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日本人精神と欧米式社会システムの相違-続・農耕民族と資本主義-

先週の日曜日、フジテレビ系で午後10時から放送されている爆笑問題と阿川佐和子司会の「週間人物ライブ・スタメン」と言う番組で、”御茶ノ水女子大学理学部教授”で”数学者”の藤原正彦氏の著書「国家の品格」という本が取り上げられていたのですが、この著書に書かれている内容というのが、僕が以前このブログでスレを立てた「農耕民族と資本主義」の記事に近い内容だったのです。だもんで、早速その本を買って読む事にしました。

その本で書かれていた内容というのが、①論理に基づく”欧米式社会システム(民主主義、自由主義、資本主義(市場経済)、社会主義(共産主義)、科学技術等)への疑問、②日本古来からある”情緒(人生において築き上げられた感性、道徳心、美的価値観など)”と”武士道精神”の重要性、といった大きく分けると”2つのテーマ”がありました。そして、僕が「農耕民族と資本主義」で書いたのは、「農耕民族である日本人が、狩猟民族であるアングロサクソンの築いた資本主義を遂行するには無理がある。」という事だったのですが、この著書においては、それ以前に「人間というもの自体が、”欧米人”が生み出した”論理”に基づく“自由平等思想”、”民主主義”、”資本主義、市場経済”を完全に遂行するには限界がある。」としています。確かに言われて見ればそうなんですよね。人間も所詮は”動物”なんです。だから、いくら表向きな”論理”に基づいた”社会システム”を築こうとしても、その”大元”の論理はあくまでも”一個人の主観”でしかないのですからね。要するに、今の世の中がいくら”デジタル化”して”便利”な世の中になったとしても、”人間”自体は”アナログ”のままだ、という事なんです。所詮は”生身の動物”であって、”機械やコンピュータで出来たサイボーグ”ではないのですから。

まず、”資本主義及び市場経済”、”民主主義及び自由平等思想”などの”欧米型社会システム”についてですが、これらは皆”論理”に基づいて構築された”定義”であるため、当然ながら人によって”発想”の異なる”論理”によって”一つの定義”を作ってしまえば、後々”矛盾”が起こるのは当然です。藤原氏は、「”論理”に基づく”普遍の定義”は”数学”ぐらいしかない!」と言い切っています。実際は、数学にも正確に”定義付けできない”法則があるとの事ですので。そうなれば、多くの”学問”や”思想”の定義もその”答え”は幾通りもあって、どれが正解だ?なんて言えないはずなんですよね。ですから、世界各国の”社会体制”にだって”正解”は無い、という事なんです。それぞれの国の”歴史”、”伝統”に基づく”思想”、”風習”、”価値観”というものがある訳で、それに乗っ取った形での”社会システム”を各々の国が構築するのが当たり前なんですよね。しかし、こういったものを”某大国”が自分達の”社会システム”を押し付けようとしてます。そして、日本も”バブル崩壊”以降、急速に”アメリカ式資本主義形態”をとらざるを得なくなってしまいました(悲) まぁ、それ以前に、戦後の”GHQ統治下”におけるさまざまな”改革(政治改革、経済改革、教育改革等)”によって”アメリカ化”した日本は、一時”高度経済成長”を遂げ”世界第二位の経済大国”になったものの、その”ほころび”が徐々に広がり今日に至った事は言うまでもないと思います。

そもそも、藤原氏が言うには、こうした”欧米式社会システム”には”欠陥”がある、とし、その”理由”は、”資本主義”も”民主主義”も”自由平等思想”も、所詮は”一個人”による主観的な”理想論”でしかなく、それを全ての人間に広めるには”限界”があるから、という事と、実際、それを扱う”権力者”自体がそういった”思想”を遂行しきれなくなるからだ、という事です。例えば、アメリカという国は、確かに”民主主義”、”自由平等精神”を掲げて設立された国家です。しかし、問題は、それが”何”に対してなのか?という事です。アメリカのそういった”思想”は、あくまでも彼らの”母国”に当たるイギリスに対してのものであって、”全人類”に対してのものではないからです。だって、未だに”人種差別”はするは、自分達が”一番”じゃなきゃ気がすまないは、挙句の果てに何か”気に入らない事”があればすぐ”戦争”引き起こすわ・・・、こんな国に”民主主義”だの”自由平等”など唱える資格なんて無いですよね(呆) それによって、”犯罪”は絶えず起こるし、何でも感でも”金銭最優先”の考えが定着し、それによってもっと大事な”道徳心”だとか”協調性”とか”美的価値観”などが失われつつあるし、”実力主義”を謳っていながら結果それが”偏差値”、”学歴”更に”資格”などの”肩書き優先主義”にまで発展、更に”貧富の差”は激しくなって”金持ち”がより”有利な立場”に就くようになり、やがて”高学歴者”もそういった”金持ち”に独占される。そうなれば、あくまでも”上辺”だけで”中身”の無い”似非インテリ”が幅を利かせるようになり、”中流・下流家庭”の子供はやがて”勉強”を怠るようになり、これが今日の”学力低下”につながっているんです! 更に、”資本主義”から発展した”市場経済”が主流になれば、全ての”労働者”は”株主”の意のままとなり、これまで培ってきた”仕事”に対する”誇り”と”ポリシー”が、”株主”が代わる事によって”反故”にされ、更に”リストラ”の憂き目にあい、こんな事が続けば更に”犯罪”が横行するばかりか、しまいには世界中の全国民が”ニート”になっちゃうよ!

でもって、この”打開策”として藤原氏が提示したのが”情緒(道徳心、美的感性、叙情性、慈悲の心、哀れみの心、わびさびの心、懐古主義、祖愛心・・・etc)”と”武士道精神(大和魂?)”です。もっとも、”資本主義”、”民主主義”、”自由平等思想”が間違いではないし、今更それをやめる訳にはいかない時代に突入している以上は、こういった”社会システム”も現在においては必要不可欠のものだと思います。されど、これだけでは反対に”人類の社会”を崩壊しかねない、と藤原氏はしています。だからこそ、上記にあげる”情緒”と”武士道精神”を”フィルター”にかけなければ”人間社会”は成り立たない、という事です。

しかし、今の多くの日本人にはこういった”情緒”だの”武士道精神”なんて”カケラ”もなくなってしまいましたよね(呆) 今の日本人は、それこそ”欧米型(特にアメリカ)”の”拝金主義”に犯され、何でもかんでも”金”さえかければいいと思っている節があり(ブランド品の洋服及び装飾品、外車、贅沢な海外旅行など)、そこに”真の美的感覚”などおそらくなくなってしまったと思われます(哀) それから、あらゆるものに対する”美的感覚”も無くなり、”食べ物”でいえば「食えればいい!」、”音楽”でいえば「聴き易ければいい!」という感覚だけで思考が止まってしまい、更にそこに”ビジネス至上主義”が加わる事で結局は”売り上げ至上主義”によって本当の意味での”物の価値観”が失われるようになってしまいました。 それから”他人に対する思いやり”なんかより”自分の利益”ばかりを求めるようになってしまっているし、そういった意味では、昔は”近所づきあい”なんて当たり前だったのに、今ではすっかりそういったものもなくなってしまいましたよね(悲) ”祖愛心”なんてものもなくなってしまったようです(悲) 小学生に”英語”を教える前に”国”に対する”誇り””敬意”を持つ事の方が先だろ!って事ですよ。でなければ”真の国際人”にはなれない、と藤原氏はしています。更に”武士道精神(大和魂といってもいいかもしれませんが)”にいたっては、もはや”見る影”もなくなってしまいましたよね(呆) 多くの人が”正義”よりも”利潤”を求めるようになり、”出世”もしくは”高偏差値及び高学歴”でなくてもいいから”正義”と”誠実さ”さえあればいい、という考え方の人は極端に少なくなり、”ズル”してもいいから”出世”それから”高偏差値及び高学歴”を優先するようになってしまっています。それが”いじめ”の原因でもあり、理不尽な”リストラ”を生み出す根源でもあるんです! しかも、”トップ”に立つものは頑として”責任”を取ろうとはせず、結局”責任”を取らされる人は真面目に頑張っている人ばかりなんですよ(悲) これらが今の日本社会の現状です! この”原因”を作ったのはいうまでも無い! アメリカだ!! これじゃ、今の多くの日本人から”やる気”がなくなるのも無理ないと思います。

でも、戦後間もない頃はまだこういった”情緒”とか”武士道精神”みたいなものはあったんですよね。だからこそ、戦後の”焼け野原”の中から”高度経済成長”を成し遂げる事ができた訳だし、かつての日本の”資本主義形態”には”終身雇用”と”年功序列”がありました。これも”情緒”や”武士道精神”に基づくものだと思います。60歳の”定年”までは安心して働く事が出来る、”実績”だけでなく”年の功”とか”誠実さ”も”評価”の対象となっていました。それから、”肩書き”が無くても使える人間はどんどん使用していたはずです。最終的には、その”仕事”に向いているかどうか、ですからね。しかし、今では”実績重視”の”実力主義”になり、しかしながら”得”をしているのは必ずしも”実力者”じゃないんです。結局、”上”の言う事を聞く人間や、”ズル”して”結果”を出したものが”出世”するようになりました。それから”採用基準”も”学歴”の他に”資格”、”スキル”などの”肩書き”を重視するようになりました。それによって、”やる気”があっても”職”にあぶれる人が増加してしまったのです(悲)

それから、フクフク丸氏のサイトで書かれているような”悪徳商法”にしても、”アメリカ主導”の”自由主義、民主主義”に基づく”資本主義経済”の”末端の姿”ではないでしょうか。(参考:フクフク丸のあずましいblog、「青春の落とし穴①・悪徳商法」「青春の落とし穴②・アポイントメント商法」) こういったものにも”情緒”や”武士道精神”さえあれば、絶対根付く事は無いはずですし、多くの国民がこういった”概念”を身につけることによって、このような”犯罪ギリギリ”の”悪徳商法”も減っていくのではないでしょうか。

されど、今の時代、このような”資本主義”、”民主主義”、”自由平等思想”も”必要不可欠”になってしまい、今更引くに引けない状態になっているのも確かです。だからこそ、それに対する”軌道修正”も必要なんです。それが日本では”情緒”や”武士道精神”であり、スウェーデンでも”老後社会”を根底に置いた”理想型資本主義”を構築していますよね。これも、やはり”人”というものに対する”思いやり”、”情け”によるものだと思います。今の殺伐とした世の中、やはり多くの人間は”初心”に戻り、まずは”欲得”より前に”他人”それから”自然”など、あらゆるものに対する”配慮”、”尊敬”、”敬意”、こういった”精神性”を今一度身につける事で、本当の意味での”理想社会”を構築する事ができるのではないでしょうか。
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コメント

反論ではないのですけど。

 出張中の移動の合間に読もうと思って「国家の品格」を手に取り、立ち読みして買うのを取りやめた者です。
 戦後民主主義の失敗(と言い切って良いのか?)の根本原因をアメリカに求めるのは間違いではないと思いますが、それによって復興を遂げてきてその末に行き詰っているのは他ならぬ日本人ですから、原因を探った末に原点回帰を訴えるだけでは何も変わらなくて「へえ~そうなんだ」で終わってしまうからです。

 さらに、武士道精神と良く言いますが、もともと日本人の多くは武士ではなく、農民ですからね。それこそ農耕民族ですから。
 武士道というのは、武士が己の身を律するためにある物であり、社会全体の調和に関するものではないはずです。
 ですから、他の職業を敬う事が問われずに、ひたすら「上に逆らうな」って書いてあると思います。ただ、「思うところがあれば命を掛けても提言すべきだ」くらいの事は書いてると思いますが。

 私は根本的に武士道というのは上位の者が下位の者を従わせるための都合の良い論理であり好きではないのですが、ひとつだけ賞賛すべきなのは「人間がいかに生きるべきなのかを語るロマンチズム」を下位の者に与えていることです。

 人生の意味、己の生涯の意義を訴えている。

 その「おいしいロマンチズム」だけを教育で取り上げて「お国のため・天皇陛下万歳」と上位の者が下位の者を戦場に向かわせたのが第二次世界大戦でありますが、これの賛否に関しては割愛します。

 今は家庭でも学校でも「お前らの好きなように自由に。」こんなのはロマンの欠片もありませんよね。人生にテーマを掲げられないからそれこそ「自由に」怠惰な生活をしてしまう。
 でも、メシは食えちゃう不思議。


 私は人生には、それが例え誰かに与えられた物であったとしてもロマンチズムが必要だと思っています。無論、自分で気が付くのが一番良いんですが。
 毎日の不平不満を数えるよりも夢を追いかける方がロマンチックだからです。

 
 でも、実際の生活はそんなに簡単じゃなく、ロマンよりもメシです。メシ食わなきゃ始まりませんから。
 
 「武士は食わねど高楊枝」より「衣食足りて礼節を知る」と言う言葉が人間の本質を突いていると思います。キレイ事じゃ食って行けないし、ひもじさに耐える覚悟もない。無論、家族を飢えさせるわけにも行かない。

 戦後の人たちって、「メシを食う=仕事」と「焼け野原からの復興=ロマンチズム」のちょうど良い交差点を生き抜いてきたんだと思います。堕ちる所まで堕ちて、後は這い上がるだけだという環境と、上がる所まで上がって今度は「堕ちたくないよ~っ」てしがみ付いてるだけの環境。

 メシを食うことに必死にならなくてもそれなりに生きて行けますし、さらに探せばいくらでもあるけれど、ロマンチズムなんて死んでしまったってみんなが思い込まされているこの時代。

 私は思うんですよ。
 女房子供がいる。メシ食って行くのに生活してる。その上で娯楽としてテレビも見れる、車も乗れる。それなりに酒も飲みに行ける。働く場所がある。
 
 野神氏は独身と伺っておりますが、支えるべき家族がいらっしゃる。頼りにされていらっしゃる。確かに望むべき状況ではないのかもしれませんが、それでも旅行に行けたり、プロレスを観戦に行けたりできる。
 
 これがどんなにロマンチックな事か。
 当たり前ってかなりロマンチックですよね。 

 ・・・とは言え、時代の変遷がこれだけ如実に出てきているのに、昔の時代に精神状態だけを戻せるのか?という疑問が浮かびます。
 今は「三丁目の夕日」の時代ではありません。科学依存症の末期社会であり、こうして便利な道具(インターネット)に頼っている私たちの通信も、最終的には自分の行動に移さなければ何も変わらない、変えられない、無力な物です。

 心にパワーが沸くことと、自分の行動が善い方に変わって行く事は似てるけど違います。

 思いやりと共に、「自分の大切なの物を守るべき牙」も研がねばならないと思います。
 体力面でも、精神面でも、そしてそういう知識に関してもですね。

 広く世間を見渡して、己の生きるべき道を見つけた時にピンポイントで突き抜けられるように、己を磨く。

 「周りを活かすために己が生きる。周りに感謝し、己を還元する。そうなるように己を磨く」

 これが新しい日本の武士道!って事でどうでしょうかね?

 よし!決まった(うっとり)。
  1. 2006/04/03(月) 18:20:27 |
  2. URL |
  3. フクフク丸 #-
  4. [ 編集]

情緒力と武士道精神を今一度考えると?

確かに、今の”豊かさ”を極め、”技術”も”最先端”に達し、それらの上に”あぐら”をかいて”慢心”仕切っている多くの日本人に、今更”情緒力”とか”武士道精神”などを求める事は”酷”なのかもしれません。でも、そういったものを完全に”無視”するよりは今一度考え直す方がまだマシなのではないか?と思います。

僕は、今の”欧米式資本主義経済”が完全に間違っているとは思いません。むしろ、こののおかげで日本は”高度経済成長”を成し遂げる事ができ、”不況”と言われる今日さえも”IT革命”による”情報力”の増大や、更に”インターネット”の普及による”新たな娯楽”の発達などを考慮すれば、なんだかんだいっても世の中ますます”便利”で”高度化”しているのは事実だと思います。しかし、それに引き換え”周り”を見渡せば確かに”ひずみ”が生じている事も事実です。”犯罪”の”陰湿化”及び”残酷化”。”政治家”や”警察”の”汚職”及び”犯罪”の増加。あるいは”怠慢”。”病院”の”医療ミス”も頻繁に”浮き彫り”になっています。それから”民間企業”の方でも”建築業界”では”構造計算書偽造問題”が発覚しました。ちょっと前にNHKでの”不正”も発覚しました。しかし、こういった病院や企業の”トップ連中”の”無責任さ”たるや、本当に”開いた口”が塞がらないですわ(呆)

これらの事を考えると、改めて”情緒の心”と”武士道精神”を見直しなさい、と藤原氏が言いたくなる気持ちも理解できます。こういった”気概”を持つ事自体は、今からでも全然遅くは無いと思いますし、これからはこういったものを肝に銘じて生きていく、と言う事は”あり”だと思います。むしろ、「へえ~そうなんだ」出終わってしまられては困るんです!

ただ、”武士道精神”という物は確かに”見方”によってはフクフク丸氏が仰るとおり”武士”が権威を振るうために”上位”の者が”下位”の者を従わせるための”精神論”だったのかもしれません。でも、僕が思うには、この”武士道精神”の”根底”には、所謂”大和魂”というものが基盤としてあるのだと思うんですよ。これが日本人に”潜在的”に備わった、日本人の”誇り”と”道徳精神”に基づいたものであるとすれば、それを更に”武家社会”に対応させたものこそが”武士道精神”なのではないか?と思うのです! そう考えると、今の日本人には悲しいかなこのような”武士道精神”及び”大和魂”のカケラも無い事は言うまでもありません(悲)

されど、この”武士道精神”というものは”使い方”によっては”凶器”にもなりかねない代物だと思うんです。だからこそ、その”前提”に”情緒力(道徳心、美的感覚、慈悲心、尊敬の念、謙虚さ・・・etc)”と言うものがあり、それでもままならない場合に”武士道精神”という物を用いればよいのだと思います。すなわち、”情緒”と”武士道”の”バランス”を上手く活用する事こそ肝要なのではないかと思うのです。その”良い例”として”新撰組”があげられると思います。厳密に言えば、”局長”近藤勇(情緒型)と”副長”土方歳三(武士道型)の関係です。近藤は、”おおらか”で”人柄”もよく、自ら周りを引っ張る、というよりは周りから自分の所に人が集まってくる、というタイプの人だったようです。まさに”情”の人だったのです。しかし、”組織”を動かすには自らが先頭に立って部下を引っ張る役目も必要になってきます。その役目を買ったのが”副長”である土方です。彼は、芹沢鴨一派暗殺以降、”新撰組”の”基盤”を固めるために”武士道”に基づいた”法度”を設けました。その”法度”を破った隊士は”切腹”という厳しい”掟”を作りました。それゆえ、土方は”鬼の副長”と呼ばれていました。ですから、近藤と土方が二人揃っていて”調和”が取れている場合は、”新撰組”はいい意味での”力”を発揮できたものと思われます。しかし、その”調和”が取れていない場合(特に近藤が不在の場合)に、多くの”悲劇”が起こっていたとの事ですので(哀) これらを踏まえても、”情緒”と”武士道”というものにはそれ相応の”バランス”があって、それがきちっと保たれていなければとんでもない事になるのではないでしょうか? 戦前の”帝国主義時代”はまさにこの”バランス”が乱れていた時期だったのではないでしょうか。

まぁ、とにもかくにも今の時代には”欧米式資本主義体制”はもはや”必要不可欠”である事は確かだと思うのですが、我々日本人がそのまま”操縦”してしまえば必ず”間違い”が起こる代物であるものだと思うのです。それに対する”マニュアル”が必要であり、それに見合った”パイロット”も必要なのではないでしょうか。それが”情緒力”や”武士道”であり、更に言えばそれらを身につけた人なのだと思うのです。しかし、そういった人が現れる事を待つのではなく、自らがそういったものを心がけて、自らがこの時代におけるこの社会を引っ張っていけるような”器”にならないといけないのでしょうね。まさにフクフク丸氏が仰る「周りを活かすために己が生きる。周りに感謝し、己を還元する。そうなるように己を磨く」と言う事ではないでしょうか。
  1. 2006/04/03(月) 22:45:34 |
  2. URL |
  3. スーパーpsy野神 #-
  4. [ 編集]

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