ですから。これによって、”プロレス=八百長”なんて軽々しくは言えなくなるだろうし。

”21世紀”に入り、世間的には”K-1”、”PRIDE”といった”格闘技ブーム”が起こり、”日本プロレス界のカリスマ”と言われたアントニオ猪木までもがこの”格闘技ブーム”に翻弄される中、断固として”プロレス”を守り続け、”プロレスの真髄”を貫き通した”偉大なプロレスラー”三沢光晴に、心のそこからこれまでの”敬意”を表するとともに、ご冥福をお祈り申し上げます(合掌)
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  1. 2009/06/20(土) 12:43:04|
  2. プロレス|
  3. トラックバック:1|
  4. コメント:3
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コメント

こんにちは!ホント何度も危険な技を食らっても這い上がってきた三沢だけに信じられないんですよね。

この件に関して、世間の反応がデカイですね。「プロレスを幅広く広めたい」と願っていた三沢ですが、自身の死でそれが起きたという。嬉しくもあり悲しくもある・・・複雑ですね。

ご冥福をお祈り申し上げます。
  1. 2009/06/22(月) 14:08:17 |
  2. URL |
  3. H.T #-
  4. [ 編集]

 4月、札幌のNOAH興行で秋山vs潮崎のGHCの最中、ひな壇席の最後部(その席と二階席に空間がある)に座っていた私の背後に呼吸の音が聞こえて振り返ると、そこに三沢がいました。
 多くのレスラーがその試合を見つめている中で、たまたま偶然、私の後ろに三沢がいたんです。

 その呼吸の音が止まってしまった。

 そういうことですよね。


 格闘家はこういうことを避けるというよりも、ルールがそうなっていないんですよね。選手の生命や安全を第一に考えるように整備されています。
 だからゴールデンタイムに放送できるという部分もあります。
 まぁ、折れたり、落ちたり、血が流れたり、4秒で終わったりする事故もありますが、それはそこで終わるのでそれくらいは大目にみることができるでしょうし。

 プロレスは格闘技よりもイージーだというイメージは世間にはあるかもしれませんが、放送局にしてみれば予期せぬ出来事が起こる確率はずっと高いリスキーなコンテンツ扱いだと思います。
 曖昧が許された時代と、ルールがハッキリしているのが良しとされる時代、その時代の違いが今のプロレス界が世間の日の目を見ない原因だと私は思っています。

 いかにギリギリの線で迫力を出しながらその線を越えないかと言う部分を綱渡りするのがまたプロだったりするんですが、三沢のプロレスはその線を敢えて踏み越えることで人間の勇気の素晴らしさを表現していたからファンを大熱狂させることができたし、それ故にブレーキを掛けられずに全力疾走で走り抜けるように命を燃やし尽くしてしまいました。
 ファンとして、正直、あまりのカッコ良さに身震いするほどですが、人間として考えた時には「そこまでする必要はあったのか?」という疑問は絶対に残ります。

 あって無きが如しですがプロレスにも10カウントルールはありますが、基本的に意識が飛んでも止めないし、動かなくなるまでドクターチェックも入りません。

 じゃあそういう部分を改善したら、プロレスはプロレスである意味が無くなってしまいますし。
 
 小橋のガンは如何ともしがたいですが、若い頃にウィリアムスのバックドロップで首の骨がズレたのに翌日に試合をしたとか肘や膝の異常に関しても、高山の脳梗塞に関しても、そういうのを乗り越えてリングに立っているという「死線を乗り越えた歴史」を背負っているレスラーはもともとの輝きの他に違う輝きのオーラをまといます。

 三沢はその代表格でした。
 三沢はいつでも傷だらけでした。そして、それでも強い三沢であり続けた。
 
 その存在は私にとってはリング上での死によって「神」に変わったと表現できるほどの衝撃でした。

 死んでも、ここに確かに在り続ける。
 そんな不思議な感覚です。
  1. 2009/06/23(火) 05:44:58 |
  2. URL |
  3. フクフク丸 #oKAhFFW.
  4. [ 編集]

プロレスラーは”超人”だ!

僕が、”プロレス”に大きくのめりこんだ最大の要因は、やはりプロレスラーは”人間離れ”している、つまり”超人”なんだからだと思います。

”バックドロップ”、”ブレーンバスター”、”パイルドライバー”、といった”危険技”を何度も喰らっても立ち上がり、翌日には何事もなかったように戦っている。通常の人間では真似できないような、巨大なダンプないしバスをロープで引っ張ったり、通常の人では不可能なぐらいの量の食事や酒を飲む。こういった事が出来るのであれば”強い”のは当然だ!そう信じて疑いませんでした。

そんな”超人”もやはり”人間”である。力道山も”ヤクザ”に殺された。ジャイアント馬場は”ガン”で死んだ。ジャンボ鶴田は”B型肝炎”で亡くなり、ブルーザー・ブロディは一応”三流レスラー”に刺されて死んだ事になっているが、実は”マフィア”に殺された可能性が高いとの事。エリック兄弟は、不可解な”連続自殺劇”。それから、橋本真也は”脳幹出血”で死去。冬樹弘道は”ガン”で死去。そして、三沢はマット上で斎藤彰俊の”バックドロップ”を喰らって死んだ・・・。”プロレスラー”は決して”不死身”ではないんだ! だからこそ、あそこまでの”離れ業”をやる事に”凄み”を感じるのだと思います。

”格闘技”であれば、”骨折”は致命的で、特に”両足骨折”なんかしようもんなら即”引退”と相成るでしょう。でも、”プロレスラー”はそれでも”復帰”して”チャンピオン”にまでなってしまう。まさに”神業”ですね。それをやり続けて”リング上”で死ねれば”本望”なのではないでしょうか。

生きながら既に”魂”を失った猪木と違って、三沢は死んでも”魂”はまだ残っていますからね。
  1. 2009/06/23(火) 23:02:02 |
  2. URL |
  3. スーパーpsy野神 #5FAMoxZ6
  4. [ 編集]

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三沢の訃報に驚いた・・・

 三沢が亡くなった・・・昨日の夜に友人や、ブログを見に来てる方の教えてもらったりして知ったんですが、驚きましたね。スポナビをさっ...
  1. 2009/06/22(月) 14:01:58 |
  2. 日刊H.T

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