コラム・de・ブログ

オールジャンルの”コラム形式”のブログ。

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あのマイクはもう聞けない・・・ -ラッシャー木村死去-

ロニー・ジェイムス・ディオの”死”を知った翌日の朝、更なる”訃報”を耳にしました。かつて、”国プロ最後のエース”として”金網デスマッチの鬼”と言われ、国プロ崩壊後、”はぐれ国際軍団”として新日本マットへ上がるも”空中分解”し、全日本マットで馬場の”タッグパートナー”となるもまたも”仲間割れ”し、その後は馬場との抗争を繰り広げながら次第に”マイクパフォーマンス”でファンを和ませる”ムードメイカー”となったラッシャー木村が、”糖尿病”による肝不全によって引き起こった”誤嚥性肺炎”で5月24日、死去しました。享年68歳(悲) 奇しくも、ロニー・ジェイムス・ディオとほぼ”同い年”というのが運命を感じます。ただ、三沢の方が先に逝ってしまうとは予想していませんでしたが・・・。

僕は元々”プロレスファン”ではなく、祖父が見ていたのを”見させられていた”という感じなのですが、その中でのラッシャー木村の最初の”記憶”は、”国際プロレス”の崩壊が決まって”テレビ中継”の最終日の時に、”IWAヘビー級選手権”か何かで(正直この時の記憶は不明)勝利したラッシャーがトロフィー片手に血だらけになった額に包帯を巻いた姿で観客に対して「長い間応援して頂き、ありがとうございました。」といった挨拶をしていたのを覚えています。その後、ラッシャーはアニマル浜口、寺西勇を従えて”はぐれ国際軍団”を結成し、アントニオ猪木率いる”新日本正規軍”と抗争を繰り広げる所で、長州力が猪木や藤波に立ちはだかりマサ斎藤、キラー・カーンらと”革命軍(後の維新軍団)を結成してしまった事で、そちらの方が優遇されてしまい、それが原因で浜口と”仲間割れ”をした事によって”はぐれ国際軍団”は”空中分解”(その後、浜口と寺西が”維新軍団”に加入したのは周知の事実です)。その後、木村は前田日明、スーパー・タイガー(佐山聡)、藤原喜明らと”UWF旗揚げ”に参加し、そして”全日本プロレス”に移籍して、当時の「世界最強タッグ決定リーグ戦」での馬場のパートナーに抜擢されるも、結局”仲間割れ”(汗) 同じ国プロ出身の鶴見五郎、剛竜馬、アポロ菅原らと”国際血盟軍”を結成するも、それより少し前に全日に移籍していた長州率いる”ジャパン・プロレス(維新軍団改め)”の陰に隠れる形になってしまいました(哀) 結局、”美味しい所”を皆長州に持っていかれる形になってしまいました(悲)

そして、いつしかラッシャーは馬場と抗争を繰り広げながらも、試合後の”マイクパフォーマンス”で観客を沸かすようになり、「お前、最近なんか元気だと思ったらコノヤロー。やっぱりな、お前は、ジャイアントコーン食べてるなコノヤロー」とか、「俺はな、昨晩焼肉を15人前食って戦ったけど失敗したよ。だからな今晩は20人前食って戦ってやるぞ」とか、 「馬場、馬場、お前な、ハワイでな、グアバジュース飲んで鍛えたかもしらんけどコノヤロー。俺だってコノヤロー、日本で、ポカリスエット飲んで鍛えたんだコノヤロー」とか、「馬場コノヤロテメー。まあ試合は別として、昨日な、大熊に言っといたんだけど、今日は俺が、馬場に、新年のな、あいさつをするからな。あけましておめでとう」続けて「今年こそはなぁ、馬場に勝とうと思って、俺はこの正月ずっと、餅食ってんだぞコノヤロー! 俺の肌を見ろよ。餅のおかげで、すっかりモチ肌になっちゃったよ!」とか、「俺はな、これだけ馬場と試合するとな、とてもな、他人とは思えないんだよ。だからな、だから一回でいいからな、今度な、お前の事をな、兄貴って呼ばせてくれ! いいなコノヤロー」等々のやり取りがあった末、”義兄弟”の契りを交わして再び”タッグ”を結成。その後は、馬場以外でも、渕正信に対しては「渕、田上のイキイキしたファイト見たか? おい渕、なぜか分かるか? 結婚したからだよコノヤロー! お前もそろそろ、結婚しろコノヤロー! いいか? 仲人がいなかったら、俺がアニキに頼んでやるからな」とか、 「渕、秋田美人はどうだ? 秋田美人はいいぞ、渕! 秋田美人もらえよコノヤロー!」とか、「おい、俺は最近俳句に凝ってるんだよ。今日は、最終戦だから、最後に一句詠ませてくれ。"永源ちゃん あんたはいつも いい男" "大熊ちゃん あんたもよく見りゃ いい男" "渕選手 お前は早く 嫁もらえ"」等”独身ネタ”でいじり倒してましたね(笑)(ちなみに、未だに”独身”のようです(悲)、って自分も他人の事を言えませんが(汗))

”晩年”は、馬場と共に”前座”でファンを楽しませていましたが、’99年1月31日、ジャイアント馬場が”胃ガン”によって死去し、”新社長”となった三沢光晴と馬場元子夫人との間に”亀裂”が生じると、三沢に帯同して三沢が設立した「プロレスリングNOAH」に移籍。2001年にラッシャーは”還暦”を迎え”生涯現役宣言”をするも、次第に体力も衰えていき2003年には”体調不良”を訴えて”長期欠場”。翌2004年7月10日”体力の限界”と「これ以上関係各者に迷惑をかけられない」との理由で東京ドーム大会にビデオレターを送って”引退”を表明。同年12月に”終身名誉会長”に就任する事になりましたが、この頃既に”糖尿病”に冒されていた模様。そして、今年5月24日、”誤嚥性肺炎”で”帰らぬ人”となりました(悲) 心から、ご冥福をお祈りいたします(合掌)

ラッシャー木村・・・本名:木村政雄。1941年6月30日、北海道中川郡中川町出身。身長:185cm、体重:125kg。得意技:ヘッドバット、クロスチョップ、ラリアット、ブルドッキング・ヘッドロック等 ’58年、大相撲宮城野部屋へ入門(四股名:木の村)。’64年に相撲を廃業し、”日本プロレス”に入門。’65年4月2日、東京リキ・スポーツパレスにて高崎山猿吉戦でデビュー。’66年、新設した”東京プロレス”へ移籍も翌年同団体は崩壊。”国際プロレス”へ移籍。’69年にリングネームを”ラッシャー木村”に変更。’70年、日本発の”金網デスマッチ”を行い勝利。’75年、日本発の”金網デスマッチ”による”タイトルマッチ(IWAヘビー級選手権)”を行い、”IWAヘビー級王者”となる。’76年、全日本プロレスとの対抗戦でジャンボ鶴田と対戦(引き分けに終わる)。’81年、国際プロレスが崩壊し、アニマル浜口、寺西勇と共に”はぐれ国際軍団”を結成し、新日本プロレスのマットに上がる。’84年4月、”第一次UWF”に参加するも同年10月に離脱。11月に全日本プロレスに移籍。2000年6月、”プロレスリング・NOAH”に入団。2004年7月10日、引退表明。そして・・・、2010年5月24日、永眠。

ラッシャー木村








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  1. 2010/05/29(土) 09:10:27|
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ハードロック界の北島三郎、永眠 -ロニー・ジェイムス・ディオ死去-

中々タイムリーな記事が書けずに困っています(泣)

もう先週の日曜日か月曜日の話になってしまうのですが、“ハードロック界の北島三郎”、あるいは“ロック界の奇跡の歌声”等と呼ばれた“洋楽ハードロック界”きっての“名ヴォーカリスト”、ロニー・ジェイムス・ディオが現地時間5月16日 午前7時45分、“胃ガン”のため亡くなりました(悲) 享年67歳。ロニーは昨年11月に胃ガンを患っていた事を公表し、闘病生活を送っていたようです。

まぁ、正直この情報を知ったのはつい先日です(汗) どうも、最近音楽関係の情報に疎くなっているため、”ガン”になった事すら全く知りませんでした。心からご冥福をお祈りいたします(合掌)

さて、ロニー・ジェイムス・ディオと言えば、”ハードロック/へヴィメタル”特有の声量のある”ハイトーンヴォーカル”というスタイルを完成させた重鎮であり、今でも彼の右に出る”メタル系ヴォーカリスト”はいない、と言っても過言ではないと思います。本当に、もったいない人材を一人失ってしまいました(悲)

ロニー・ジェイムス・ディオ・・・本名、ロニー・ジェイムス・パダボナ。1942年7月10日、アメリカニューヨーク州コートランド出身(誕生地はニューハンプシャー州ポーツマス)。1957年、学生の頃にバンド活動を開始(ヴォーカリスト兼ベーシスト)。’62年には”ロニー・ディオ・アンド・ザ・プロフェッツ”というプロバンドを結成。’67年にはハードロックバンド”ELF”を結成し、3枚のアルバムを出した後に、’75年、DEEP PURPLEを脱退したリッチー・ブラックモアの呼びかけにより彼が新たに結成したRAINBOWに加入。1stアルバム「Blackmore’S Rainbow」、2nd「Rainbow Rising」、3rd「Long Live Rock’n’Roll」でヴォーカルを担当。これらのアルバムをきっかけにロニーは一躍有名になり、後の”ハードロック/へヴィメタル”のヴォーカリストに多大な影響を与える事になります。しかし、”独裁者”リッチー・ブラックモアとの性格の不一致が原因でバンドを脱退。その後、’80年にBLACK SABATHにオジー・オズボーンの後任として加入。9thアルバム「Heaven and Hell」、10thアルバム「Mob Rules」でヴォーカルを務めるも”音楽性”の違いから脱退。’83年、ソロバンド”DIO”を結成。’92年にバンドを休止し再びBLACK SABATHに参加し、16thアルバム「DEHUMANIZER」でヴォーカル担当。DIOとしては2006年まで活動し、2007年にはBLACK SABATHの”ベストアルバム”発表に伴い、当時のサバスのメンバーだったトニー・アイオミ、ギーザー・バトラー、ビニー・アピスと共に”HEAVEN AND HELL”というバンドを結成し、ライブツアーを行う。2009年に同バンド名義でアルバム「The Devil You Know」を発表するも、同年11月27日に自身の公式サイトにて”胃ガン”を患っている事を公表。そして・・・、2010年5月16日、永眠。

ロニー・ジェイムス・ディオ








ロニー・ジェイムス・ディオ

(ロニーの参加した主なアルバム)

RAINBOW 1st






〈Blackmore's Rainbow -RAINBOW-〉
01.Man on the Silver Mountain
02.Self Portrait
03.Black Sheep of the Family
04.Catch the Rainbow
05.Snake Charmer
06.Temple of the King
07.If You Don't Like Rock 'N' Roll
08.Sixteenth Century Greensleeves
09.Still I'm Sad


RAINBOW 2nd







〈Rainbow Rising -RAINBOW-〉
01. Tarot Woman
02. Run With The Wolf
03. Starstruck
04. Do You Close Your Eyes
05. Stargazer
06. A Light In The Black


RAINBOW 3rd







〈Long Live Rock'n'Roll -RAINBOW-〉
01. Long Live Rock 'N' Roll
02. Lady Of The Lake
03. L.A. Connection
04. Gates Of Babylon
05. Kill The King
06. The Shed (Subtle)
07. Sensitive To Light
08. Rainbow Eyes


BLACK SABATH HEAVENHELL






〈Heaven And Hell -BLACK SABATH-〉
01. Neon Knight
02. Children Of The Sea
03. Lady Evil
04. Heaven And Hell
05. Wishing Well
06. Die Young
07. Walk Away
08. Lonly Is The Word


DIO HORY DIVER








〈Holy Diver -DIO-〉
01. Stand Up And Shout
02. Holy Diver
03. Gypsy
04. Caught In The Middle
05. Don't Talk To Strangers
06. Straight Through The Heart
07. Invisible
08. Rainbow In The Dark
09. Shame On The Night
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  1. 2010/05/26(水) 06:46:24|
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鴻巣の川幅うどん

久々に”グルメネタ”を書きたいと思います。昨今、”ご当地B級グルメブーム”が起こっている中で、一際熱い展開を見せているのが埼玉県なんですよね。他県と違って埼玉はほぼ”市町村単位”で”ご当地グルメ”をアピールしているんです。まぁ、かつて”ダサい”の語源(「だって埼玉」の略語らしいが、本当は”田舎(田舎)→ダシャ→ダシャい→ダサい”となったのが正しいようです。)と言われ続けた県なので、それを挽回すべく県を挙げて”町おこし”ならぬ”県起こし”をしている、ってとこでしょうか?

その中で、昨日は鴻巣のご当地グルメ”川幅うどん”を食べに鴻巣まで行く事にしました。ちょっと早めに家を出てしまったため、鴻巣に着いたのがAM10:00だったので、本当はその後に行く予定にしていた熊谷から秩父鉄道で少し行った所にある「ひろせ野鳥の森公園」でウォーキングをしてから、再び鴻巣へ戻る事にしました。

鴻巣へ到着すると、そこから1分程歩いた所に「吉見屋食堂」という店があり、そこで”田舎汁川幅うどん(大盛り)”を食べました。”川幅うどん”とはうどんの幅が約5cm程ある幅広の手打ち麺で、生地もかなりもっちりしていて弾力があり、また、汁もかなり濃かったので、ちょうど麺に上手く絡んで非常に美味しかったです。ただ、逆に言えば”並”にすると量が少なく盛られるのではないか?と心配し”大盛り”を頼んだのですが、かなりのボリュームで、半分ぐらい食べた所でかなりキツさを感じたのですが、何とか”完食”しました。また、汁の方も「麺に漬けると味が薄くなるので、よろしかったら汁を足しても構いません。」と言われたものの、元がかなり”濃厚”だったためその心配は要りませんでした(笑) うどんの汁でもここまで”濃厚”な味を出せるんだな、と感心しました。

食後、少し時間があったので、そこから10分程荒川方向へ歩いた所に「ポピー畑」があり、昨日と今日そこで「花祭り」が開催されていたので、そちらに行く事にしました。ただ、今回は予定外だったためカメラを持っていかなかったので写真は載せられませんが(汗)、一面が”赤”や”オレンジ”に覆われてとても綺麗でした。で、当然”お祭り”ですから、屋台も並んでいたのですけど、そこには鴻巣や周辺地域の”B級グルメ”の屋台が多く出店していたのですが、川幅うどんを食べて”満腹感”が抜けない僕は、とりあえずもう一つの鴻巣名物である”鴻巣コロッケ”を一つ買って食べました。まぁ、普通のコロッケとの違いは特にありませんが、中身は白くふっくらしていて中に刻んだたまねぎが入っていたのが特徴でしょうか。他にも”トマトルンルン揚げ餃子”とかいろいろと出店していました。正直、先にこっちへ来てれば良かった、と後悔しました(泣)

埼玉にはまだまだ”B級グルメ”がたくさんありますので、今度は川島町の「すったて(冷汁?)」というのを食べてみたいですね。 [鴻巣の川幅うどん]の続きを読む
  1. 2010/05/23(日) 12:18:11|
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NOAHのヘビーは強いんです! -「グローバル・リーグ戦’10」決勝戦-

ゴールデンウィーク明けでバタバタしていて中々書く暇がありません(泣) 

かつて、丸藤正道がライガーら”新日Jr勢”がNOAHマットに乱入した時にこう言い放ちました。「NOAHのJrは強いんです!」と。しかし、その後彼はヒザの怪我により”長期欠場”を余儀なくされ、そして、復帰後、彼は”Jrヘビー”という枠を超えて、鈴木みのるとの”GHCタッグベルト”や仕舞いにはNOAH最高峰である”GHCヘビー級ベルト”までも奪取し、名実ともに”NOAH次期エース”にまでのし上がりました。そして、昨年6月15日”NOAHトップ兼社長”であった三沢光晴が試合中の事故によって死去。”エース”の小橋健太は”腎臓ガン摘出”のためにセミリタイヤ状態。彼に次ぐ存在である秋山準も”パニック障害”の上に”椎間板ヘルニア”によって一時リタイヤ。”社長業”は”キャリア”的に田上明が引き継いだものの”副社長”となった丸藤が事実上NOAHを切り盛りする存在になったのは言うまでもありません。

しかし、これは僕も以前から言っていた事ですが、本当にこれでいいのか!? このような”疑問”は”プロレスファン”であれば誰しも思う事です。あのジャイアント馬場が創設し、ジャンボ鶴田や天龍源一郎が”エース”を張った”全日本プロレス”を事実上継承しているNOAHの”最強選手”が”Jrヘビー”なんて・・・。やはり、”ヘビー級=最強”というのがプロレスの”絶対条件”である、というのが僕だけではなく多くのプロレスファンが望んでいる事ではないでしょうか。

そして、3.28、パシフィコ横浜で行われた「グローバル・リーグ戦’10 開幕戦」にて、丸藤は事もあろうに”帝王”高山善廣から”3カウント”を奪ってしまいました(汗) 更に”次期エース候補”潮崎豪を”レフェリーストップ”で仕留めるなど留まる事を知りません。「本当にこのままでいいのか?」そんな不安さえ感じ、いつしか丸藤に対して”怒り”や”憎しみ”さえ感じるようになりました。

でも、”ヘビー級リーグ戦”でJrの丸藤がそう勝ち続ける程たやすいものではない、というのが勝負の世界です。ここで斎藤、佐野、ヨネら”中堅選手”の踏ん張りがあった事によって、最終的に”決勝戦”に上り詰めたのが”小橋に代わる事実上のエース”といえる秋山準と”現日本プロレス界の帝王”高山善廣でした。やはり、設立10年にして始めて行われる事になった”公式リーグ戦”の決勝戦に上がるにふさわしい選手達でしょう。そして、試合が始まると”NOAHヘビー級”らしい壮絶な”殴り合い”、”大技”の連発、そして両者の得意としている”ヒザ合戦”。で、最後に”勝敗”を決めたのが高山の”エベレストジャーマン”。高山が「グローバル・リーグ戦’10」に”初優勝”し、三沢亡き後のNOAHの”名誉”を守る事に成功したのですが、試合後、両者ともマットに大の字になって”意識朦朧”になってしまいました。これこそ、”NOAHプロレス”であり、そして、”NOAHヘビー級”の強さを改めて証明させられました。

三沢無くとも、”プロレスリングNOAH”は不滅です!

【グローバル・リーグ戦’10 決勝戦】
〈日時〉5月2日
〈会場〉日本武道館
〈観衆〉11,000人

(第2試合 「グローバル・リーグ戦’10」Bブロック公式リーグ戦)
○川田利明(6点)(16分13秒 顔面への廻し蹴り→片エビ固め)斎藤彰俊(4点)●

(第3試合 「グローバル・リーグ戦’10」Aブロック公式リーグ戦)
○佐々木健介(7点)(13分27秒 北斗ボム→体固め)力皇猛(3点)●

(第4試合 「グローバル・リーグ戦’10」Bブロック公式リーグ戦)
○高山善廣(7点)(14分56秒 エベレストジャーマンスープレックスホールド)森嶋猛(5点)●

(第5試合 「グローバル・リーグ戦’10」Aブロック公式リーグ戦)
○秋山準(8点)(21分49秒 変型スターネスダスト→体固め)杉浦貴(6点)●

※”Aブロック”は勝ち星”8点”の秋山、”Bブロック”は勝ち星”7点”の高山が”決勝戦進出”!

(第9試合 「グローバル・リーグ戦’10」決勝戦)
○高山善廣(Bブロック1位)(13分38秒 エベレストジャーマンスープレックスホールド)秋山準(Aブロック1位)●
※高山善廣が「グローバル・リーグ戦’10」優勝! [NOAHのヘビーは強いんです! -「グローバル・リーグ戦’10」決勝戦-]の続きを読む
  1. 2010/05/15(土) 12:37:14|
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雑草の悲願 -真壁13年越しのIWGP戴冠-

ここ最近、中々ブログを書く機会が無く、久々に”プロレス記事”を書きます。5.03、福岡国際センターにおける”IWGPヘビー級選手権”にて、”挑戦者”真壁刀義が”王者”中邑真輔を”キングコング・ニードロップ”→片えび固め”で勝利し、念願の”第54代IWGPヘビー級王者”となりました。

”エリート”と”雑草”・・・”前王者”中邑真輔は、アントニオ猪木が強行的に敷いた”格闘技路線”において橋本真也、武藤敬司といった”二枚看板”が相次いで離脱し、残った選手も”格闘技系選手”相手に迷走を繰り広げ新日本プロレスが”崩壊寸前”になりかけた時に”次世代の救世主”として周囲から期待を一気に背負わされた”エリート”の中の”エリート”でした。それに引き換え、”新王者”となった真壁の方はというと、最終的に猪木の”格闘技路線”の中で”刺客”として送り込まれる事になる藤田和之と”同期入門”ですが、藤田との扱いはまるで”月とスッポン”で、当時体の細かった真壁はそれこそ理不尽な”しごき”を常に強いられ、仕舞いには”プエルトリコ無期限海外遠征”といったほぼ”左遷”に近い境遇立たされるほど過酷な”レスラー人生”を歩んできました(”プエルトリコ修行”とは、他の”アメリカ修行”、”カナダ修行”、”メキシコ修行”、”ヨーロッパ修行”等と違って決して”出世コース”ではなく、あのブルーザー・ブロディが”暗殺”されるぐらい、たちの悪いプロモーターが運営している所と言われています。)。

しかし、やがて中邑は”エリート”という重荷がついて回りやがて”スランプ”に陥り、”肉体改造”をしてもそれが裏目に出たりして中々”本領”が出し切れずにいましたが、”ヒール転向”によって3度目の”IWGP戴冠”を果たし”猪木超え宣言”をした事によって今日のポジションに至っています。一方、真壁はプエルトリコマットで自力で這い上がり、”肉体改造”も行って新日本に凱旋。そして、自分で行動を起こして自分のポジションを作り上げ、その中で紆余曲折を味わうも、昨年”G1クライマックス”で優勝する等の実績を身に付けました。両者とも、一見”正反対”に見えますが実は同じような境遇を歩んできた事は間違いないと思います。

さて、”試合開始”のゴングが鳴ると、中邑はあえて”プロレス然”とした戦い方ではなく、”キック”や”サブミッション”を多用した”格闘技的”な戦い方を意識的に仕掛けていました。それに対し、真壁の反撃も普段以上にえげつない”危険技”を多様。見ているだけでも”鳥肌”の立つようなまさに”現代風ストロングスタイル”の試合でした。試合中盤、真壁が中邑をトップロープから”雪崩式パワースラム”を浴びせると、中邑が左肩を押さえながら悶絶しています。放送席からは「中邑選手は肩を脱臼しましたか?」、「肩から”関節”が出ています。」とかつて永田の”雪崩式エクスプロイダー”を喰らった際の”悪夢”が蘇ってしまいました。そこをすかさず真壁は肩口に蹴りを入れ、そして強引に”ドラゴンスープレックス”を仕掛けますが、中邑は返します。更に、真壁もエグい攻撃を何度も仕掛けますが、それでも返す中邑。しかし、中邑の左肩口の”突起”はますます目立つようになり林リングドクターも駆けつける始末。

そして、終盤真壁はトップロープに上って中邑が中腰状態の所を背後から後頭部めがけて”キングコング・ニードロップ”を放ち、そして”片エビ固め”で3カウントを奪い念願の”IWGPヘビー級王者”奪取に成功しました! 苦節13年と2ヶ月、”雑草”と呼ばれて常に”ボロ雑巾”同様に扱われ、何度も”どん底”に突き落とされた人間がやっとの事で”栄光”を手に入れました。そして、試合後のインタビューで「チャンピオンになった今、次の挑戦者を誰に指名したいですか?」と質問されると、すかさず「ちょっと待て、俺は今”チャンピオン”になったばっかりなんだから、俺から言うんじゃなくて、誰かが名乗りを上げなきゃおかしーじゃねぇか!」と返しあ後に、「本当は、こんな事は言いたくないんだけど・・・、おめぇらに対してこんな事は言いたくないんだけど・・・。サンキューな!」と照れくさそうに言いながらリングを去りました。

その後、”控え室”でのインタビューでも、”対戦者名”は挙げずも「NOAHには借りがある。だからNOAHの人間で名乗りを上げる奴はいねぇのか?」とおそらく杉浦?を指して言いました。となると、現時点では杉浦も”GHC王者”ですから、まさか史上初の”IWGP VS GHC王者統一戦”が行われる、と言う事でしょうか。これで真壁が”二冠王”になったら、それこそ”アメリカン・ドリーム”ならぬ”ジャパニーズ・ドリーム”という事になりますね。

【5.03、福岡国際センター大会】
〈観衆〉6,000人

(IWGPヘビー級選手権)
○真壁刀義(挑戦者)(18分18秒 トップロープからのキングコングニードロップ→片エビ固め)中邑真輔(王者)●
※真壁が第54代IWGPヘビー級王者となる!

(スペシャルシングルマッチ)
○矢野通(16分57秒 片エビ固め)棚橋弘至●

(IWGPJrヘビー級選手権)
○丸藤正道(王者)(22分40秒 タイガーフロウジョン→片エビ固め)田口隆祐(挑戦者)●
※丸藤が4度目の防衛に成功!

(スペシャルシングルマッチ)
△後藤洋央紀(13分41秒 両者KO)田中将斗△

(IWGPタッグ選手権 3WAYマッチ)
永田裕志&井上亘○VS高橋裕次郎&内藤哲也VSジャイアント・バーナード&カール・アンダーソン●
○井上(12分20秒 スピアー・オブ・ジャスティス→エビ固め)アンダーソン●
※永田&井上が第56代王者となる!

(CMLLミドル級選手権)
○獣神サンダー・ライガー(10分04秒 空中胴締め落とし→体固め)ネグロ・カサス●
※ライガーが新王者となる!

・・・etc


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  1. 2010/05/09(日) 13:48:42|
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彦根・安土・関ヶ原の旅③

5月4日、朝食を済ませた後、AM8:30頃にホテルをチェックアウトし、彦根駅から関ヶ原駅へ向かいました。
関ヶ原駅へ到着すると、まずそこから5分程歩いて「関ヶ原町歴史民俗資料館」へ向かいました。館内には、言うまでもなく“関ヶ原の戦い”に関する資料や物品が展示されている訳ですが、どうも地元の人達は“石田三成びいき”のようで、資料も“西軍”の武将にまつわる資料が多く、三成と家康の“プロフィール”を読んでも、三成の方が必要以上に良く書かれていて、一方の家康の方が必要以上に悪く書かれているような嫌いを感じました(汗) ”展示室”を見終わった後、入り口の販売店に”武将グッズ”が販売されていたのですが、それも”石田三成”関係のものが多かったのと、荷物がかさばってしまうので結局買いませんでした。

で、ここの資料館では”レンタサイクル”も扱っていたため、早速レンタサイクルを借りて、”関ヶ原探索コース”を周る事にしました。まず、資料館を出てすぐの所に”徳川家康最後陣跡”があります。土塁を四角に囲ってあり、いかにも”陣”という感じでした。元々、家康は”桃配山”に陣を置いていましたが、戦況がよくつかめないためこの地へ移動したそうです。合戦後は、ここで敵将の”首実検”を行ったようです。

関ヶ原 徳川家康最後の陣跡






徳川家康最後陣跡

次に、”決戦場跡”、そして”笹尾山・石田三成陣跡”へ足を進めました。まず、”決戦場跡地”があり、その背後にかなり壮大な”陣跡”が見えました。”石田三成陣跡”です。いやぁ、”三成びいき”もここまで来ると・・・、という感じにかなり立派に復元されていました(汗) 確かに、”関ヶ原”は三成の本拠地である”近江(現滋賀県)”に近いですから、”三成人気”が高いのはわかります。でも、僕的には三成はどうしても”武将”ではなく”官僚”のイメージが強いため、必要以上に”戦国武将”らしさを醸し出されると”不自然さ”さえ覚えるんですよ。

関ヶ原決戦場跡






決戦地跡

関ヶ原 石田三成陣跡






笹尾山・石田三成陣跡

その後は、”島津義弘陣跡”、”開戦地跡”、”小西行長陣跡”を周り、更に”宇喜多秀家陣跡”、”福島正則陣跡”へ進んだ後、”大谷吉継墓及び陣跡”へ向かったのですが、道が不便だったので断念。今度は、松尾山の”小早川秀秋陣跡”へ向かったのですが、こちらも松尾山麓から徒歩で40分程かかるため、時間の都合上断念(悔) 結局、「関ヶ原民俗資料館」へ自転車を返しに行く事にしました(泣) で、思ったのが、この”関ヶ原探索コース”はやはり”西軍武将”が中心で、しかも殆どが小規模なものでした(悲) 

しかし、僕が思うに、”関ヶ原の戦い”でもし石田三成率いる”西軍”が勝利したとしても三成と淀君に従う大名は殆どおらず、日本は”真っ二つ”に割れ、その隙に”西洋諸国”に攻撃され”植民地”になってしまった可能性が高いと思います。徳川家康率いる”東軍”が勝ったからこそ、今日まで日本は”植民地”にならずに済んだのではないでしょうか。「”歴史”は勝者によって作られる。」とは言われますが、最終的な”勝者”は徳川幕府を滅ぼした薩摩・長州を中心とした”明治政府”なんです。現代日本においても必要以上の”太閤びいき”や”家康=悪狸”というイメージが植え付けられているのも、”明治政府”がそのように当時の国民の洗脳したためである、と僕は考えています。

「関ヶ原民俗資料館」を後にすると、関ヶ原駅から名古屋駅へ向かいました。PM2:20頃に名古屋駅に到着したのですが、関ヶ原には昼食を取る場所が無かったため、少し遅くなりましたが名古屋駅の地下レストラン街で昼食を取る事にしました。どの店も混んでいたため比較的空いていた焼き鳥の店に入り、「鳥まぶし丼」を注文。やはり、地元の”名古屋コーチン”を使用した焼き鳥は違いますね。うなぎの”ひつまぶし”と同様、最後は”お茶漬け”にするのですが、炭火の香ばしさに加えて皮の”パリパリ感”が味わえるので、うなぎの方よりこちらの方が少し”上”かな?とも感じました。

PM3:40頃、名古屋駅から新幹線に乗って帰路に就きました。(終わり) [彦根・安土・関ヶ原の旅③]の続きを読む
  1. 2010/05/06(木) 19:45:13|
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彦根・安土・関ヶ原の旅②

5月3日、朝食を済ませてからAM8:25頃ホテルを出発し、彦根駅から安土へ向かいました。安土駅へ到着すると、そこから徒歩で約20分かけて安土城祉へ向かいました。安土城登城口に到着すると、驚いたのが通常であれば”城祉(建物が保存されていない城あと)で”拝観料”を取られる事は無いんですが、ここは何と言ってもあの織田信長が築いた”天下の安土城”ですからきっちり”拝観料500円”を取られてしまいました(汗) 更に、城祉内に所在するかつて信長が自分自身を祀った寺として有名な”総見寺”もまだ現存しており、そこの拝観料を含めて1000円払う事になりました。

しかし、やはり安土城は登城口付近から既に中央に階段(大手道)が中腹に向かって伸びていて、その両脇に石垣の段が上に向かって続いていて、まるで”インカの遺跡”を見ている感じがしました。途中には”伝前田利家邸”、”伝羽柴秀吉邸”があり、そして、総見寺へ入り、中で茶菓子をご馳走になりました。ちなみに、中には”信長木造”はありましたが、さすがに”盆山(信長のご神体)”はありませんでした。

安土城登城口






安土城登城口付近

安土城 伝羽柴秀吉邸跡






伝羽柴秀吉邸跡

伝前田利家邸跡






伝前田利家邸

総見寺






総見寺

総見寺を出てから、中央の階段を登り切り、更に10分程上っていった所にようやく”本丸”があり、その手前にある”信長廟”を参拝してから、本丸を抜けてようやく”メイン”である”安土城天主跡”に到着。現存する城の天守と比較すると、そのスケールの大きさに度肝を抜かされてしまいました。”天主台”一つで一つの”郭”が形成出来るほどの大きさでした。

信長廟






信長廟

安土城天主台






安土城天主台

天主台内部






天主台内部

安土城:1576(天正4)年、足利15代将軍義昭を京から追放し、室町幕府を滅亡させた織田信長が、近江六角氏の居城・観音寺城の支城のあった安土山に築いた山城で、日本史上初の高層建築物”天守(安土城の場合は”天主”と呼ばれた)”と”完全石垣土台”を備えた城とされ(無論、”異説”もあって、岐阜城が最初だと言う説もある)。しかし、1582(天正10)年、信長が京・本能寺にて重臣・明智光秀に討たれると、その娘婿(妹婿とも)明智秀満に占拠されますが、”山崎の戦”にて光秀が羽柴秀吉に討たれると、秀満は退却し、その後、天主や周辺建造物が消失。以後は信長の嫡孫・三法師(後の秀信)が入城するも、1585(天正13)年、秀吉の養嗣子・秀次が”八幡山城”を築城したため”廃城”。

安土城を下りると、今度は「文芸の郷 信長の館」へ向かいました。現地へ到着すると、「信長の館」にはいる前に隣接する「文芸の郷レストラン」で昼食を取る事にしました。そこで、豚肉をたまねぎ、ピーマン、にんじん等の野菜と一緒に炒めて、その上にゴマの削ったものをふりかけた「豚肉戦国焼き定食」を注文したのですが、これはこれで中々美味しかったです。

昼食後、「信長の館」へ入館。安土城の5階と6階部分を復元した建造物が展示されており、その内部も見事に復元されておりました。”黄金”で張り巡らされた”豪華絢爛”な造りになっていて、壁・襖・天井等に描かれた絵は、”仏教”の世界観が描かれており、また”外観”は”神道”、”仏教”、そして”キリスト教”の様式を融合した造りになっていて、これこそが実は信長が思い描いていた”宗教観”だったのではないでしょうか。すなわち、信長の頭の中には”宗教統合”という概念があって、これまで言われていた”無神論者”ではなかったのではないでしょうか(”比叡山派”や”本願寺勢力”は信長の”宗教観”を否定したために弾圧を受けたのではないでしょうか?)。

信長の館 1階






安土城5階部復元展示物

信長の館 2階






安土城6階部復元展示物

「信長の館」を出ると、隣接する「安土城考古博物館」へ入りました。”縄文時代”から”古墳時代”の琵琶湖周辺の遺跡から発掘された品々や、”安土城”に関連する品々が展示され、特に琵琶湖周辺にあるせいか”水道施設”を象った埴輪が数多く展示されていましたが、中でも、当時の”水道施設”をそのまま再現した埴輪も展示されていたのですが、もし当時そのような”水道施設”が存在していたのだとしたら、”古墳時代”にはもはや”古代ローマ”並みの技術が既にあった、という事にならないでしょうか?

「安土城考古博物館」を出ると、最後に安土駅付近にある「安土城各資料館」へと向かいました。安土城の20分の1の模型が再現され、その断面も見る事が出来ます。内部には”吹き抜け”があり、現在の”六本木ヒルズ”の設計家も真っ青になるぐらい信長の”発想力”と”先見性”がいかに優れていたかが伺えますね。

安土城模型








安土城模型

安土城模型断面








安土城模型断面

尚、この資料館では200円均一の”飲み物割引券”が付いており、それでコーヒーを一杯飲んで資料館を後にしました。

それから、電車で彦根駅に向かい、前日寄る事が出来なかった”夢京橋キャッスルロード”へ行って、おやつを食べたり、網や下を買ったりしてから、ホテルへ戻り、再び外出して駅の近くにある「彦一」という居酒屋で夕食を取る事にしました。

滋賀県に来たら一度は口にしなければならないと思い、”フナ寿司”を注文。料理が運ばれてきて、恐る恐る口の中に入れてみましたが、意外といけました。他には”近江牛のユッケ”、”山菜の天ぷら”を注文し、ビール1杯、日本酒2杯、サワー1杯飲んで、隣の”近江チャンポン”の店が気になったので、その辺で”お愛想”にして、隣の”近江チャンポン”の店に直行。実際頼んでみると、出てきたのは関東で言う所の”タンメン”でした(汗) でも、関東のタンメンと違って”麺”は”平打ち麺”ではなく通常の麺で、スープも結構澄んでいてあっさりしていて美味しかったです。

その後、ホテルに戻り、風呂へ入り、洗濯物を”コインランドリー”で洗う等してから床へ就きました。(③へ続く) [彦根・安土・関ヶ原の旅②]の続きを読む
  1. 2010/05/05(水) 15:24:19|
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彦根・安土・関ヶ原への旅①

今年のゴールデンウィークは、彦根方面へ2泊3日で行って参りました。

5月2日、新幹線で米原まで向かい、そこからまず長浜へ行く事にしました。かの豊臣秀吉が織田信長の家臣時代に城主として治めていた土地だったため、今でも当時の”城下町”を髣髴されるような町並みが整備されていて、飲食店も結構ありましたので、川魚料理専門の店で昼食を取る事にしました。そこで”鮎雑炊定食(鮎の塩焼き付き)”を食べてから、秀吉の居城だった”長浜城”へと向かいました。

”長浜城”は現在”歴史資料館”として天守が復元されており、秀吉にまつわる資料は勿論の事、琵琶湖内にある竹生島に関する資料等が展示されていました。”平城”であるためそれ程規模が大きくは感じませんでしたが、4層5階と以外に大きく、また琵琶湖に近いため5階からの眺めは最高でした。

長浜城:1573(天正元)年に羽柴秀吉が浅井長政攻めの功により織田信長から拝領した浅井氏の旧領・今浜(後に信長の”長”の字を加えて”長浜”と改名)に築いた城。1582(天正10)年、”本能寺の変”で信長が自害した後は、柴田勝家の甥・勝豊が入城するも”賤ヶ岳の戦い”で柴田氏は滅亡、後に山内一豊が6年間在城した後、内藤信成が城主となるも、1615(元和元)年に廃城。現在の天守は1983年に「市立長浜城歴史博物館」として復元されたもの。

長浜城







長浜城

長浜城から見た琵琶湖






長浜城から見た琵琶湖

天守を出ると、目の前一体は”公園”となっていて、琵琶湖畔が間近で臨めます。今回はあくまでも”彦根~安土~関ヶ原”がメインだったため、長浜はそれ程長い時間は滞在しませんでしたが、丸一日滞在しても十分満喫できる所だったので、また別の機会にもう一度行ってみたいですね。

長浜駅から初日のメインスポット”彦根”へと向かいました。長浜城と違って”平山城”であるため”土台部”の高さもあり、井伊家35万石の由緒ある城であるため構えも立派でした。ただ、立派な”土台部”と比較すると”天守”は”3層4階”とそれ程大きくはありませんでしたが、内部は当時の作りがそのまま残されており、それゆえか”見物客”の行列が出来ていて”60分待ち”になっていました(汗)

彦根城:”徳川四天王”の一人、井伊直政が”関ヶ原の戦い”での功績によって石田三成の居城だった佐和山城を与えられましたが、より琵琶湖に近い場所への移転を計画するも1602(慶長7)年に死去した事により、家老の木俣守勝が1603(慶長8)年に琵琶湖に浮かぶ彦根山に築城を開始。以後21年の歳月を経て1622(元和8年)に完成。以降1871(明治4)年の”廃藩置県”まで”政庁”としての機能を有し、その後は”廃城例”を免れて建造物の多くは保存され、1951(昭和26)年に”重要文化財”、更に天守・附櫓・多聞櫓が翌1952(昭和27)年に”国宝”に指定される。

彦根城






彦根城天守

井伊直政像






井伊直政像

また、本丸を出た付近に”玄宮園”という旧大名庭園があり、これまで多くの”庭園”は見て参りましたが、その多くは”写真”と違って池が濁っていたり草が枯れていたりしてあまり綺麗な印象を感じなかったのですが、こちらの庭園は”整備”が行き届いているのか池もかなり澄んでいて水面に庵や草木等がまるで鏡のように映っていて非常に美しかったです。

玄宮園:彦根城区画内にある”旧大名庭園”で、造営時期は不明だが、江戸時代初期の延宝6(1678)年に彦根藩4代藩主井伊直興が整備したといわれる。江戸時代後期の文化10(1813)年には第11代藩主井伊直中の隠居屋敷として再整備された事によって今日の形状に近くなり、更にその直中の14男で後に”第15代彦根藩主”を経て”幕府大老”となった井伊直弼も藩主時代茶会等で利用したといわれる。

玄宮園






玄宮園

井伊直弼像








井伊直弼像

彦根城を出た後、ホテルへ向かい、チェックインを済ませた後すぐに外出して”夢京橋キャッスルロード”へ向かいました。ただ、時間が少し遅かったので、買い物は翌日回しにして夕食を取る事にしました。キャッスルロードから更に向かって左に入った所に”四番町スクエア”という所があり、そこにある豆腐専門居酒屋「とうりん」という店へ入りました。そこで、”豆腐田楽”、”近江牛陶板焼き”、”穴子天ぷら”を食べ、ビール1杯、日本酒2杯程飲んだのですが、この店は”一人客”にあまり慣れていない感があり、店員も結構忙しそうだったので、まだ食べたり無飲み足りなかったのですが、店を出る事にし、キャッスルロード入り口付近のステーキ店に入りました。そこで”ランプステーキセット”を注文。”サーロイン”よりも値段が安く(¥2,600)、しかも”赤身”ですから肉本来の旨みも味わえて、更に”厚み”もあったので相当食べ応えがあって美味しかったです。

食後はホテルへ戻り、風呂に入って、少しテレビを見てから翌日に備えてPM11:00には床に就きました。(②へ続く) [彦根・安土・関ヶ原への旅①]の続きを読む
  1. 2010/05/05(水) 11:22:33|
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スーパーpsy野神

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