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石井慧、プロ格闘家転向について

北京オリンピック柔道男子100kg超級金メダリスト、石井慧選手が、かねてから漏らしていたように正式に”プロ格闘家転向”を表明しました。それについてどう思うかを書きたいと思います。

まず、石井が”プロ格闘家転向”をほのめかす発言は、彼が”金メダル”を獲った頃から「ヒョードルやノゲイラと戦いたい!」みたいな事を言っていましたので、彼が”プロ格闘家”に転向する事自体には異を唱えるつもりはありませんし、それはそれでいいと思うのです。でも、”問題”が2つあるんです。

1つ目は、これまでの彼の”言動”を見ればわかる通り、ちょっと”軽はずみ”な発言が目立ち過ぎるんです。思った事をポロっと言ってしまったり、今言ってはいけない事をうっかり言ってしまったり。まぁ、良く言えば”素直”というか、悪く言えば”軽率”というか。でも、”プロ”になってこんな事を続けるようじゃ、おそらくそう中続きは出来ないんじゃないか?と思います。それこそ、ヒョードルやノゲイラのような相手と戦うのに、こんな”軽い気持ち”で挑むんじゃそれよりずーっと格下の選手にコロっと負けるのがオチだと思います。もっと慎重な面持ちで向かわなきゃ駄目だと思います。そして、相手に”手の内”を読まれてはいけません。もっとも、これは柔道でも同じなのでしょうけど、今度は体に染み付いた柔道ではなくて”未知の格闘技”に挑む訳ですから、なめてかかられちゃ困ります。”寝技”や”投げ技”だけじゃなくて、”打撃”もあるという事を肝に銘じるべきでしょう。

もう1つ目は、”体形”です。石井は現在”身長181cm”、”体重110kg”ですが、あの体形はあくまでも”柔道”をするための体形なんです。”総合格闘技”となればあの体形のまま戦う訳にはいきません。どうしても”動き”に限界がありますから。しかし、身長と体重のバランスを考えると、”総合格闘技”で戦うには最低でも”90kg台”に減量しないと厳しいと思います。ギリギリ”ヘビー級”は維持できるでしょうけど、これでヒョードルやノゲイラクラスと果たして互角に戦えるのだろうか? いきなり”トップクラス”は無理としても、”ヘビー級”として白人系の選手と戦うのもちょっと厳しいような気がします。あの柴田勝頼でさえ”103kg”あった体重を”84kg”ぐらいに落としている訳ですからね。吉田秀彦にしても、”トーナメント”ではあえて”ミドル級(当時のPRIDE80kg級)”で戦っています。まずは、”ライトヘビー級(80kg級)”からスタートした方が妥当かと思われます。

まぁ、いずれにしても彼が”プロ格闘家”に転進するためには少しばかり”時間”が必要になるかと思います。”肉体改造”の方はあまり問題なさそうですけど、問題なのは”言動”の方ですね。あれはそう簡単に直せるもんじゃありませんからね。”格闘センス”云々よりも、”失言”によって彼の”格闘家生命”が左右される可能性の方が高いように思われます。

さて、ちょっと”前向き”に話を進めますが、彼はどのようなタイプの選手を目指すのだろうか? 吉田のようにあくまでも”柔道”を基盤においた選手を目指すのか? それとも、秋山のように”打撃”を重点に置いた完全なる”総合格闘家”を目指すのか? 今のあの体形から考えれば”前者”を選ぶべきでしょうね。”元柔道金メダリスト”として”柔道”に誇りを持ってそのスタイルを守り続けて欲しいですね。そして、出来る事なら”投げ技”を使って欲しいですね、難しいでしょうけど。今まで”総合格闘技”において”柔道風投げ技”をやった選手はあまりいないでしょうから。

しかし、やはり”総合格闘技転向”となれば避けられないのが”打撃”。これは”攻撃”、”ディフェンス”双方の技術を身に付けなければなりませんからね。現時点では、彼は”金メダルフック”を特訓中とか。とりあえずは”パンチ練習”を中心にやっているようで、”キック”はまだだそうです。

いずれにしても、”柔道”と”総合格闘技”では勝手が違う訳ですから、とにかく”軽率な言動”だけは気をつけた方が良いと思います。というか、”言動”のみならずそういった”姿勢”で取り掛からなければ”総合格闘技”では必ず”ボロ”が出ます。特に、相手を”挑発”するような行為だけは初めの内はやらない方が良いでしょう。とにかく、決めた以上は、今後は”総合格闘家”として道を究めていって欲しいです。そして、いつしかヒョードルの”首”を獲って欲しい!(何年掛かるかわからないけど(笑)) [石井慧、プロ格闘家転向について]の続きを読む
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  1. 2008/11/09(日) 19:36:00|
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最後に”友情”が勝つ! -「G1タッグリーグ2008」決勝戦-

今年の2月17日、怪我により欠場していた天山は両国国技館において”復帰戦”を行う事になりました。しかし、そこで「まさか・・・」のハプニング勃発! タッグを組んでいたG.B.H.の石井智宏に”ダイビングヘッドバット”が誤爆! これにより、両者は仲間割れし、そして天山は自身が結成したヒールユニット”G.B.H.”から追放される事になりました。もっとも、このチームは、もはや真壁刀義の”支配下”にあるも同然の状態だったため、おそらく”誤爆”がなくても天山は”追放”されていた事は間違いないでしょう。

そこへ”救いの手”を差し伸べたのが、”新日本正規軍の陰の参謀”飯塚高史でした。天山は、そこに”友情”を感じ、飯塚を”救いの友”と信じて共に憎きG.B.H.との抗争を展開していました。しかし、実はそこには思わぬ”罠”が仕掛けられていました(哀) 4.27、大阪府立体育館における待ちに待った”IWGPタッグ選手権”。そこでベルトを奪取し”リベンジ”を果たそうと躍起になっていた天山。しかし、彼の”パートナー”であった飯塚は・・・。試合中盤、場外にエスケープした飯塚は、そのまま試合を静観。終盤、突如リングに入ったかと思えば”ターゲット”は何故か味方であるはずの天山。予期せぬ”裏切り劇”により天山はあえなく”フォール負け”を喫し、失意の内に試合は終わってしまいました。そして、彼はその後飯塚を含めたG.B.H.に執拗に狙われる事になりますが、そんな中再び彼に”救いの手”を差し伸べる者が乱入! そうです、かつての”タッグパートナー”だった小島聡が”真の友情”を引っさげて天山に共闘を申し出ました。かつての新日本における名タッグ”テンコジ”がこうして再結成されることになりました。

そして、今年の「G1 TAG LEAGUE 2008」において、彼らは晴れて”テンコジ”として参戦を表明。”対戦成績”の方は、天山の”天敵”である飯塚&石井組には敗れてしまったものの、他は全勝! ”勝ち点8点”によって”決勝トーナメント進出”が決定! 同じ”Aブロック”からは同時に”7点”だった中邑&後藤組とバーナード&フーラー組が対戦、し勝利した中邑&後藤組が”決勝トーナメント”へ進出決定! ”Bブロック”の方は、”勝ち点8点”の真壁&矢野組と、”7点”の中西&吉江組が”決勝トーナメント”進出決定! この4組によって”トーナメント”が争われる事になりました。

”決勝トーナメント第一戦”は、テンコジVS中西&吉江(ビッグ・マウンテンズ)。小島が中西を”ラリアット”で仕留め”決勝進出”へ。もう一方の真壁&矢野VS中邑&後藤は、真壁&矢野の”合体キングコングにードロップ”が中邑を仕留め”決勝進出”へ。テンコジVS真壁&矢野の”因縁対決”が”決勝戦”となりました!

そして、迎えた因縁の「G1 TAG LEAGUE 2008」決勝戦。例のようにG.B.H.は”退場命令”を喰らいながらも悪の限りを尽くしテンコジを窮地に追いやります。しかし、”友情”という絆で結びついたテンコジはそう易々とは敗れませんでした。ここからが彼らの”起死回生”。小島が”ラリアット”で真壁、矢野を蹴散らすと、最後に天山が矢野を”TTD”でマットに叩きつけた後にすかさず”アナコンダクロス”を決め見事”勝利”! 「G1 TAG LEAGUE 2008」を”優勝”で飾る事が出来ました。”真の友情”をここに証明する事が出来ました。”タッグチーム”・・・それは”シングル”とは違った”魅力”と”深さ”に包まれたものである、という事を改めて考えさせられますね。この”魅力”は”他の格闘技”では決して味わう事のない代物だと思います。

【G1 TAG LEAGUE 2008 決勝トーナメント&決勝戦】
〈日時〉11月4日
〈会場〉後楽園ホール
〈観衆〉1,900人

(G1タッグリーグ決勝トーナメント進出決定戦)
中邑、後藤○(11分22秒 ジャーマンスープレックスホールド)バーナード、フーラー●
※中邑&後藤組、決勝トーナメント進出決定!

(G1タッグリーグ決勝トーナメント1回戦)
天山、小島○(19分45秒 ラリアット→片エビ固め)●中西、吉江
※天山&小島組が決勝戦進出!

(G1タッグリーグ決勝トーナメント1回戦)
○真壁、矢野(11分49秒 合体キングコングニードロップ→片エビ固め)●中邑、後藤
※真壁&矢野組が決勝戦進出!

(G1 TAG LEAGUE 2008 決勝戦)
○天山、小島(23分56秒 アナコンダクロス)真壁、矢野●
※天山&小島組が「G1 TAG LEAGUE 2008」優勝! [最後に”友情”が勝つ! -「G1タッグリーグ2008」決勝戦-]の続きを読む
  1. 2008/11/08(土) 12:59:39|
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長者の陥落 -小室哲哉、逮捕!-

80年代後半に自身のユニット”TMネットワーク”として一世風靡し、更に90年代には”音楽プロデューサー”としてtrf、安室奈美恵、華原朋美、hitomiらを世に送り出し、自身も”grobe”というユニットを結成して数々の”ヒット曲”を生み出した小室哲哉が、音楽著作権の売却を持ちかけ兵庫県芦屋市の会社社長から5億円を詐取した疑いで、今月4日取調べのために身柄を拘束され、そして”逮捕”されました。”日本音楽界”を震撼させる”大事件”が起こってしまいました(ショック)

事件の”全容”は、小室が自身で作詞、作曲した曲806曲の”著作権”に関する一切の権利があるかのように偽って、2006年8月に全曲の著作権を10億円で売却する仮契約を結び、代金の一部として社長から5億円をだまし取った、という事です。しかし、実際はその”著作権”は既に彼自身も契約していたレコード会社「エイベックス・エンターテインメント」等の音楽出版社に譲渡しており、806曲の年間著作権使用料収入約3億円のうち日本音楽著作権協会(JASRAC)から約1億円、音楽出版社から約1億円の計2億円を受け取り、残る1億円は音楽出版社が受け取っていたとの事です。但し、前妻でかつて小室がプロデュースしていたユニット”DOS(あのカバちゃんも所属していた)”のメンバーだった吉田麻美さんへの”慰謝料”として約7億8000万円が請求されていたのですが、それが”未払い”であるために著作権使用料のうち年間1億円分の請求権を差し押さえられ、次第にその”収入”が底を尽いてしまったそうです(哀)

そもそも、彼は”金銭”と”女性関係”にルーズだったらしく、”音楽プロデューサー”として”頂点”に上り詰めて以降は金に物を言わせて、何をするにも”高級ホテル”等を貸しきったり、飛行機のファーストクラスを貸しきったり、という”傲慢ぶり”を見せるようになったとか。更に、”女性関係”についてもまずは”TMネットワーク時代”に結婚した妻と離婚し、当時”三流アイドル”でしかなかった華原朋美と付き合うようになり、彼女の売り出しに成功するや否や、やがて彼女との関係も悪化し、そして華原と別れて吉田麻美と結婚。そして、華原は”自殺未遂”から転落し、再び一人で這い上がったにもかかわらず、今度は”睡眠薬過剰使用”により”芸能界追放”になってしまいました(哀) 更に、吉田麻美とも出産後即離婚。そして、最終的には彼自身のユニット”grobe”のヴォーカリストであるKEIKOと結婚(この式はテレビでも”特番”で放送されています。)

栄光と転落・・・・彼が自身が事実上最初に結成したユニット(それ以前に所属していたスピード・ウェイというバンドは彼のバンドではなかった)”TMネットワーク”として80年代後半、9枚目のシングル「Self Control」がヒットし、更にそれに続く10枚目のシングル「Get Wild」の大ヒットにより一躍脚光を浴び、更にその頃にデビューした女性シンガー渡辺美里の曲も手がけ、彼女のサードシングル「My Revolution」も大ヒットした事によって、彼らとほぼ”同世代”であるBOΦWY、レベッカ、久保田利伸、バービーボーイズ、プリンセス・プリンセスらと共に今日の”J-POP”の礎を築く事になります。更に、”90年代”に入ると、trfという”ダンス&ヴォーカルユニット”をプロデュースし、数多くのヒット曲を生み出し、そして元々”スーパーモンキーズ”というアイドルユニットに所属していた安室奈美恵を手掛けるようになりそこでも数多くの”ヒット曲”を生み出します。更に自身の”元カノ”であった華原朋美も数多くの”ヒット曲”を生みます。更に、その当時はまだこれらのアーティストには及ばないまでもhitomiも当初は小室がプロデュースしていました。

でも、世の中そうは上手くいかないもの。”プロデューサー”として”名声”を馳せるも、”プロデュース”される側のアーティストも当然ながら彼らなりの”主張”を持っています。それによって、多くのアーティストは彼の元を去っていきました。特に、”小室離れ”をしたhitomiは一気に飛躍する事になり、そして安室奈美恵はここへ来て再び注目されるようになりました。そして、彼の最大の”ライバル”として”シャ乱Q”のヴォーカリストつんくが”モーニング娘。”を筆頭に数々の”アイドルユニット”を手掛けて”成功”を収める事になります。ここで、つんくが正しかった点は、彼は”本格派アーティスト”ではなく、あくまでも自分の”手の上”で操れる”アイドル”をプロデュースした事に他ならないと思います。で、時代的には、もう一方でルナシー、GRAY、ラルク・アン・シェルといった”ビジュアルバンドシーン”もありましたが、これらもやがて90年代末期には底を突くようになり、それに代わってゆず、19、コブクロといった”アコースティック・ギター・デュオ”のシーンや、Dragon Ashを筆頭とした”ヒップホップシーン”の台頭によって、事実上”90年代J-POPシーン”は崩壊する事になります。

小室は”TMネットワーク時代”も、ブルーハーツ、ジュン・スカイウォーカーズらの”ビートパンク”や、フライングキッズ、ジッタリン・ジン等の”イカ天バンド”、更にはユニコーンなども加えた”80年代末期バンドブーム”の煽りを喰らいそうな時期がありましたが、その頃の彼はまだ”一ミュージシャン”として地道に活動していたため、そこで失墜する事はなかったのだと思います。でも、”90年代末期”のゆずやDragon Ashらの台頭にはもはや成す術がなかった、というか”大物プローデューサー”という”看板”の上に胡坐をかいてしまった事によって、もはや自分の”足元のぐらつき”にさえ気づかなくなってしまったのだと思います。そういった意味で、”音楽的好み”云々は別にして、”金”や”ヒット曲”に物を言わせればいいってもんじゃない、という事をブルーハーツやゆずが証明した事は事実だと思います。

かつて”一世風靡”をした”大物ミュージシャン”がまさかこのような形で”墜落”してしまうなんて・・・。正直、未だに信じられないし、悲しすぎますね(無念) でも、いつの日か必ず”復活”する事を願っております! [長者の陥落 -小室哲哉、逮捕!-]の続きを読む
  1. 2008/11/08(土) 10:06:10|
  2. 芸能|
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恵那~岩村への旅(2日目)

2日目の11月2日は、ホテルでバイキング形式の朝食をとった後、朝8:30頃ホテルを出て、御土産屋で当地名物の和菓子”栗きんとん(正月に食べるものとは違って、茶巾状に紙に包んである栗菓子)”等を買ったのですが、10ヶ入りで2,000円以上もするという高いものだとは思いませんでした(汗) 

そして、”明知鉄道”というローカル線に乗って岩村という所へ向かいました。

明知鉄道小






明知鉄道

恵那駅を出て”山間部”に入ると、またそこには”秋”が当たり一面に姿を現しました。しかも、行きの塩尻~中津川間と違ってその木々が更に線路に近い所に存在し、自然を間近に感じました。夏休みに熊本で乗った”南阿蘇鉄道”同様、こんな所を走る電車が存在する、という事に感動した次第です。

20分程経過した頃に目的地の岩村に到着。本当にのどかな昔ながらの風景を目の当たりにしました。駅を降りてしばらく歩くと”古い町並み”が見えてきました。こちらは”大井宿”と違ってそのほとんどの建物が昔ながらの面影を残していました。

岩村の町並み1小






岩村の町並み

その町並みを抜けて、「岩村城跡→」という看板が見えましたので、そちらの方向へ進むとどうやら”城門”と”櫓”らしきものが見えてきました。この門は”御殿門”と呼ばれるもので、ここにかつて岩村藩主の”御殿”が存在し、その門と太鼓を鳴らすために作られたとされる”太鼓櫓”が復元されています。

岩村城 御殿門小






御殿門と太鼓櫓

その付近に、”銅像公園”、”下田歌子勉学所”、”三好学銅像”、”弁財天”等がある公園になっており、そこから石畳を登るとようやく”岩村城跡”に入る事になります。そして、しばらく歩くと”石垣”が姿を現し、様々な郭を経た後に10分ぐらい経った所でようやく”本丸付近”に到着しました。

岩村城 二の丸、本丸小






岩村城本丸付近

この”岩村城”という城は、備中松山城、大和高取城と並ぶ”日本三大山城”の一つで、鎌倉時代初頭に源頼朝の重臣であった加藤景廉が築城した城で、その息子である景朝の代から”遠山氏”と姓を改め、その一族が何代か続いた後に武田氏の家臣であった秋山信友が遠山氏最後の当主景任夫人であり、事実上”女城主”となっていたおつやの方を妻に娶ることで入城したものの、織田信長に攻め滅ぼされ、そして、信長の家臣、川尻秀隆が城主となり城を大幅に改築(現在の形になったとされる)、その後、信長の小姓であった森蘭丸が入り、彼fが信長とともに本能寺で討ち死にすると、その兄である森長可が城主となり、更にその子の忠政へと続き、その後田丸直正に交代するが、彼が”関が原の戦い”で西軍についたために”改易”されると、家康の家臣(一族?)である松平家乗(大給松平氏)が城主となり、江戸時代には一度丹羽氏の居城となるも、再び大給松平氏の居城として幕末まで続きます。

話を元に戻すと、石垣の上では地元の青年団か何かによる和太鼓の演奏が催されていました。

岩村城 本丸1 和太鼓 小






更に、本丸上部では”発掘調査”が行われ、その裏には”出丸”と呼ばれる郭があり、そこでも何かしらの催し物が行われていました。

岩村城 本丸3 発掘調査 小






本丸発掘調査

岩村城 本丸から見た出丸小






出丸での催し物

僕は、ここへ来る前にあらかじめ駅でサンドウィッチ、おにぎり等を買っていたため、和太鼓が演奏されていた石垣の下の郭に設けられた座席に座って昼食を取り、その後城を下って”御殿門”の裏にある資料館に入り、そして、再び岩村の町並みを通って駅へと向かいました。もうちょっと時間に余裕があれば町並みをもう少し見学したかったのですが・・・。

明知鉄道で恵那に戻り、恵那から中央本線で中津川へ行き、そこで一度降りて今度は会社用の土産(比較的安価なもの(笑))を買い、特急「しなの」へ乗って塩尻へ向かいました。「しなの」での座席は運よく”木曽川沿い”の窓側の席だったため、”絶景”の一つである”寝覚ノ床”を見る事が出来ました。ちなみに、さすがに電車の中からは写真は良く撮れないので、下記の写真はよそから拝借したものを掲載しています。

寝覚めの床






寝覚ノ床※これは僕が撮った写真ではありません

塩尻からは、特急「あずさ」に乗り換え八王子へ向かいました。八王子に到着すると、駅ビル「NOW」の中にある甲州郷土料理専門店の「塩山」という店で”まつたけご飯と秋野菜のてんぷら御膳(ミニほうとう付き)”を食べて、京王線に乗って自宅方面へ帰りました。 [恵那~岩村への旅(2日目)]の続きを読む
  1. 2008/11/03(月) 11:13:26|
  2. 旅日記|
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恵那~岩村への旅(1日目)

おとといの土曜日、本当はこの日は出勤日だったのですが、”有給休暇”をとって1泊2日で岐阜県の恵那という所へ行って参りました。

まず、中央本線特急「あずさ」に乗って塩尻まで行き、そこから特急「しなの」で中津川へ向かいました。塩尻を出てから”山間部”へと入っていくと、あたり一面が”秋一色”に染まっていました。木々の葉は色づいていて、まさに”紅葉真っ只中”でしたね。線路のすぐ横には木曽川が流れていて、やはり”エメラルドグリーン”の澄んだ色をしていて絶景でしたね。

しかし、列車が次第に中津川に近づく辺りから、ちょっと”紅葉”が薄れていました。おそらく、南の方はまだ暖かいせいか、色づきが遅れていたのでしょう。そして、中津川駅に到着。そこで”普通列車”に乗り換えなければならなかったのですが、こういった”ローカル線”は結構乗換えがややこしく、ここでやらかしてしまいました(泣) その”普通列車”が別のホームに到着するのを知らずに特急列車を下りたホームでそのまま待ち続けたため、その列車に乗り遅れ、そして次に来る列車が”センターライナー”という特別快速列車だったのですが、それは”乗車券”以外にそれ専用の”整理券”が必要でそのために310円余計に払う羽目になってしまいました、たった”2駅”のために(悲)

そして、何とか恵那駅に到着。そこから、今度はバスに乗り換えて”恵那峡”へと向かいました。”恵那峡”とは、木曽川が”大井ダム”によって塞がれて”湖化”した部分が”奇岩怪石”を伴った景勝地で、一見ただの”湖”に見えるのがその河岸を見ると岩が切り立ったように地肌をあらわにして、更にいくつもの”奇岩怪石”が存在しているんです。ただ、この辺りは前述したようにまだ暖かいせいかいま一つ葉の色づきが遅れていたのが少し残念でしたね。

恵那峡9小






恵那峡

”恵那峡”から少し上の方に上がった所に、”奇岩怪石”の一つである”傘岩”と”千畳敷岩”があります。”傘岩”はエリンギダケを大きくしたような形の岩で、現在は自然の形ではなくてその部分を台に乗せた形で柵に囲って立たせています。

傘岩2小






傘岩

”傘岩”から更に上に登った丘の”頂上部”に、一枚の大きな石(岩が)一面を覆っていました。それが”千畳敷岩”と呼ばれるものです。これは果たして”自然のいたずら”なのだろうか? それとも”人為的”なものなのだろうか? (僕は”後者”のようにも思えるのだが・・・) しかし、だとするとこのような”大きな岩”をどのようにしてあんな所へ運んだのだろうか?

千畳敷岩小






千畳敷岩

恵那峡を後にし、そして16:00頃にホテルに到着。チェックインした後、再び外出し、今度は歩いて”大井宿跡”へ向かいました。”宿場跡”とは言っても、町全体が残っている場所はあくまでも一部の地域だけで(というか観光目的で復元しているケースが多いが)、ここはあくまでも”跡地”であって当時の面影を残す建物は数軒ぐらいしかありませんでした。

大井宿4小






大井宿本陣跡

”夕食”ですが、ここ恵那にはそれほど食べる場所がある訳ではないため、名古屋に本店がある居酒屋チェーン「ハイカラヤ」で食べる事にしました。この店は、一応”全国展開”はしていますが、名古屋に本店があるために主に”中部・東海地区”に多いようですね(ちなみに東京都内には4店しかありません)。名前の通り”洋食”がメインの”創作居酒屋”で、僕が注文したのは”ラム串”、”焼き麩串”、”北海黄金クロケット(コロッケ)”、”アボカド&納豆わさびマヨ和え”、”もんじゃ焼き(コーンバター醤油)”です。他にも、”大正浪漫デミメンチバーグ”とか、”ハイカラ豚肉ハリハリ鍋”とか、”わらじカツめし”等がありました。部屋も”個室形式”だったので、一人旅で行くには行きやすい店だと思います。

それから、ホテルへ戻って風呂に入り、”プロ野球・日本シリーズ”を見て巨人が負けて悔しい思いをしたまま床に付きました。(2日目に続く) [恵那~岩村への旅(1日目)]の続きを読む
  1. 2008/11/03(月) 09:28:33|
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スーパーpsy野神

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