コラム・de・ブログ

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ちょっと遅いが・・・「G1 CLIMAX 2009」

正直、中々書く暇が無く、”G1”が終了してから約1週間が過ぎてしまいました(汗)

今回は、最後の最後まで中邑が”全勝”したいたため、間違いなく中邑が”優勝”かと思いましたが、最後に笑ったのは・・・”苦労人”真壁刀義でした。”エリート”として会社に担ぎ上げられ常に”チャンス”を掴んでいながら次第にその”ジレンマ”からスランプに陥り、それで這い上がってもまた肝心な所で”チャンス”を逃し、そしてそういった状況から逸脱するために”G.B.H. No.2”矢野通と手を組んで”ヒール”に転向した中邑は、今度こそ本当の意味での”頂点”を目指して自力で”快進撃”を進めたわけですが、そこで立ちはだかった真壁もまた、その中邑が矢野と手を組んだ事で”G.B.H.”から追放され、やはりその後も今ひとつ殻を破れずにいました。しかし、真壁はこれまでも”どん底”から何度も這い上がってきました。こういった”ハングリー精神”の大きさが真壁に”勝利”を導いた、と言っても過言ではないでしょう。逆に、中邑は結果的にはいい”踏み台”になってしまった、という事なのでしょう(哀) 試合後の”インタビュー”にしても、真壁のこれまでのさまざまな”思い”がヒシヒシと伝わってきました。”エリート”中邑に対するジェラシー。中々這い上がれない自分への苛立ち。”怪我”による挫折・・・。そういった”屈辱”をいくつも味わいながらも、最後には”プロレスラー”になる前からの自分の”夢”というものに賭けて、その結果”優勝”に結びついたんですよね。「”夢”の無い時代だからからこそ、”夢”が必要だろ!」 確かに、今のプロレスラーにはこうした”気概”こそ本当に必要なものなのではないでしょうか。

それにしても、NOAHから初参戦した杉浦が、まさか”ベスト4”まで残るとは思いませんでした。やはり杉浦の”実力”は侮れませんね。彼はもう少し”身長”がありさえすれば、今頃”NOAHエース”になってるはずなんですよね(悲) ZERO-ONE MAXの田中将斗もかなり頑張ってましたからね。田中もまた、真壁と同じ”境遇”と”反骨精神”を持ったレスラーですからね。

さて、今大会の”星取り”ですが、”Aブロック”の方が、真壁:7点(バーナード、大森に黒星、棚橋と引き分け)、棚橋:7点(大森、TAJIRIに黒星、真壁と引き分け)、田中:7点(真壁、棚橋に黒星、バーナードと引き分け)、矢野:6点(棚橋、真壁、田中に黒星)、大森:6点(田中、矢野、バーナードに黒星)、バーナード:5点(真壁、大森に白星、田中と引き分け)、TAJIRI:4点(棚橋、バーナードに白星)、”Bブロック”の方が、中邑:12点(全勝)、杉浦:7点(中邑、天山に黒星、永田と引き分け)、後藤:6点(中邑、杉浦、永田に黒星)、中西:6点(中邑、杉浦、後藤に黒星)、永田:5点(後藤、天山に白星、杉浦と引き分け)、天山:4点(杉浦、飯塚に白星)、飯塚:2点(永田に白星)、という結果に終わりました。中邑の”全勝”というのはダントツでしたが、他はかなり”混戦状態”でしたね。それにしても、永田と天山はどうした? かつて、”新日本エース”にまで君臨していた人間がまさかここまで落ちるとは(悲) もっとも、永田はまだ”脳”の後遺症があるのでしょうし、天山も肩を負傷していますからね。

そして、”決勝トーナメント”に勝ちあがったのが”Aブロック同率1位”の真壁VS”Bブロック2位”の杉浦(11分57秒、トップロープからのキングコングニードロップ→片エビ固めで真壁勝利!)、”Aブロック同率1位”の棚橋と”Bブロック1位”の中邑(13分31秒、ボマイェ→片エビ固めで中邑勝利!)。この”組み合わせ”が中々いいですね。ある意味”似たもの対決”になりましたので。次週「ワープロ」で放送される訳ですが、正直こちらのカードの方が興味がありますね。

いずれにしても、今大会で言える事は、”エース”として悩み続けたレスラー、”脇役”に甘んじられたレスラー、そして”どん底”に叩きつけられたレスラーのそれぞれの”思い”によって成立した「G1 CLIMAX」だったと思います。  [ちょっと遅いが・・・「G1 CLIMAX 2009」]の続きを読む
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  1. 2009/08/22(土) 22:13:48|
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高知への旅(その3) -四万十川編-

15日の朝、朝食を終えてAM9:00頃に高知市のホテルをチェックアウトし、高知駅から”土佐くろしお鉄道”に乗って”中村”へ向かいました。この電車は比較的”海沿い”を走る単線列車で、中々いい雰囲気を醸し出していました。向かう先は”四万十川”なのにその少し手前まで海が広がる所を走っていたのが凄く感動的でした。

AM11:00ぐらいに”中村駅”に到着。”天気”はあいにく”曇り”で少し雨が降りそうな雰囲気でした。駅前に”うなぎ料理店”がありましたので、荷物を”コインロッカー”に預けるとすぐさまその店に入って”昼食”をとる事にしました。思ったより早く食べ物が来たので、すぐに食事を済ませ、近くにある”レンタサイクル”で自転車を借りに行きました。

手続きを終えると、自転車に乗り四万十川の”見所”の一つである”佐田の沈下橋”に向かって自転車を走らせました。駅から約7分程行った所にようやく”四万十川”が顔を覗かせ、そこに掛かっている”四万十川橋(通称・赤鉄橋)”を渡り、その脇に通っている堤防道の上を自転車で走りました。

四万十川橋(赤鉄橋)






四万十川橋(赤鉄橋)

僕は、休みの日はたまに多摩川沿いの堤防道(サイクリングロード)を走るのですが、やはり全然雰囲気が違いますね。やはり”自然”の度合いがあまりにも違います! それに、そこから聞こえる鳥や虫の鳴き声も東京と比較するともっと複数の声が聞こえ、もっと”奥深さ”を感じました。川面の色もまさに”エメラルドグリーン”でとても綺麗でした。

しばらく自転車を走らせると、今度は”山道”へ突入。それこそ本当に”自然”の中を走っていました。中々いい感じでしたね。そして、駅から約50分ぐらいの所に最初の目的地”佐田の沈下橋”に到着。正直通り過ぎる所でした(汗) 結構思ったより早く着いた気がしたので。

佐田の沈下橋






佐田の沈下橋

自転車を降り、橋を渡って反対の岸へ行きました。橋の途中から見る川のせせらぎには心を現れる感じでしたね。

再び自転車に乗り、今度は”三里の沈下橋”へ向かいました。ここから先の道の方が”起伏”があってちょっとキツかったですが、約15分程で到着。こちらの方は、”佐田”の方とは少し趣が違い、川の水深が深く、舟が行き来していたぐらいでしたからね。それに、橋の上からジャンプして川に飛び込む人もいました。正直気持ちよさそうでした。(僕もやりたかったがそうも行きませんので(汗))

三里の沈下橋






三里の沈下橋

正直、もう少しのんびりしたかったですが、何せ”自転車”で来てるんでそうも行かないし、他に寄りたい所もありましたので、再び”赤鉄橋”の方まで戻る事にしました。

”赤鉄橋”付近にから駅とは反対方向に進んで5分ぐらい行った所にある「トンボ自然公園」へいきました。ここは、もともと田んぼだった所が放置される事になり、そこを改良した公園です。その名の通り、あちこちに”トンボ”が飛んでいて、しかも見た事の無いトンボも結構飛んでいました。

トンボ自然公園







トンボ自然公園

ただ、問題なのは本当に”トンボ”しかいないのがちょっと残念な気もしました(汗)(もっとも、魚やカエル等がいたら下手すりゃ食べられちゃいますからね。) そして、そこに隣接している「四万十学遊館」へ入る事にしました。館内は”さかな館”と”トンボ館”に分かれていて、まずは”さかな館”から観ることにしました。まずは”四万十川の魚”のコーナーから見たのですが、河口付近には”海の魚”が結構いる、という事に正直驚きました。本来はそこは”海水”と”淡水”が交わる”汽水”になっていなければならないのに、川底の砂が削られたせいでほとんどが”海水化”してしまっているようです。この川には”絶滅危惧種”も多く生息しているようです。本当に”日本最後の清流”なのかもしれません。それから、”ピラルクー”、”エンゼルフィッシュ”、”ハイギョ”等世界の魚も展示されていました。

次に”トンボ館”へ行きました。こちらは、日本中にいる数多くのトンボの”標本”と、世界のトンボの”標本”が展示されていました。更に2階へ進むとトンボ以外の世界中の昆虫の標本が展示されていました。ただ、時間的に徐々に余裕がなくなってきたので、あまりゆっくり観れなかったのが残念でした。

「トンボ自然公園」を後にすると、駅に向かい、まず”レンタサイクル屋”で自転車を返してから、駅のコインロッカーに預けてあった荷物をとりに行き、予約していたホテルへ向かい、そしてチェックインした後すぐに風呂に入り、そして、ホテルの隣にあった”物産館”と”レストラン”へ向かいました。”物産館”をちょっと物色した後、”レストラン”へ行き、そこで”鮎の塩焼き”、”ねぎ塩ひれかつ”、”枝豆”などを食べました。さらに、レストランを出た後、隣接している”物産館”へ寄って、”その1”の章で書いた高知限定の乳酸菌飲料「リープル」を買い、物産館の表にある屋台で”あおさ天ぷら”を買って、それらを飲食した後ホテルへ戻りました。

翌朝、朝食を食べた後すぐにホテルを後にし、そして”特急南風号”へ乗って岡山へ向かい、そして”新幹線”に乗り換えてそのまま帰路に向かいました。 [高知への旅(その3) -四万十川編-]の続きを読む
  1. 2009/08/17(月) 22:04:42|
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高知への旅(その2) -桂浜・坂本龍馬編-

13日の夜、何となく小腹が減っていたのと、テレビ番組の影響でつい”夜食”を買ってきてしまい、それを食べて夜寝ると、夜中にちょっとお腹が痛くなり目が覚めました。それからトイレに駆け込むも何も起こらず、再び寝床に入り、それを2度ぐらい続けて、朝を迎え、再びトイレへ行った時に”激しい下痢”に見舞われてしまいました(泣) まぁ、自業自得だからしょうがないのですが、だんだん”年齢”と共に”飲食”のコントロールが出来なくなってしまったのは事実です(悲)

それでも、この日は”桂浜”まで向かわなければならなかったため、何とか朝食だけは食べて、体調が優れない状況ながらもバスに乗って桂浜まで向かいました。途中で意識朦朧となりながらも、気が付くと”漁師町”といった感じの民家が立ち並ぶ細い道路をバスが走っていました。そして、しばらく進むと一変目の前に”海”が広がりました。”土佐湾”です。天気も”快晴”で、海がとても美しく見えました。というより、関東近辺の海と違って土佐の海は本当に綺麗でした。しかし、やはり”夏休み”という事で次第に道が混み始め、今度は目的地に辿りつくのに結構時間が掛かってしまいましたがようやく”桂浜”に到着。その時、AM11:00はまわっていたのですが、正直”食事”をとる気力など無く、まずは浜の方へ行きました。

坂本龍馬像






坂本龍馬像

桂浜小






桂浜と龍王岬(右奥)

まずは、”教科書”等や”図鑑”等でお目にかかる坂本龍馬像。龍馬はここから”何処”に目を向けていたのだろうか?・・・ それから、”龍頭岬”のまで歩き、そして浜辺を歩いて”龍王岬”へ行きました、この岬の上から見る海は更に美しかったですね。

岬から、今度は山道を歩いて、車道まで出た後「坂本龍馬記念館」へ向かいました。館内入ると、まず地下2階の展示室を案内されました。そこには龍馬の”生い立ち”とか、龍馬に関わる人物について書かれた記述が貼られ、また龍馬と関係のある物品や資料が展示されていました。ただ、ここの館は人が結構多かった事と、こうした”展示物”がやや乱雑に貼られていた上、更に”体調不良”もあって少々わかりにくかったように思えました。次に案内されたのが2階の展示室で、そこには”戊辰戦争”に関するコーナーや、龍馬と中岡慎太郎が殺された近江屋の部屋の再現模型、等がありました。
まぁ、ある程度は元々本やテレビドラマ等で知っていた事が多かったのですが、ここで気づいたのが、龍馬が”海外”に目を向けるきっかけになった人物が勝海舟だと思い込んでいたのがそうではなくて河田小龍という画家だった事、それと”薩長同盟”の発案者が実は龍馬では無く三条実美を中心とした”攘夷派公卿”達で、そこから中岡慎太郎を経由して龍馬に託された、という事です。やはり”歴史”というものは年々改められているんだな、と思い知らされました。

”龍馬記念館”を出た後、本来ならば”昼食”をとる所なのですが、まだとても食欲がある状態ではなく、とりあえず”アイスクリーム”だけ食べて、すぐさまバスに乗って高知市街へと向かいました。バスに揺られて約30分後にはりまや橋バス停に到着。そこから”土佐電鉄”に乗る前に、とりあえず目の前のコンビニで休憩をとる事にしました。そこでトイレに行ったり、おにぎり等を買って少し腹ごしらえをしてから、”土佐電鉄”に乗って”紙町1丁目”という駅で降り、そこから「龍馬が生まれた町博物館」へ行きました。

こちらの方では、一応予約をすると”ガイド”の人が案内してくれるようなのですが、ちょうどガイドの人が他のお客さんをガイドする所だったので、ついでにガイドしてもらう事になりました。やはり、”ガイド”の人がちゃんと説明してくれる分、こちらの方が全然わかりやすかったですね。単なる龍馬の”生い立ち”とかその当時の”事件”だけの説明じゃなくて、どのような所で生まれてどのような形で育ったのか、という事や、龍馬が生まれ育った町についての説明や、またそこに暮らす人々の説明などもあって非常にためになりましたね。更に、ここでは龍馬が”海外”に目を向けるきっかけを作った人物としては、上記の河田小龍の前に龍馬の”第2の母”である伊與(いよ)の実家の川島家にいる彼女の父親から影響を受けいる、と説明していました。こちらでは、”歴史的事象”よりも竜馬の育った”環境・背景”等を中心に取り上げていました。

「竜馬が生まれた町記念館」を出た後、”坂本龍馬生誕地”へ行き(ただ石碑が建っていただけだが(汗))、その後本当は「土佐山内家宝物資料館」へ行く予定でしたが、場所が良くわからなかったのと、まだ体調が万全じゃない上うだるような”猛暑”だったため、途中であきらめてひとまず”ホテル”へ戻り風呂にでも入って体調を整える事にしました。

ホテルに戻り、風呂に入って、ある程度”体調”が回復すると再び外へ出て”夕食”をとるために”はりまや橋”の方へ向かいました。今度は居酒屋風の店に入り、そこで”納豆天ぷら”、”うつぼの竜田揚げ”、”チヌ(クロダイの一種)の刺身”を食べました。”うつぼ”というのは”初体験”ですが、正直まずくは無いけど別段美味いというものでもありませんでした。でも、”チヌの刺身”は絶品でしたね。もう少し”体調がよければもっといろいろ食べたかったのですが、とりあえず今回はここまでにしておきました。・・・(”その3”へ続く) [高知への旅(その2) -桂浜・坂本龍馬編-]の続きを読む
  1. 2009/08/17(月) 16:14:09|
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高知への旅(その1) -高知編-

今月13日から3泊4日で”初上陸”である四国の高知へ旅行へ行ってまいりました。これまで、一応北海道から沖縄まで全国津々浦々旅をしてきた訳ですが、四国にはまだ足を踏み入れていなかったので、今回はせっかくなので通常よりも1泊増やして”3泊4日”で行ってまいりました。但し、”飛行機”ではなく”新幹線”ですけどね(笑)(飛行機だとどうしても高くつくので、新幹線で行く代わりに1泊増やした、という次第です。)

まずは、13日朝、新横浜から新幹線に乗って13時半過ぎぐらいに岡山に到着。岡山からは土讃線の特急「南風号」に乗って高知へ向かいました。で、まずこの電車の”目玉”となるのはなんといっても本州と四国をつなぐ”瀬戸大橋”です。新幹線で海の上に掛かる橋を渡る、なんてシュチュエーションは”初体験”です。厳密に言えば、この橋の間にある4つの島の上に柱を立て、その上にまたがって掛かっている訳ですけど、そこから見える瀬戸内海の島々の”絶景”は最高でしたね。そして、橋を渡りきると、今度は妙に綺麗な”円錐形”の山が見えてきました。”讃岐富士”こそ飯野山です。このような形をしている事と、そこから数キロ離れた所に”コンピラさん”こと”金刀比羅神社”がある事から”ピラミッド説”があるようです。

更に、奥に進んでいくと、今度は”渓流”が姿を現します。そして、しばらく進んでいくと徳島県の”景勝地”の一つである”大歩危・小歩危”というゴツゴツとした岩肌をむき出しにした渓谷が見えてきます。秩父の”長瀞”、木曾の”寝覚ノ床”、会津の”塔のへつり”とはまた趣の違う渓谷美を感じました。それから・・・約1時間半後、辺りも山間部が開け”海”まで姿を見せ、それまで曇っていたのが徐々に日差しが見えてきてそして高知へ到着。高知へついたとたんに空は”快晴”。南国土佐を物語るような物凄い”暑さ”が僕を襲いました。

ホテルで”チェックイン”を済ますと、そのまま”高知城”へ直行。時間的にはかなり微妙でしたが、”夏休み”という事もあっておそらく”時間延長”という事を期待して城まで行きましたが、僕の予想通り”一時間延期”になっていましたので、何とか”天守閣”に入る事が出来ました。
”高知城”は、1603年、当時駿河国掛川城主だった山内一豊が、「関が原の合戦」後”東軍”についた事から”土佐一国24万石”を与えられ、そこで築いた城です。(完成したのは二代藩主・忠義の頃)。”天守閣”は”4層6階”の”望楼型”と呼ばれる初期型の天守閣で、最上階が他の階とは作りが異なり、窓の部分には”外廻縁(いわゆるベランダ)”があるもので、信長の”安土城”や秀吉時代の”大阪城(今の大阪城は徳川秀忠が築いたもの)”と同じ形状の城です。しかし、やはり”スケール”的には一豊自身の”スケール”にも等しく(一豊自体は素晴らしい武将だったのでしょうけど、性格的な謙虚さを表した意味です。)さほど大きいものではなく、結構”スリム”な感じの印象を受ける城でした。”内部”は当時の作りをある程度残した感じになっていて、中々いい味わいを感じました。更に、この城は、現存する多くの城の中でも数少ない”本丸御殿(こちらでは懐徳館という名称になっている)”を残している城です。

高知城






高知城

城を後にし、夕食をとるために”はりまや橋”方面に向かうために車道上を走る”土佐電鉄(高知市街を走るチンチン電車)”に乗ろうと思ったのですが、実は高知市街の道路の”赤信号”がやたらと長く、電車が車道のほぼ中央を走っているために信号を渡らなければならず、中々信号が変わらない内にバスが何台か来てしまったので、結局バスに乗る事にしました(汗)(結局電車の意味無いじゃん(笑)) そして、”はりまや橋”につくとその付近のアーケード街にある”土佐料理専門店”に入り夕食をとる事にしました。

そこで、”地カツオのたたき”、”鯨の竜田揚げ”、”清水鯖のにぎり”等を食べたのですが、やはり地のものは美味しかったですね。また、”酒”の方もビール、日本酒、それから高知の焼酎である”栗焼酎”を飲みました。”栗焼酎”は”芋焼酎”よりも淡麗で上品な口当たりでした。(帰りにお土産に買っております。)

食事を終えると、ホテルへ戻り、風呂に入ったのですが、そこでパンツの数が足りない事に気付き、また風呂から出た後、ちょうど日テレ系の「秘密のケンミンSHOW」がやっていて、その中で”夫婦”という設定であちこちの転勤先を廻る、というコーナーがあって、しかもそこで取り上げられていたのがたまたま”高知県”で、その中で”リープル”という高知限定の乳酸菌飲料が紹介されていたので、パンツを買うついでにそれを買いに近くのコンビニまで足を運びました。しかし、その”リープル”という飲み物は売っておらず、それと同じメーカーが作っているコーヒー牛乳が売っていましたので、そのコーヒー牛乳とキャラメルメロンパンを買って、ホテルで食べたのですが、それが翌日の”悲劇”につながったのでした(呆)・・・(”その2”へ続く) [高知への旅(その1) -高知編-]の続きを読む
  1. 2009/08/17(月) 10:12:00|
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芸能界の噂話とその実態

”清純派アイドル/女優”として一斉風靡した酒井法子が、”覚せい剤所持”で逮捕され、”芸能界”に衝撃が走りました。かねてから、彼女には”ヤンキー説”がありましたが、他にもそうしたアイドルはあまた存在するが、その多くは「女性自身」、「女性セブン」等の週刊誌で取り上げられる程度で、その多くは”ガセネタ”と考えるべきでしょう。しかし、酒井法子の場合は、20年程前にTBS系で放送されていた山田邦子、高嶋政伸司会のバラエティー番組「バナナ大使」の”イニシャルトーク”のコーナーで、ゲストの松居直美が一応”アイドルS”としながらも彼女の”実態”を暴露していました。「あの可愛い”ブリッ子”のイメージで売っているアイドルが、ある番組で地元の友達をスタジオ内に連れてきましたが全員”ヤンキー”だった!  ・・・・普段は可愛い口調でしゃべってるけど、その日の番組収録語は友達と”ヤンキー口調”でしゃべっていた。・・・」等を暴露。それ以外でも”某○ちゃんねる”では楽屋で”シンナー”を吸っていた事も暴露していた、と書かれているが、正直そこまでの”記憶”はないし、おそらくそれは”ガセ”だと思うが、しかし彼女が”ヤンキー”だった、という事自体は今回の件である程度証明された、といっても過言ではないと思います。

事実、酒井法子は4歳の時に実の母親と死別。その後父の手で育てられるが、どうもその”父親”が”暴力団員”である説が浮上。その父親が95年5月、自動車を運転中、山梨県内の高速道路で中央分離帯に衝突し死亡。その父親の”素性”は当時はあまり表沙汰にされていなかったようですが、今年7月、実は酒井の弟・健被告も”覚せい剤取締法違反”で逮捕され、そして彼は”暴力団組員”であり、そして、その事から父親も”元暴力団組長”だった事が発覚したようです。そういった”環境”を考えれば、酒井法子がグレてもおかしくないのは確か。ただ、それにもかかわらず、彼女が純真無垢な”清純派ブリッ子アイドル”を演じ切れたのは何故なのだろうか? おそらく、そこに彼女が所属していた事務所「サンミュージック」が何かしら関係しているのでしょう。

「サンミュージック」は、松田聖子が所属する事務所として有名ですが、今から23年前の1986年4月に同事務所が入居しているビルの屋上から”飛び降り自殺”をした当時の人気アイドル・岡田有希子が所属していました。彼女は”うつ病”に悩まされ、更に俳優・峰岸徹との”不倫”が原因”で”自殺”した、という事になっていますが、果たして本当なのだろうか? その岡田有希子の”元マネージャー”で後に酒井法子の”マネージャー”を勤めた溝口伸郎氏が2000年7月にやはり”自殺”しています。で、問題なのは、今、この人の事を検索しようとしても中々”ヒット”しないばかりか、”ヒット”しても”シークレットサイト”になっていたりする! どう考えても”何者か”の手が回っているとしか思えない!! やはり、岡田有希子の”死”には”裏”があり、その事を知っている溝口氏が口封じのために殺された、という事ではないでしょうか。で、酒井法子が、何故”ブリッ子”を演じきれたのか? ”プロ”としての”英才教育”を事前に叩き込まれたのか? それとも、何かしらの”トリック”があるのだろうか? 岡田有希子は、このような事務所の”実態”に気づき、それを公表しようとして口封じに殺されたのではないでしょうか。

いずれにしても、「サンミュージック」の背後に”黒い影”がちらつく事だけは確かだと思います。”暴力団”然り! また、今回”宗教団体”も関与していた、という話しもありました。”宗教団体”と言えば、この団体に所属していたために”転落”の一途を辿った桜田淳子も「サンミュージック」所属だったようです。でも、こういった事務所は、他にもあると言われます。特に、今”芸能界”で幅を利かせているのが「ジャニーズ事務所」、「ホリプロ」、「吉本興業」、そして「バーニング」と言われていますが、その中でも「ジャニーズ事務所」と「バーニング」はバックに”黒い連中”がいる事がほぼ明確だと言われています。特に「ジャニーズ事務所」はかなりヒドいという話です。「嵐」の大野智が週刊誌で覚せい剤を吸って”乱交パーティー”を行っていた、という記事が載せられ、その写真も写っていたようですが、何事も無かったようにスルーされています。どうも、”暴力団”、更には”自民党”、もっと突き詰めればそこにはなんと”アメリカ”まで関与して、上から強力な”圧力”をかけた、という話です。それから、草薙剛の一件にしても、実は”覚せい剤”を使用していた、という説があるようです。でなければ、大した量の酒を飲んだ訳じゃないのに、公園で”裸”になって騒いだり、果ては”家宅捜索”されたりする事なんて通常はありえないです。それに、考えてみれば、今のジャニーズのグループのほとんどが”オリコンチャート”で”初登場1位”を獲得しているのも不自然ですからね。何かしらの”圧力”無くしてあそこまで”チャート1位”を獲得する事等普通はありえないでしょう。

”芸能事務所”が、”暴力団”、”政治家”、更には日本を実質的に支配している、と言われる”アメリカ”と手を組んでいる、となるとこれは尋常ではありません。実は、酒井法子の夫が逮捕されると同時期に逮捕された押尾学が使用していた”MDMA”の方が実は問題のようで、こちらの”出所”が突き詰めると”自民党”、果ては”アメリカ”にぶち当たる、という話のようです。それを”カムフラージュ”するために酒井法子を”スケープゴート”にした、という説があります。おそらく、連中は「サンミュージック」の”実態”を知っているだろうし、酒井法子の”実態”も知っている。しかも、現在38歳の酒井法子は”賞味期限ギリギリ”と言っても過言ではなりません。一方”ジャニーズ系アイドル”はまだまだ使えます。どんどん若い”ジャニーズJr”が排出されているし、”ビジネス”としての売り出しはいたって簡単なのでしょう。だからその”収益”は大きく、それらの”マージン”が、”暴力団”、”自民党”、そして”アメリカ”へと渡っているとすれば納得がいきます。さらに、”ジャニーズ事務所”は何故”男性タレント”しかいないのか?という疑問を持っている人も多いでしょう。これぐらいの”力”のある事務所であればその”女性版”を作ったって”商売”は成り立つはず。しかし、そうしないのは、事務所の社長であるジャニー北川氏が”ゲイ”だから、という説があります。そして、”暴力団”や”アメリカ人”にはその手の人は多いはず。そういう関係から、ここにこうした”連中”が関与しているのでしょう。

いずれにしても、自分の事務所の”タレント”を売り出すには”力”がいる! そのためには、”力”のある連中に協力を求めるのは”自然の成り行き”でしょう。そして、その”代償”として”覚せい剤”を交わされ、それが”タレント”にまで渡っている、というのが真相ではないでしょうか。てな訳で、最近では”元祖アキバ系アイドル”と言われている小倉優子に”ヤンキー疑惑”があるようだが、果たしてどうなのだろうか? ”アッキーナ”こと南明奈も正直匂います。で”ユッキーナ”こと木下優樹菜はいかにも”シンナー”や”薬物”をやってそうですが、実は大した事無いのでしょう(笑) 同じ”おバカ仲間”のスザンヌは”ヤンキー”ではないでしょうけど、実は”高学歴”と言う噂が・・・? 果たして、これらの”真相”はいかに!? [芸能界の噂話とその実態]の続きを読む
  1. 2009/08/12(水) 10:42:12|
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大物女優の”死”と大物アイドルの”転落”・・・そして、小物?ロッカーの”自滅”(哀)

今週、芸能界に3つの”衝撃”が走りました。まず、”俳優”にして”ロック歌手”の押尾学が合成麻薬”MDMA”使用により逮捕。同日、”女優”、”元アイドル”の酒井法子の夫・”自称プロサーファー”の高相祐一氏が”覚せい剤所持容疑”で逮捕。更には酒井法子が失踪、そして彼女自身も”覚せい剤所持容疑”で逮捕。更に、この騒動の最中ここ10年ほど”病気療養”のため芸能活動を休止していた”大物女優”大原麗子が”ギラン・バレー症候群”による”心不全”で死去。清志郎、三沢、マイケルに続き”4人目の大物”がこの世を去りました(悲)

まず、今月3日、”俳優””ロック歌手”の押尾学容疑者が合成麻薬”MDMA”使用により逮捕されました。前日の2日、都内六本木のマンションの一室で女性の”変死体”が見つかり、同マンションでうずくまっていた所を事情聴取され、”尿検査”の結果”陽性反応”が出たため逮捕に至ったとの事。押尾は99年に”俳優”でデビューし、03年にはロックバンド「LIV」としてCDデビュー。それによって”有頂天”になった彼は、一度”俳優業”を休止し、”インディーズ”からバンド活動を行い、そこからすぐに”成功”出来ると勘違いしたようだが”不発”に終わり、その後”俳優業”に復帰するも大した仕事が入らず、気が付いたら”この有様”という訳ですね(呆) どうも、”学”と名の付く人は人生が”空回り”する宿命にあるのだろうか・・・?

次に、押尾と同じく今月2日に酒井法子の夫で”自称プロサーファー”高相祐一容疑者が、都内で職務質問され、翌日3日に”覚せい剤所持容疑”で逮捕されました。しかし、”事件”はここで終わらなかった。翌日、今度は酒井法子本人が突如息子を連れて行方不明。当初は夫の逮捕劇にショックを受けた妻の”悲劇”、と考えられていましたが、それにしても4日の夜、山梨県身延山付近で携帯電話の通信が途絶えて以降全く足取りがつかめず、6日に長男が都内の酒井の友人宅から無事保護されたものの、その内に夫の高相容疑者が「妻もやっていた。」と自供。それによって翌7日今度は酒井法子に”逮捕状”が出され、そして、8日に自ら都内の警視庁施設に弁護士を引き連れ出頭しました。”清純派アイドル/女優”が一転! ”大物アイドル女優”の”覚せい剤逮捕”に日本中が騒然となり、更に海を越えて中国までもその衝撃が伝わりました。
しかし、実は彼女にはかねてから”ヤンキー説”も囁かれており、それも「女性自身」、「女性セブン」といった”週刊誌”の”ガセネタ?”によるものではなく、タレントの松居直美が20年近く前にかつてTBS系で放送されていた山田邦子、高嶋政伸司会の「バナナ大使」という番組の”イニシャルトーク”のコーナーで、一応”アイドルS”としながらも「あのかわいい”ブリッ子アイドル”が、実はある番組で地元の友達を連れてきてたんですが全員”ヤンキー”だった。・・・テレビではかわいい口調でしゃべってるけど、その友達としゃべってる時は”ヤンキー口調”だった。・・・」といった形で暴露していたため、おそらく限りなく”クロ”に近い噂だったと思います。それが今回の件につながるとなると、やはり彼女の”本性”は”ヤンキー”だった、と考えざるを得ないでしょう。以前書いた記事で「プロレス八百長論と上杉謙信女説の共通性」の中で書いた事が”芸能界”にも十分当てはまると思いますので、これに関してはまた”別記事”を立てたいと思います。
いずれにしても、言える事は”アイドル”の最も重要な要素は”歌の上手さ”や”演技力”より、”ルックス”と”詐欺師の資質”だ、という事が今回の件ではっきりしましたね(愕然)

ただ、ある説では、どうやら今回の酒井法子の一件は実は”スケープゴート”であって、実は押尾学の事件の方が重要で、その背後に”暴力団(稲川会)”、”自民党”、そして”アメリカ”が関連しているとの事です。

そして最後に、こうした”二大薬物事件”とは打って変わって、”大物女優の死”について書かなければなりませんが、”昭和”を代表する女優がまた一人この世を去りました。しかも、ここ数ヶ月の内に忌野清志郎、三沢光晴、マイケル・ジャクソン、と続いて”4人目”の大物がこの世を去りました。1999年にかねてから発病していた”ギラン・バレー症候群”の悪化によって芸能活動を休止していた大原麗子が今月6日、自宅のベッドで仰向けになって死んでいるのが弟によって発見されました。”死因”は”不整脈による内出血”との事。おそらく、”ギラン・バレー症候群”と関係はしているのでしょう。享年62歳。今の時代で考えれば、死ぬにはまだまだ早すぎる年齢です(悲) それにしても、29歳でその病気に冒されながら、それがバレなかった事は本当に”女優”としてすばらしいですね! もっとも、酒井法子の方も”シンナー?”や”覚せい剤”を乱用しててもそれがバレなかったのは確かに凄いですけどね(笑)
大原麗子・・・・1964年、テレビドラマ「幸福試験」(NHK)でデビュー。翌年、東映に入社し映画佐久間良子主演の「孤独の賭け」で本格的に映画デビューを果たす。以降、高倉健主演の「網走番外地」シリーズや梅宮辰夫主演の「夜の青春」シリーズ等の映画に出演。渥美清主演の「男はつらいよ」シリーズで”マドンナ役”を2度務める。”テレビドラマ”ではNHK大河ドラマ「春日の局」をはじめいくつもの”主役”を務め、”好感度No.1女優”の地位を得る。”CM”では1977年から1987年まで放映された「すこし愛して、なが~く愛して」のキャッチコピーで知られるサントリーレッドのCMが一世風靡する。私生活では、73年9月に俳優の渡瀬恒彦と結婚するも、5年後の78年2月に離婚。その2年後の80年6月、歌手の森進一と結婚するが、84年に離婚。その際のインタビューでの名台詞が「家庭に”男”が2人いた。」でした。以降彼女は”独身”を通していました。
大原麗子は、日本の”美人女優”を代表する一人として、年齢を重ねてもその”美貌”と”可愛らしさ”を保っていました。本当に惜しい女優を亡くしたと思います。心からご冥福をお祈り申し上げます(合掌) [大物女優の”死”と大物アイドルの”転落”・・・そして、小物?ロッカーの”自滅”(哀)]の続きを読む
  1. 2009/08/09(日) 19:39:58|
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スーパーpsy野神

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