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まだら狼、逝く -上田馬之助、死去-

今月21日午前10時7分、元プロレスラー、上田馬之助が”呼吸不全”により大分県臼杵市の病院で死去しました。享年71歳(悲)

上田馬之助といえば、日本を代表する”悪役レスラーの象徴的存在”であり、当時は現在のように”金髪”の日本人は皆無に等しかったため、それだけで”悪役”という印象を与えていたものでした。僕が本格的にプロレスを見るようになったのが小学校高学年ぐらいからなので、新日時代の上田の記憶がなく、全日本のリングでタイガー・ジェット・シンとのタッグで暴れまわっていたのを覚えています。”竹刀”による凶器攻撃がトレードマークでしたね。

しかし、シンとの”仲間割れ”、長州ら”維新軍団”の”全日移籍”によって居場所を失った上田は、突如新日本マットに”里帰り”をし、若松市政率いる”マシーン軍団”や”新金狼”ヒロ斉藤と共闘するも、再び”仲間割れ”をし、S.S.マシーン、ヒロらが全日本へ移籍し、更に前田日明、藤原喜明、高田延彦(当時伸彦)ら”UWF勢”が新日本と業務提携すると、”新日本隊”に加わり、”UWF軍”との”5VS5イリミネーションマッチ”では、前田の足を引っ張り”両者リングアウト”を狙う、といった”頭脳プレー”を見せ、ファンを驚かせました(もっとも、当時前田との”一騎打ち”を避けたかった猪木による”入れ知恵説”が有力だが・・・)。

しかし、1996年3月、”交通事故”によって”選手生命”を絶たれてからは”車いす生活”となってしまったのは非常に残念に思いました。他にも”交通事故”に遭ったレスラーは多く、中にはアドリアン・アドニスのような”死者”が出たり、ケリー・フォン・エリックのようにそれが原因で自ら命を絶つ選手もいました(哀)そして、その”車いす生活”のままとうとう息を引き取ってしまいました(悲)また一人、”昭和の名レスラー”が消えてしまいました(涙) 心からご冥福をお祈りいたします(合掌) 

上田馬之助・・・1940年6月20日、愛知県海部郡(現弥富市)出身。身長190cm、体重118kg(全盛期)。通称:「まだら狼」、「金狼」。
1958年、大同工業高校中退後、大相撲追手風部屋へ入門(四股名は上田山)。2年後の’60年、同部屋に入門した林幸一(後のミスター林)に誘われ力士を廃業し、日本プロレスへ入門。’61年4月に名古屋市金山体育館において平井光明戦でデビュー。’66年にアメリカに渡り、テネシー、テキサス、ジョージアを主戦場とし、”プロフェッサー・イトー”のリングネームで活躍。’70年に凱旋帰国するも、翌’71年の”猪木脱退騒動”により、猪木が日プロを退団し、’72年”新日本プロレス”を設立、翌’73年にはジャイアント馬場が日プロを退団して”全日本プロレス”を設立、更に坂口征二も新日本へ移籍すると、残った大木金太郎とともに”インタータッグ王座”を獲得したが、間もなく日プロは崩壊。その後、大木らとともに全日本プロレスに移籍するも、大した活躍を得られず、再び渡米。その後、’76年馬場、猪木、ラッシャー木村への”挑戦表明”をし、木村がそれに応じたため、同5月”国際プロレス”に参戦。この時から、髪を部分的に”金髪”に染めた事で”まだら狼”と呼ばれるようになり(後にすべての髪を金髪に染め”金狼”と呼ばれる)、”竹刀”を振り回す”悪役レスラー”へと変貌。その後、木村との”金網ですマッチ”に勝利し”IWA世界ヘビー級王座”を獲得。
翌’77年、新日本プロレスへ移籍し、タイガー・ジェット・シンとの”凶悪タッグ”を結成して”北米タッグ王座”を獲得(その後、シンとは何度か”仲間割れ”をする)。’78年2月8日、アントニオ猪木との”釘板デスマッチ”が実現(11分2秒 上田のTKO負け)。翌年、ヒロ・マツダ、マサ斎藤、サンダー・杉山らとともに”狼軍団”を結成。
’81年再びタイガー・ジェット・シンの後を追うように全日本プロレスに移籍し、シンとの”凶悪タッグ”で暴れまわったものの、再び”仲間割れ”をし、更に’84年10月、長州力、マサ斎藤、キラー・カーン、谷津嘉章、アニマル浜口ら”維新軍団→JAPANプロレス勢”の大量移籍により居場所を失い、翌’85年に再び新日本へ移籍して若松市政率いる”マシーン軍団”やヒロ斉藤と共闘するも、再び”仲間割れ”をし、85年12月、前田日明、藤原喜明、高田伸彦(現延彦)、山崎一夫ら”UWF勢”が新日本に本格参戦すると、突如”新日本隊”と共闘し、’86年3月26日に行われた”5VS5イリミネーションマッチ”では、UWFの”大将格”である前田の足を掴み、そのまま場外へ”心中”する、という”実力者ぶり”を発揮。
その後、NOW、IWA等のインディー団体を転々とするも、’96年3月に西濃運輸との”交通事故”に遭遇し、”脊椎損傷”によって選手生命を絶たれ、その後生涯”車いす生活”を余儀なくする事となり、それから10年以上経った2011年12月21日、”呼吸不全”によって大分県臼杵市の病院で死去。享年71歳。


上田馬之助








在りし日の馬之助の映像①

在りし日の馬之助の映像② [まだら狼、逝く -上田馬之助、死去-]の続きを読む
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  1. 2011/12/25(日) 11:01:06|
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新日本プロレス、1.4「レッスル・キングダムⅥ in 東京ドーム」カード発表!

久々にプロレスネタを書きます。本当は、何度か書きたかったのですが、中々書く時間とタイミングがとれずにかけずにいました(泣)

今年の年末は、”格闘技ブーム”も沈静化してしまった事もあって”格闘技特番”は放送せず、代わりに「ガチ相撲」を放送するようです。そんな中で、プロレスはまだ何とか続いているし、続いてもらわなければなりません。そして、唯一”地上波放送”を持っている新日本プロレスの正月の一大イベント「レッスル・キングダム in 東京ドーム」の大方のカードが発表されました。”メイン”の棚橋VS鈴木みのるの”IWGPヘビー級選手権”、をはじめ、バーナード&アンダーソンVS天コジの”IWGPタッグ級選手権”、中邑&矢野VS潮崎&丸藤の”新日本VSノア対抗戦”、真壁VS高山、内藤VS武藤、後藤VS杉浦の”スペシャルシングルマッチ”永田&井上VS船木&河野の”新日本VS全日本対抗戦”、岡田かずちかVS吉橋伸雄の”凱旋試合”等”ビッグカード”が目白押しです。正直、行きたいのですが、その前日まで旅行、翌日は仕事、という事で、何とか様子を見ながら行くかどうか考えたいと思います。

今年は、新日本では棚橋が永田を退け、永田に並ぶ”IWGP V10”を果たし、NOAHでは森嶋がKENTAを破って”グローバルリーグ戦”に優勝し、”GHC王者”の潮崎もKENTAから王座を防衛した事とで”NOAHヘビー級の牙城”を守りました。全日本は、真田&KAI組が”世界最強タッグ”に優勝するなど、真田、征矢、KAI等の”新勢力”が著しく成長しているようです。まだまだ、プロレスも捨てたもんじゃありません。

【レッスル・キングダム in 東京ドーム】
〈日程〉2012年1月4日 17時試合開始
〈会場〉東京ドーム

(第1試合 IWGPジュニアタッグ選手権)
デイビー・リチャーズ、ロッキー・ロメロ(王者組)VSプリンス・デヴィッド、田口隆祐(挑戦者組)

(第2試合 AERIAL KINGDOM feat.CMLL SUPER ESTRELLAS)
獣神サンダー・ライガー、タイガーマスク、マスカラ・ドラダ、KUSHIDA
VSアトランティス、バリエンテ、TAKAみちのく、タイチ

(第3試合 NEW JAPAN RESPIRATION(岡田かずちか、吉橋伸雄凱旋試合))
オカダ・カズチカ VS YOSHI-HASHI

(第4試合 BLUE JUSTICE NEVER DIE(新日本VS全日本))
永田裕志、井上亘VS船木誠勝、河野真幸(全日本プロレス)

(第5試合 TOKYO MONSTER WAR)
MVP、シェルトン・ベンジャミンVS田中将斗、高橋裕二郎

(第6試合 IWGPタッグ選手権)
ジャイアント・バーナード、カール・アンダーソン
VS天山広吉、小島聡

(第7試合 NJPW vs NOAH BATTLE CONCENTRATION Ⅰ)
後藤洋央紀VS杉浦貴(プロレスリングNOAH)

(第8試合 FIGHTING WITHOUT HONOR OR HUMANITY)
真壁刀義VS高山善廣

(第9試合 NJPW vs NOAH BATTLE CONCENTRATION Ⅱ)
中邑真輔、矢野通VS潮崎豪、丸藤正道(プロレスリングNOAH)

(第10試合 GENIUS FACES GENIUS)
内藤哲也VS武藤敬司(全日本プロレス)

(第11試合 IWGPヘビー級選手権)
棚橋弘至(王者)VS鈴木みのる(挑戦者)   [新日本プロレス、1.4「レッスル・キングダムⅥ in 東京ドーム」カード発表!]の続きを読む
  1. 2011/12/11(日) 11:25:32|
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八王子城登城

中々ブログを書く暇がありません(泣) 

先週の23日、半年程前から計画していた”八王子城登城”をようやく果たす事が出来ました。今年は梅雨が過ぎても中々天候に恵まれず、9月から10月末までかなり多忙だったため、11月になりようやく行こうと決心するも、また悪天候が続き、先月の23日にやっとの思いで行く事が出来ました。

まず、京王高尾線で高尾駅で下車。そこからJR高尾駅北口まで大廻りして歩き(泣)(この駅は京王線の高尾駅からJR高尾駅北口まで直接行く事ができません)、そこから”霊園正門”を経由するバスに乗って”霊園前”で下車。そこから、15分~20分程歩くと到着。

八王子城には大きく分けて2つの見所があり、まずは城主:北条氏照(北条氏康の三男、氏政の弟)の居館のあった”御主殿跡”へ向かいました。八王子城入り口広場から南西方向へ歩き、途中古びた橋を渡って古道を通っていくと”曳橋”が見えてきます。

御主殿曳橋






御主殿曳橋

その橋を渡ると”八王子城御主殿跡地”に到着。江戸時代以降の城郭のような石垣の上に所在していたようで、その石垣も当時のものがほぼそのまま残っていたとの事。更に、”虎口”と呼ばれる入り口部分にはかつて門があったようで、その”礎石”もそのまま残っています(写真に収めるのを忘れました(汗))。

御主殿虎口






御主殿虎口

御主殿門






御主殿門

御主殿跡






御主殿敷地跡

御主殿の後方出口を出て道を挟んだ所に”御主殿の滝”がありました。それほど大きなものではなく、場所もちょっと薄暗い所にありました。

御主殿の滝








御主殿の滝

御主殿を後にすると、一度八王子城入り口広場(管理棟)に戻り、そこからいよいよ”本丸跡”へ向かうべく城山を上る事にしました。

八王子城登山口






八王子城登山口

やはり、”山城”だけあって傾斜がきつかったです(辛) それから、30分ちょっと登った所で、視界の開けた所が見えてきました。そこからの景色は素晴らしかったです。

八王子城山頂付近からの景色






本丸付近からの景色

そして、本丸手前の敷地にある”八王子神社”へ到着。

本丸付近:八王子神社






八王子神社

そこからすぐ近くにある”松木曲輪”からは”高尾山”が見えるのですが、正直木が邪魔で写真では肝心な場所をとる事ができませんでした(悔)

松木曲輪から見える高尾山






松木曲輪から見える高尾山

そして、”本丸跡”に到着。敷地規模はそれほど大きくなく、ここには建物の痕跡は見当たらなかったとの事。”戦国時代”の山城は、このようなタイプの城が一般的で、”居館”は、本城の”御主殿”のような館を城山の麓に築くのが一般的だったようです。

本丸跡地の祠






本丸跡にある祠

八王子城:小田原北条氏の本城:小田原城の支城。小田原北条氏三代目当主:北条氏康の三男、氏照が1571年(元亀2年)頃より築城。1587年(天正15年)頃に本拠地を滝山城から移転。しかし、3年後の1590年、豊臣秀吉による”小田原征伐”の際に、既に秀吉の配下となっていた加賀の前田利家、越後の上杉景勝、信濃の真田昌幸に攻められ、家臣、領民1000人以上が犠牲になり壊滅。その後、本隊の小田原城も秀吉軍に降伏し、”四代目当主”氏政、”五代目当主”氏直、そして”八王子城主”氏照ら北条一族及び家臣が自刃し、新たに関東一円を領す事となった徳川家康によって八王子城は廃城となる。

本丸を後にして、下山。麓付近まで下った所で、”アシダ曲輪”を通って広場へと戻りました。

あしだ曲輪






アシダ曲輪

アシダ曲輪観音堂






アシダ曲輪観音堂

その後、少し時間がありましたので、高尾駅へ向かう途中にある「多摩自然研究学園」で山歩きしてから帰宅しました。 [八王子城登城]の続きを読む
  1. 2011/12/03(土) 11:13:52|
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スーパーpsy野神

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