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サザン・オールスターズの軌跡

久しぶりに”音楽ネタ”を書きたいと思います。

今月20日に「2009年以降の活動を休止する。」と発表したサザン・オールスターズ。これまでも、原由子の”産休”の際や、各々のソロ活動のために”活動休止”をした事はありましたが、今回の件は”ワイドショー”等でも必要以上に報道されていた事から、事実上の”解散宣言”に近いものなのでしょう。もっとも、「必ず戻ってくる!」と言ってはいても、考えてみれば正式に”解散宣言”して本当に”解散”したグループなんて本当に数えるくらいしかいませんからね(笑) いつでも復活できるように便宜上”活動休止”という言葉を使用して事実上”解散”したグループは結構いますからね。

そんなサザン・オールスターズは、今でこそ”売れ線ポップスグループの大御所”というイメージが強いですが、彼らの”デビュー当時”は本当に”衝撃的”だったのは今でも忘れません。小学生の時、それまで”アイドル歌手”ぐらいしか興味なかったのが、当時の”ニューミュージックシーン”の中にあって本当の意味で”音楽”というものに興味を持つようになったきっかけを作ったグループの一つである事は間違いありません。そして、そうしたアーティストの中にあってもっとも”インパクト”が強かったのがサザンであった事は言うまでもないでしょう。当時は、本当に何を歌っているのか全然聞き取れなかったし、それに「僕は今ノイローゼに悩まされています。」と言って「ザ・ベストテン」等の当時の歌番組の中で様々な”奇行”を起こしていましたから(もっとも、これが”ガチ”だったのか、売り出しのための”演出”だったのかは定かではありませんが(汗))。しかし、彼らの3枚目のシングルである名曲「いとしのエリー」でそれまでの”狂気?”なイメージを一気に払拭したのは確かでしょう。

サザン・オールスターズ・・・1975年、当時青山学院大学の音楽サークルで活動していた桑田圭祐を中心にその”前身バンド”結成され、何度か”バンド名”と”メンバー”を変えた末、桑田の友人が風呂の中で思いついた”サザン・ロックとファニア・オールスターズ(ニューヨークのサルサグループ)を組み合わせた”という意味で「サザン・オールスターズ(当時は桑田圭祐&サザンオールスターズ)」という名前に決定し、その後更にメンバーチェンジを繰り返した後、1977年にアマチュアバンドのコンクール「ヤマハEast West77’」に出場し桑田が「ベストボーカル賞」を獲得。この時に、桑田(ヴォーカル、ギター)、大森隆志(リードギター、2001脱退)、関口和之(ベース)、原由子(キーボード)に更に松田弘(ドラムス)、野沢秀之(パーカッション)が加わり”デビュー時”のメンバーに固定。そして、1978年6月25日にシングル「勝手にシンドバット」でデビュー。続いて、同年11月25日に2ndシングル「気分次第で責めないで」を発売。そして、翌年の3月25日に3rdシングル「いとしのエリー」を発売し”大ヒット曲”となるが、5thシングル「C調言葉にご用心」を発売した後”多忙”を理由に活動を緩め、それによって一時人気が低迷に。しかし、それを挽回すべく1982年に発売された14thシングル「茶この海岸物語」を発売し”大ヒット”を生んだ事によって再びサザンに”スポットライト”が当たるようになります。そして、ここから”夏向け売れ線ポップグループ”の代名詞へとなっていきます。更に、これを機に桑田と原由子が”結婚”する事になります。

1985年、初の2枚組アルバム「KAMAKURA」を発売し、「第27回日本レコード大賞 優秀アルバム賞」を受賞するも、桑田の妻となった原由子の”産休”を理由に一時活動を休止。以降は、それぞれ”ソロ活動”を始めますが、桑田はその間”KUWATA BAND”を結成し、デビュー曲「BAN-BAN-BAN」等の”ヒット曲”を次々と発売します。そして、1988年6月25日に活動再開し、24thシングル「みんなのうた」を発売。翌年6月7日に発売された「さよならベイビー」が彼らにとってシングル初の”オリコンチャート1位”となる。それから、92年7月21日に発売された「シュラバ・ラ・バンバ/君だけに夢をもう一度」、「涙のキッス」が2枚同時発売され、サザン初、いやオリコン史上初のシングル初登場1位、2位となる。更に「涙のキッス」が彼らのシングル初の”ミリオンセラー”となります。翌年発売された32ndシングル「エロティカ・セブン」が記録的な”ヒット”を生みます。しかし、ベースの関口が病気療養のためサザンは再び活動を”休止”し桑田が”ソロ”として活動する事になります。

95年、ベースの関口が病気療養から復帰し再び活動を再開。その後「あなただけを~Summer Heartbreake~」、「愛の言霊」等が”ミリオンヒット”となり、アルバム「Young Love」が過去最高のアルバム売上を記録する。しかし、その後発売されたアルバム、シングルは伸び悩んだが、2000年1月26日に発売された「TUNAMI」が現時点で293万枚の売上を記録し、”オリコン歴代シングル売り上げランキング3位”に付くほどの”記録的ヒット”となる。その年の夏に地元茅ヶ崎市住民の”署名運動”によって実現した2日間の野外ライブ「茅ヶ崎ライブ~あなただけの茅ヶ崎~」を行う事になるが、その後、リードギターの大森隆志が独立のために脱退。再びバンドは”活動休止”へ。そして、2003年6月25日に”25周年”を迎えその記念としてデビューシングル復刻版CD「勝手にシンドバッド 胸騒ぎのスペシャルボックス」を発売した後、7月23日に再び活動を再開。しかし、2007年桑田の”ソロ活動”により再び”活動休止”となります。

そして、今年の6月25日に”デビュー30周年”を迎える事になるが、その為の”シングル発売”、”ライブ”などの活動・プロモーションの発表と同時に2009年以降の”無期限活動休止”を宣言するに到ります。

ざっと、これがこれまでのサザン・オールスターズの”軌跡”となりますが、正直僕にとってのサザンは「C調言葉に御用心」まで。いや、「チャコの海岸物語」以降でもせいぜい「Bye-Bye My Love」まで。「メロディ」以降はどうも・・・(汗)って感じです。ですから、今更”活動休止宣言”された所で「へぇ。」というのが僕の正直な感想です。何か、この曲から以前のサザンが持っていた”エキセントリック”な雰囲気が消えうせ、ただただ”売れる曲”を作っている、という印象が強まったのは事実。その後、”ソロ活動~活動休止”が相次いだのもそういったものが要因ではないでしょうか。でも、”事務所”や”レコード会社”にしてみれば一度”売れる曲”が出てしまえばその”路線”を続けてもらった方が通剛が言い訳で、これが”ミュージシャン”にとっての最大の”ジレンマ”となるのは事実。でも、”ネタ”が尽きれば”充電期間”も必要な訳ですから、”30年”も続けただけあって、そろそろ”各々の道”へ歩みだすのもいい事だと僕は思います。

サザンオールスターズ

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  1. 2008/05/24(土) 19:42:09|
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  4. コメント:3
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コメント

衝撃!なのでしょうか・・・実際?

 サザンの活動はかなり限定的になってましたし、このところ何年かに一度シングルを出す程度でしたよね。
 わざわざ宣言しなくてもほとんど活動休止状態だったような気がするのですが、今回の宣言はファンへの誠意なのだと勝手に解釈してます。

 私は、ホンット幼少の頃に父が運転する車のカセットテープに「ボディスペシャルⅡ」が入っていた思い出がありますが、何を言っているのか分かりませんでしたので、その後、高校までサザンとは無縁のところにいました。

 高校時代に「稲村ジェーン」が流行ったあおりで聞くようになりました。「希望の轍」を聞くと気分が17歳に戻ります。

 戻りますが、残念ながら楽しい思い出がありません・・・(泣)
  1. 2008/05/26(月) 12:06:44 |
  2. URL |
  3. フクフク丸 #oKAhFFW.
  4. [ 編集]

あれ?

 な?
 なぜにコメント欄が赤い文字に??
  1. 2008/05/26(月) 12:07:34 |
  2. URL |
  3. フクフク丸 #oKAhFFW.
  4. [ 編集]

申し訳ございません(謝)

”ブログランキング”のアドレスが間違っていたために”不具合”が起こったようです(汗)

年齢的にも”50歳”を上回り、体力的にも厳しくなってきたし、それぞれ自分のしたい事も出てきたでしょうから、活動も”限定的”になってしまったのだと思います。そういう意味でも、今回の”活動休止宣言”は事実上の”解散宣言”に近いものなのでしょう。ただ、これまで多くのグループが”解散宣言”したにもかかわらず”復活”してますから、いつでも復活出来るようにあえて”活動休止”という表現を使っているのだと思います。

僕にとっての”サザン全盛期”は小学校4年生ぐらいの時までのシングルで言うと「C調言葉に御用心」までと、「チャコの海岸物語」から「Bye-Bye My Love」ぐらいまでで、それ以降はどうも”売れ線志向”が強まり、高校2年の時に原由子の”産休”のためにバンドは”活動休止”し、代わりに”KUWATA-BAND”で活動していましたね。でも、その頃は正直興味がなくなっていたのは田島です。
  1. 2008/05/31(土) 10:05:37 |
  2. URL |
  3. スーパーpsy野神 #5FAMoxZ6
  4. [ 編集]

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