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奈良・飛鳥の旅

5月4日、5日1泊2日で奈良の飛鳥地方へ旅行へ行ってまいりました。本当はフジテレビ系テレビドラマ「鹿男あをによし」というドラマの影響から去年行こうと思っていたのですが、やはりテレビの影響のせいか去年は全く予約が取れない状態だったので、今年行く事にしました。

10年程前に一度行った事があるのですが、その時に周らなかった所を中心に今回行く事にしました。しかし、10年前の記憶の一部始終を覚えている訳ではありませんので、京都から奈良まで思ったより遠かったですね。ほとんどいっぱいいっぱいの状態でJR奈良駅から桜井線に乗り換えて柳本という駅に向かいました。柳本駅を降りてしばらく歩くと今回のお目当ての一つである”黒塚古墳”に到着。

黒塚古墳





  
黒塚古墳

黒塚古墳石室






黒塚古墳石室

”黒塚古墳”は、3世紀後半~4世紀前半に作られたとされる”古墳時代前期”の古墳で、全長約130m、高さ役1mの比較的小さな古墳ですが、石室の中からは”邪馬台国”の所在地の手がかりとなる可能性のある”三角縁神獣鏡(縁の断面が三角形で中央部に神や獣が描かれた銅鏡)”が多数発掘された考古学上非常に重要な古墳です。

三角縁神獣鏡






三角縁神獣鏡

”邪馬台国”と”卑弥呼”についての記述が残っている唯一の歴史書「魏志倭人伝」の中に、”三角縁神獣鏡”を倭国の使者に多数渡した、との記録が残っている為です。隣接している資料館には復元された石室や多くの銅鏡等が展示されていました。

黒塚古墳を後にすると、国道を渡った所にある”行灯山古墳(第10代天皇(事実上の初代天皇という説もある)崇神天皇陵)”へ行きました。こちらは、全長220mとそこそこ大きな古墳でした。

崇神天皇陵






崇神天皇陵(行灯山古墳)

そこから、桜井方面に向かう”山の辺の道”へ入り、その道を歩く事にしました。しばらく歩くと、”渋谷向山古墳(第12代・景行天皇(実在したかどうかは不明)陵)”があり、もう一つの目当てである”箸墓古墳”へと向かいました。

箸墓古墳






箸墓古墳

”箸墓古墳”は、”卑弥呼の墓”という噂のある古墳で、全長287m、高さ30mという結構大きな古墳で、3世紀中頃に作られた古墳の中では極めて古いものだそうです。しかし、表向きには大物主命の妻である倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)とされ、近くに”資料館”らしきものもなければ、当然中に入れる訳ではありませんので、その”真相”を探る術は何もないまま先へと進む事にしました(悲)

それから、比較的小さな円墳である”ホケノ古墳”に立ち寄ってから、大和を代表する”聖なる山”三輪山の方へと足を進めました。

三輪山






三輪山

三輪山の麓には三つの神社が鎮座し、まずは”元伊勢”と呼ばれる”檜原神社”へ参拝し、次に”狭井神社へ参拝し、そして三輪山を”御神体”とする”大神神社”で参拝する事にしました。ちなみに、三輪山は”人工山”、すなわち”ピラミッド”という説もある山だそうです。

大神神社






大神神社

”大神神社”は、”大物主大神”を主祭神とし、日本国内において最も古い神社、と言われております。”三輪山信仰”は縄文、弥生時代にも遡ると言われ、その頃の”原始宗教”の名残がこの神社には色濃く残されているようです。

それから、すぐ近くにある聖徳太子が創建したとされる平等寺等に立ち寄り、桜井駅へ向かったのですが、ここからの道のりがものすごく長い! ”ガイドブック”に乗っている地図で見るよりも距離が長いので、駅の近くで何度も迷い、挙句駅に付いた頃には午後6時大分過ぎていました(泣) 

桜井駅から近鉄線で大和八木駅で乗り換えて、橿原神宮駅まで向かいました。そして、6時40分頃にようやく橿原神宮駅に到着! その付近の駅で一泊いたしました。

翌日、朝食を済ませてから8:30頃にホテルを出発したのですが、まだ時間が早いせいか”レンタサイクル”の店はやっておらず、しかも天気も今にも雨が降るような感じでしたので、結局歩いて観光する事にしました。

まずは、駅名にもなっている”橿原神宮”へ行く事にしました。”橿原神宮”とは、”初代天皇(あくまでも伝説上)”である神武天皇の”宮”がかつてこの付近にあったとされ、その神武天皇を祀るために明治天皇が明治23年に創建したものです。”神宮”と名のつく通り、その規模は、”伊勢神宮”や”明治神宮”に匹敵する程でした。

橿原神宮






橿原神宮

今回は、あくまでも前回に行かなかった所へ周る予定でしたので、石舞台古墳、飛鳥寺跡、飛鳥板蓋宮跡、高松塚古墳等には寄らず、藤原宮(藤原京)跡へ向かいました。道中からは、左後方に橿原神宮の背後にそびえていた畝傍山(うねびやま)、右側には天香具山(あまのかぐやま)、前方には耳成山(みみなしやま)、といった”大和三山”が姿を現していました。これらも”三輪山”同様、”日本ピラミッド”の一つと言われております。

畝傍山







畝傍山

天香具山






天香具山

耳成山






耳成山

”藤原宮(藤原京)”とは、持統天皇の時代に中国の都城を模して築いた日本最古の都城で、平城京、平安京等の条坊制(所謂”碁盤の目”状の造りの物)を布いた”中国風都城”だったようです。現在は、”大極殿”の土盛の部分が残るのみで、ほとんどが”更地”になっております。

藤原宮跡






藤原宮跡

”藤原宮跡”を後にすると、今回の3つ目の”目当て”であった”古代日本のチーズ・蘇”を販売している「西井生乳加工販売所」へと向かいました。次第に”雨脚”が増し、しかしながら傘を”コインロッカー”の中へ置いてきてしまった為に”ずぶ濡れ状態”でしかも”徒歩”で先を進む事にしました。

ようやく、「西井生乳加工販売所」へ到着し、そこでお目当ての”蘇”と、同時に当店でお勧めだった”生キャラメル”を買い、この店の裏側にある”天照大神の天の岩戸隠れ”に由来する”天岩戸神社”という古びた神社で参拝した後、今度は飛鳥の遺跡の”調査資料”や数多くの”レプリカ”が展示されている「飛鳥資料館」へと向かいました。

”資料館”の内部には、”高松塚古墳”、”キトラ古墳”の発掘調査、壁画復元に関する”調査資料”や、”水落遺跡(古代の水時計)”の模型、飛鳥地方の数々の寺院跡の”調査資料”、それから、縄文時代から飛鳥時代にかけての様々な”発掘物(土器、石器、鉄器、埴輪、装飾品等”が展示され、資料館の庭には、酒船石、益田岩船、石人像(噴水石)、亀石、数多くの猿石等のレプリカが展示され、中でも”水道施設”に用いられていたと思われる酒船石、益田岩船、石人像(噴水石)等は実際に水が通されていました。”飛鳥時代”に既にこのような”水道設備”が存在し、しかも”巨石文化”が盛んで、更に”石神像”に刻まれた顔がどう見ても”異国風”の顔立ちをしている事から、テレ東系の「新説!?日本ミステリー」では”蘇我氏=ローマ人説”が取り上げられていたぐらいですからね。

酒船石






酒船石

石神像(古代噴水)






石神像(古代噴水)

亀石






亀石

猿石






猿石

「飛鳥資料館」を出た後、まだ”心残り”はあるものの”時間”の関係上そそくさと橿原神宮駅へ向かい、午後2時近くにようやく駅にたどり着き、”昼食”をとっとと済ませると、新幹線の待っている京都へ向かい、今回の旅行はこれをもって”終了”となりました(終)

P.S.:ちなみに”蘇”の味ですが、”カマンベールチーズ”を濃厚にしたような味で、意外とおいしかったです(笑)
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