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日本を沸かせた外人レスラー③ 大型ファイター

”外人レスラー”の中でも、見るからに”強い”と感じさせたレスラーこそ”大型パワーファイター”に他ならない。ただ、”大型ファイター”と言えど、”ピン”から”キリ”まである。ただ”デカい”というだけで、”体”若しくは”力”まかせの”大型レスラー”が山ほどいた事は確かだ。しかし、その中でも”上手さ”も兼ね備えた者こそ、真の”大物レスラー”になれた事は言うまでもない。
ブルーザー・ブロディ、スタン・ハンセン、アンドレ・ザ・ジャイアント、ハルク・ホーガン・・・、彼らは日本でも有名な”大型ファイター”の代表格と言っていい。しかも、彼らは事実上ここ”日本”でビッグになったと言っても過言ではない。それゆえか、彼らの多くは”世界チャンピオン”には中々手が届かなかったのだ。”プロモーター”と喧嘩して団体追われたり、”チャンピオン”になったと思いきや、いろいろと”難癖”をつけられ”幻の王者”となったり、と”強すぎた”ゆえに”世界のベルト”には恵まれなかった。
そんな中、初めて”世界のベルト”を巻いたのが、猪木を倒して”初代IWGP王者”となり、やがてニューヨークの”WWF”に移籍し、当時の王者アイアン・シークを破り”第12代WWFヘビー級(後に”世界”の文字が復活)王者”となったハルク・ホーガン。以来四年間もベルトを保持し、しかも五度も”王者”に君臨している。その後、”WCW”転身後も、リック・フレアーを破り”王者”となっている。2団体の”世界王者”となっているのだ。ホーガンがここまで”ビッグレスラー”になる事が出来たのも、新日本プロレス、そしてアントニオ猪木のおかげと言っても過言ではないと思う。アメリカでもその”実力”が認められていたアントニオ猪木を”実力世界一決定戦”と謳われた”第一回IWGP決勝戦”で破った功績はいかに大きかったか、という事がハンセン、ブロディ、アンドレとの”差”につながったのではなかろうか。確かに、理由はそれだけでなく、当時の猪木とWWFとの関係によるものもあっただろうし、その頃父から”WWFオーナー”の座を譲り受けたビンス・マクマホンJrが、”他団体(NWA、AWA)”のような”伝統”や”権限”にしがみつく方針をとらず、素直にホーガンを”スター”として売り出し”経営拡大”を図った事も、”世界王者ハルク・ホーガン”の誕生につながるだろう。その後の、NWA、AWAの”失墜”もこういったWWFの”新戦略”が要因になっているのではなかろうか。
ホーガンが”第一回IWGP”で猪木を”アックスボンバー”で葬った際、猪木が下を出して動けなくなったシーンは本当に”衝撃的”だった。今となっては、「あの状態で”失神”はありえない。」とか「ホーガンに”華”を持たせる為の”大芝居”だ。」だの言われているが、それでもあの”アックスボンバー”の威力は”本物”だったし、仮に”ヤラセ”だったとしたら、”第一回IWGP”という”大舞台”では、何が起ころうとも猪木が優勝しなくてはおかしい。いずれにしても、その時の”優勝者”が猪木ではなくホーガンだった、と言う事自体が”快挙”である、と言うべきではなかろうか。

日本のファンに度肝を抜かせた”大型外人レスラー”としては上げられるのは、まず身長188cm、体重304㎏の兄ベニーと、身長188cm、体重292㎏のマクガイヤー兄弟、それからバスを引っ張る、といった”デモンストレーション”で名を轟かせたグレート・アントニオ。そして、身長223cmという馬場をも超える”大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントである。
アンドレは、ただの”怪物レスラー”に留まらず、その後も”日本マット常連外人”として、日本のファンにも親しまれた、”名実”を共にした”大物レスラー”であろう。彼は、ただ”デカい”だけのレスラーではなく、”下地”のしっかり出来ていたレスラーであった事は間違いない。彼がリングに入場してくる際、実況の古舘アナが「一人民族大移動」と叫んでいたのが非情に印象深い。彼の入場は、まさに”民族移動”そのものだった。また、彼がトップロープを軽々とまたぐ姿もこれまた印象深い。
そして、”第1回IWGPトーナメント”でのスタン・ハンセンとの試合は”壮絶”なものがあった。ハンセンがあの”大巨人”を”ボディスラム”でマットに叩き付けた際には、「リングが壊れるのでは!?」と、誰もが心配したようだ。
しかし、”’86IWGP王座決定リーグ戦決勝戦”において、猪木と”一騎打ち”の末、”変形腕固め”によって”不敗神話”に終わりを遂げた訳である。
その後、”ジャイアントマシーン”→”WWF”→”全日移籍”を経て、’93年地元パリにて”急性心不全”の為この世を去ったのである。

スタン・ハンセンとブルーザー・ブロディ。共に、”全日本プロレス”を代表する”大物外人”であり、また”プライベート”でも”親友同士”であった。
”超ミラクルパワーコンビ”として、”PWFタッグ王者”に君臨するなどの”名タッグチーム”である傍ら、”シングル”の方でもかなりの”強者”であった。

スタン・ハンセンは、事実上”新日本プロレス”、いやはっきり言ってしまえば”アントニオ猪木”に育てられたと言っても過言ではない選手だ。ブルーノ・サンマルチノの”首”をへし折った、と言われる事件で彼は一躍”有名”となり、やがて”新日マット”で猪木から”NWF”のベルトを奪うなどの”好勝負”を繰り広げ、またアンドレ・ザ・ジャイアントとの”超度迫力”の試合もやってのけた。
やがて、”親友”のブロディから勧誘される、という形で”全日本”へ移籍すると、”シングル”では、馬場から”PWF”のベルトを奪い、”タッグ”でもブロディと共に”初代PWFタッグ王者”となる。
ブロディの”新日移籍”後は、”タッグ”ではテッド・デビアスを新たな”パートナー”として迎え、やはり”PWFタッグ王者”に君臨し、シングルでは馬場に奪い返された”PWF”のベルトを再び取り戻し、更にはリック・マーテルを破って”第35代AWA世界ヘビー級王者”にも君臨する。しかし、彼に叶う相手は他にはおらず、結局”プロモーター”の陰謀によって、理不尽にも”剥奪”されるのである。
その後も、ハンセンは”全日本マット”を主戦場に、”外人エース”として大いに暴れまくった訳だが、’01年、膝の悪化を理由に現役を引退した。しかし、その後”PWF会長”として”プロレス界”には復帰。馬場、鶴田亡き後、今の全日を”陰”で見守る”唯一”の存在であろう。

一方、ブルーザー・ブロディはというと、”表向き”には大きな”実績”はあまり残してはいないが、事実上”外人最強”と謳われるレスラーである事は事実であろう。彼が何故表立った”実績”を残せなかったか?、というとそのあまりもの”強さ”と”プライドの高さ”によるものであろう。それによって、多くの”プロモーター”と”トラブル”をおこし、各地を転々としていたからだ。だから、何度も”NWA世界王者”に成りかけのに、いろいろと”クレーム”をつけられ”幻の王者”に終わってしまうのである。
日本では、初めは”全日マット”の”エース外人”として猛威を振るっていた。”インターナショナルヘビー級”のベルトを三度巻き、鶴田、天龍との”好勝負”を広げ、”タッグ”の方でもハンセンとの”ミラクルパワーコンビ”で、”世界最強タッグ”に優勝したり、”初代PWFタッグ”のベルトも獲得した。
しかし、’86年突如”新日マット”に乱入。”電撃移籍”。そして、猪木との”直接対決”では、結局”決着”が着かず、同年の暮れの”IWGPタッグリーグ戦”の”決勝戦”をボイコット。その後、一度だけ”新日マット”に復帰したが、結局は途中でボイコット。理由は、「提示したギャラが金額通りに支払われていない」との事。その”真相”は良くわからないが、当時の”台所事情”からすれば全日の方が遥に上であったろう。そこら辺の”両団体”の”ギャラ”の違いも関係していたのであろう。
ブルーザー・ブロディの言うレスラーは、とにかく”プライド”の高い事で有名。それが、様々な団体、プロモーターとの”トラブル”を引き起こし、それによって”米マット”では中々”チャンス”に恵まれず、日本やローカルエリアを”主戦場”にせざるを得なくなったのだろう。こうした、彼の”性格”が災いして、’88年7月、プエルトリコ遠征中、地元のレスラー、ホセ・ゴンザレスが”八百長試合”を申し入れた事で口論になり、ホセにナイフでさされ、そのまま”帰らぬ人”となった。享年39歳。実はこの事件には”裏”があると言われていて、その”殺人現場”を目撃したというあるレスラーの証言によれば「複数犯による犯行。」との事。その”真相”は定かではないが、いずれにしてもプエルトリコの”プロモーター”との”トラブル”が原因である事は確かであろう。

ブロディ亡き後の”大型外人”はというと、全日では、テリー・ゴディ、そしてスティーブ・ウィリアムスが、新日では、クラッシャー・バンバン・ビガロ、ビッグバン・ベイダー、そしてスコット・ノートンが、それぞれ”外人エース”となる訳だが、次第に”日本人同士”のカードが多くなる中、次第にこうした”外人エース”も”脇”に追いやられていくようになってしまった。でも、やはり”強さ”を見るからに体言しているのは”日本人”ではなく”外人”。近年”プロレス”に代わって台頭してきた”K-1””PRIDE”等の格闘技も、”トップクラス”と呼ばれる選手はもっぱら外人。こういった部分も、ここ最近”プロレス人気”が”格闘技人気”に押されてしまっている要因とも言える。
しかし、現在では”武藤体制”の全日本プロレスが、”元WWE”の選手を多く招聘。再び、”日本人VS外人”の抗争を築く事が出来、更に今では”外人抗争”にも発展。やはり、”大型外人”がいてこそ”強いプロレス””凄いプロレス”を感じるのは事実。この勢いで、かつての勢いを取り戻して欲しい!
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  1. 2005/04/29(金) 22:39:40|
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