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歴史ミステリー② 義経生存説

今年のNHKの大河ドラマの”主人公”になっている源義経。彼は、一般的な”史実”としては、奥州平泉の衣川の高館にて平泉の当主藤原泰衡の命によって殺害された事になっております(衣川の戦い)。しかしながら、彼にまつわる”生存説”がいくつも存在しているのは事実。中でも、彼が東北地方から北海道へ渡り、やがて大陸に渡ってジンギス・カンになった、とする説があります。

”義経=ジンギス・カン説”の”根拠”としては、両者共に1159年である事。名前の”綴り”が音読みみした源義経(げん・ぎけい)とジンギス・カンが似ている事。どちらも馬を乗りこなし、”戦上手”であった事。”旗”の色がどちらも”白”だった事、等が挙げられます。
しかし、この説に関しては、正直”荒唐無稽”な説にしか思えないのは事実。大体”生年月日”に関しては、日頃の出来事、歴史的事実などを必ず”文章”にして”書物”に記録する風習のあった日本と、文字を使わず”口頭伝承”によって歴史を伝えてきたモンゴルでは、その”信憑性”があまりにも違いすぎます。早い話が、ジンギス・カンが本当に義経と同じ生年月日だったかを示す”物的証拠”がないんです。それに名前の”綴り”にしても、”カン(ハーン)”はあくまでも”長”という官位を表す言葉だから、”経(ケイ)”に匹敵する言葉が見当たらないんです。いずれにしても、この両者は”共通点”の多い”英雄”だけにこのような他愛もない”伝説”が生まれてしまったのでしょう。

が、しかし、となるとやはり義経は平泉で死んだのか? これに関しては、東北各地で彼の”生存説”が残っており、更に彼が立ち寄った”痕跡”さえ残されているとの事です。事実、彼の周りには金売り吉次という”謎の商人"が存在し、影で義経に働きかけていた人物です。となれば、彼もまた”秦氏”という事に成るのか? かつての大河ドラマである「炎立つ」では”物部氏”とされてましたが。いずれも、日本を影で動かしていた一族であった事は間違いないでしょう。そういう人物が彼の周りにいた、という事は”衣川の戦い”をでっち上げて”影武者”の首を頼朝の元に送り、”本物”を密かに逃がす事ぐらいは出来たでしょう。それから、更に言えば、その後頼朝が”落馬事故”で死に、更に息子の二代将軍頼家、三代将軍実朝が殺され、源氏将軍が”三代”で滅んだ事にももしかすると吉次一族が関わっているのではないでしょうか。
それから、義経の”首”が鎌倉に送られてきた時点では、その首はかなり腐っていて誰の首だか判断できなかったようです。それに、どうも平泉当主泰衡は、「義経を生け捕りにせよ」と幕府から命ぜられたのであって、「戦を仕掛けろ」とは言われていなかったようです。であれば、泰衡を信じる義経にわざわざ兵をあげて屋敷を取り囲むような”派手”な事をせずとも、”食事”に誘ってそこに”毒”をもって殺す、という事も出来るはず。こちらの方が容易に事が運ぶし、”首”を傷付けずに済みます。にもかかわらず、何故わざわざ派手な”戦”を仕掛けたのだろうか? これはどうやら”カモフラージュ”と取った方が良いようにも思えます。しかも、”弁慶の立ち往生”についても、実はあれは”人形”だったのではないか、とする説もあるようです。”人形”であればいくら矢をたくさん討ち込まれても倒れる事はありませんからね。
また、義経の首が鎌倉に送られてきた時、その”首実検”には頼朝は立ち会わなかったようです。それどころか、一応義経が泰衡に討たれた、とされているにもかかわらず、その後頼朝は直ちに自ら兵を率いて平泉に出陣しています。そもそも、この頼朝なる御仁は、そうめったに鎌倉の地から腰を上げる事は無かったのです。彼が鎌倉から重い腰を上げ、自ら兵を率いる場合はよほどの事情がある場合。彼は従兄弟である木曾義仲が頼朝に抜け駆けして京に攻めようとした際も、頼朝は自ら兵を率いています。彼は”敵”である平家よりも、同じ一族である”源氏”の方にむしろ”不信感”を持っていたようです。ということは、彼が”奥州征伐”に出陣した真の理由は、”義経生存”を察知したからではないでしょうか。

いずれにしても、”義経=ジンギス・カン説”が”荒唐無稽”な説だとしても、その”源流”に”義経生存説”ひいては”義経北上説”がある以上は、まだまだこの説も生きている事は確かでしょう。

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  1. 2005/06/04(土) 19:18:24|
  2. 歴史|
  3. トラックバック:1|
  4. コメント:4
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コメント

トラバありがとうございます

時代考証大変興味深く拝見いたしました。
夏には鎌倉へ行くかと思いますので、次は頼朝の観点で散策してみます。
  1. 2005/06/13(月) 19:32:43 |
  2. URL |
  3. 生麦 #SFo5/nok
  4. [ 編集]

どうも・・・

生麦さんようこそ! 次は鎌倉ですか。ところで、頼朝の”画像”は現時点では足利尊氏の弟直義のものでは?という可能性が濃厚になってきました。しかし、どうも頼朝というとあの画像の”イメージ”が強すぎるし、今の大河ドラマ「義経」の”頼朝役”が中井貴一なのもあの”画像”をイメージしての事だと思うんです。頼朝の”性格”からするとあの”画像”が物凄くマッチするんですけどね。本当の頼朝の”顔”ってどうんなんだったのでしょうか?
  1. 2005/06/13(月) 21:08:25 |
  2. URL |
  3. スーパーpsy野神 #-
  4. [ 編集]

本当の顔

歴史上の人物の顔は、残された画からでしか読み取れませんから色々と想像できますね。
鎌倉は鶴岡八幡宮、長谷寺、大仏、銭洗弁天などを見てきましたので今年はどこに行こうか思案中です。
来月は琵琶湖にも行くので延暦寺なども巡りたいところです。
  1. 2005/06/14(火) 12:18:39 |
  2. URL |
  3. 生麦 #SFo5/nok
  4. [ 編集]

歴史上の超人伝説

 なんか面白いかもしれない企画を思いついてしまったので、与一の物語を書いて見ました。
 若い衆に歴史の一端でも伝われば良いなと思います。

 トラバさせてください!
  1. 2005/06/17(金) 17:42:16 |
  2. URL |
  3. フクフク丸 #-
  4. [ 編集]

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与一=ツバサ?

 那須与一(なすのよいち)の話。  平氏と源氏の盛衰を描いた「平家物語」。これを基にして現在、大河ドラマ「義経」が描かれていますが、主役である源義経がタッキーこと滝沢秀明であり、相方の今井翼が那須与一の役で登場する(放送は8月らしい)らしいので、那須与一の
  1. 2005/06/17(金) 17:43:10 |
  2. フクフク丸のあずましいblog

スーパーpsy野神

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