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寂しい葬儀

人の死・・・、それはまず様々な”死に方”があります。”老衰”、”病死”、”自殺”、”殺害”、”事故死”・・・等。そして、その時の周囲の状況も、また様々です。家族に囲まれての”大往生”、多くの家族・親戚、友人・知人が泣き叫ぶほどの”ショッキング”な死(特に自殺、殺害、事故死等)、そして、問題なのはそういった”家族”や”友人”にもほぼ見放された状態で死を迎える”孤独死”。誰にも気が付かれないままひっそりと”死”を迎えてしまう、はっきり言って寂しい限りです。しかし、今こういったケース結構増えているようです。

先週の金曜日、脳の”難病”を患ってしばらく我が家で預かっていた叔父が、入院先の病院でひっそりと息を引き取りました。まだ、57歳という若さです。その叔父は、大分前に”離婚”をし、”病気”のために会社も退職しているため、結局、昨日行われた”通夜”及び本日行われた”葬儀”に参加したのは親戚の叔父と叔母含めてたったの6名。ある意味、凄く悲しい葬儀でした(涙)

僕は、そもそも身内の”葬儀”に参加したのは14年前の祖父がなくなった時と今回の”2度”しかないのですが、前回とは人数的にも雲泥の差があって、余計”物悲しさ”を感じましたね。前回の場合は”葬儀”であるにもかかわらず、あまりにも”盛大”過ぎて”葬儀”という感じではありませんでした。しかし、今回の葬儀は、人数も少ないせいか”寂しさ”がヒシヒシと伝わってきました。

人の死の”タイミング”・・・、”絶頂期”に死んだ方がいいのか、それとも仲間から忘れ去られた頃にひっそりと死んだ方がいいのか、正直どちらがいいとも言えませんが、昨今のように”家族”あるいは”仲間”という意識が非常に薄まった時代、”後者”のような死が今後増えていくのは必至だと思います。そんな中、未だに”独身”である自分は両親が死んだ時にどのように見送ったらよいか未だにわからない状況ですし、自分が”死”を迎えた時にどのように見送ってもらえるのかも気がかりではあります。

そういった意味で、一つ感じた事は、生きている内に出来るだけ多くの人と触れ合っておくべきだ、という事ではないでしょうか。
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  1. 2007/11/13(火) 20:01:41|
  2. 雑記|
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  4. コメント:2
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コメント

30代、思うところあり。

 年齢的なものでしょうか、私は身内の葬儀も然ることながら、知り合いの縁者の葬儀に出席する回数が増えてきました。

 やはり田舎ですからそういう儀式の出席率は結構高く、毎回同じような顔ぶれが勢揃いします。それでも「盛大な葬式とは思えないような式」や「会場がガラリとしている寂しい式」があります。

 人間として生きることができる時間にどう生きたか、どう世間と関わってきたか、触れ合った人たちに何を残してきたか、それをその人から派生した人たちがどう広めたか という部分が関係してくるのかも知れませんよね。

 「死んでから後悔しないように生きる」と言いますけれど、私は死んでから後悔なんてできないと思っています。
 だから「死ぬ間際に笑えるように生きたい」と思っています。
 
 人生を上手に生きられる人、そうじゃない人、全ての関わりを拒絶して生きる人、見捨てられる人、色んな人がいて、色んな選択があって、色んな人生があります。

 私は、自分が寂しがりやだということを痛烈に実感していますので、寂しくならないように、周りの人がそういう切ない思いをしないように、できることをできるだけするように心がけています。

 「自分は寂しがりや」という真実が深く胸に刻まれる何かが起きた時に、本当の意味での仲間の大切さや、くだらない事で好きだ嫌いだ言い合いしている愚かさ、人の温かさを痛烈に思い知るのだと思うのです。
 そして「自分に何ができるか」も真剣に考えるようになると思うのです。

 生きましょう。野神氏。
 この叔父さんの生き様、死に様を胸に焼き付けて。それが何よりの供養になると考えます。  
  1. 2007/11/16(金) 05:04:00 |
  2. URL |
  3. フクフク丸 #oKAhFFW.
  4. [ 編集]

限られた人生の中で・・・

思う存分生き抜くためには、最終的には何をすればいいのか?という事を常に考えながら、その目標に向かって精一杯生き抜くしかないのでしょう。

むろん、変にかしこまった”目標”を持たないまでも、人生には必ず”終り”があるわけだから、その限られた範囲の中で 自分の思うままに生きられればそれでいいのでしょう。

しかし、そこには必ず何かしらの”障害”が訪れる事も考慮には入れなければなりません。もし、そういった”障害”が訪れた際に、それをどう乗り越えるか?が人生最大の”課題”なんだと思います。そういった”障害”をなるべく招かないように用心深く生きるのも良いし(自分はこれに近いが)、そういったものを恐れずに常に”目標”に一直線の生き方をするのも良い。

そして、万が一何らかの”障害(事故、事件、病気等)”が訪れた場合、そこで挫折するのではなく、そこから出来る範囲で自分なりの”生き方”を見つけ出して最後まで生き抜く事こそが”人生”における最大の”使命”なのだと思います。

叔父がかかった原因不明の”難病”は、誰にでも起こり得る病気であり、もし自分がそんな病気にかかったらどうしよう?という不安に時々襲われる事があります。でも、それを気にしてたってらちがあかないし、かかったらかかったでしょうがない訳だから、とにかく病気になろうがならなかろうが、一生懸命生き抜く事に精進したいと思います!
  1. 2007/11/18(日) 12:53:31 |
  2. URL |
  3. スーパーpsy野神 #5FAMoxZ6
  4. [ 編集]

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