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歴史上人物トンデモ説②-徳川家康=信玄の隠し子説-

まず、この説を取り上げる前に”家康替え玉説”について語る必要があるでしょう。いくつかの説がありますが、一説には”家康=生臭坊主説”があり、今川義元が”桶狭間の戦い”で敗れると、当時松平元康と名乗っていた家康は今川家から独立。その時に願人坊主なる”生臭坊主”が現れて、やがて、彼が元康を殺した後、名を”徳川家康”と改め、信長と同盟を結んで”天下取りの道”を歩んでいった、という説があり、一説には”家康=影武者”説があり、隆慶一郎著の”影武者徳川家康”の元ネタにもなっていますが、この小説では主人公世良田二郎三郎元信は”関が原の合戦”の折に刺客に殺された家康に成り代わって、合戦後、家康として”徳川幕府”を開いた、としていますが、”元ネタ”の方では、家康が松平二郎三郎元信(後に元康)と名乗っていた頃に影武者となり、”桶狭間の合戦”後、元康が不慮の死を遂げ、それによって二郎三郎がそれに成り代わって”徳川家康”と名乗り、やがて”天下人”となった、としています。でも、実はこれらの話には”モデル”となる話が存在していたんですよ。それは松平氏の事実上の”始祖”である松平親氏のエピソードをそのままなぞったものではないか?と思えるんですよ。まず、氏親の出自が世良田氏である事。氏親が”僧”徳阿弥として三河松平郷の豪族、松平信重の客人となった事と、願人坊主が松平元康に接近した事が似ている事。それと、そもそも”替え玉”になる前の元康の前名が元信であり”二郎三郎”と称していた部分があまりにも出来すぎているし、実は家康の祖父である松平清康も”世良田二郎三郎”を名乗っていた事から、おそらく松平氏の事実上の”始祖”である氏親の”前名”が世良田二郎三郎であり、それが代々受け継がれていたのではないか?と考えられる事。でも、逆にこの氏親のエピソードが家康の”真の姿”を元にしたとも考えられなくはないです。しかし、だとしたら清康が世良田二郎三郎を名乗っていたのは何故でしょう? 僕が思うに、この氏親のエピソードは、”源氏流新田氏出身”という事だけを除けば後は”真実”だったのでは?と思うのですよ。

となると、これまでの”替え玉説”の”信憑性”は疑わしくなるでしょうね。で、こうなってくると、下記の”謙信女説”と同様に”新たな説”が出てくるもんなんですよね。それが、実は家康はやはり”替え玉”で、その正体は実は武田信玄の隠し子だった、とする説です(笑) おそらく、どうしても”家康替え玉説”を主張したい人の言い分としては、家康の”前半生”と”後半生”の性格があまりにも違う、と言う所にあるのでしょう。”前半生”は”律儀”で”実直”であったのに、”後半生”では”タヌキ”になった。でも、おそらく”前半生”も”タヌキ”だったのでしょう。”タヌキ”がただ”猫”をかぶっていたに過ぎなかったのではないでしょうか(笑) 最も、信玄に隠し子がいたとして、近隣の大名であった徳川家を乗っ取るためにこのような策を取った可能性はあるでしょうけど、だとすると、家康の最終的な”家系”が新田氏になるのはおかしいです。同じ”源氏”の家柄である武田氏であれば、むしろ自分の流れに近い説を出すのが筋ですから。

で、じゃぁ、家康の家が元々駿河・遠江の今川と尾張の織田に挟まれた”弱小大名”松平家から両者の”人質”となり、そして、今川義元が”桶狭間の戦い”において信長に討たれた後その信長と同盟を組み、次第に家康自体も大きな力を持つようになり、信長が本能寺で討たれた頃には事実上の”No.2”の地位にいて、そしてその後”天下”を取った秀吉亡き後最終的に”天下”を治めて”徳川幕府260年間”の礎を築く事ができたのか? という部分に家康が元々只者ではなかった、と考える人が多いのは確かでしょう。おそらくその通りです。そして、家康は表向きには”征夷大将軍”になるために”源氏”の姓を名乗っていますが、実際は秦氏の一族だった可能性が高いようです。そこに”替え玉説”と絡めようとする人もいるのでしょうけど、そもそも、家康の”祖先”である松平氏親自体が”秦氏”であれば何の問題もない話なんです。氏親が新田氏の配下の人間であれば、”南朝方”についた事によって”落人”になった可能性は高いでしょう。そして、事実上”無法地帯”に近かった三河に潜入。”朝廷側”にいる秦氏の”本家”と常に連絡を密にし、室町時代中期、室町幕府内が”権力争い”によって不安定になったのを機に氏親の何代か後の当主がの”戦国時代”をプロデュースしたプロジェクトの一員となって”戦国時代”を動かしていったとすればどうでしょうか? となれば、家康もそうした”プロジェクト”の配下にあり、家康の”今川人質”も初めから”シナリオ”が出来ていたのではないでしょうか? そして、”桶狭間の戦い”においては家康は信長とつながっていて、家康が逐一信長に”情報”を漏らしていた事が信長の”勝因”につながった、とも考えられるのではないでしょうか。

そうなると、そもそも家康が”替え玉”である必要はなくなるのです。家康の背後に常に秦氏がいて、そして、何人もの”影武者”が存在した事を考えれば、”替え玉説”が生まれた要因は全て解決されるのではないかと思います。よって、”家康替え玉説”は無かった、というのが僕の考えです。ましてや”信玄の隠し子説”はちょっと出来すぎていると思うんです。
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  1. 2006/11/19(日) 14:12:54|
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