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今月のプロレスニュース(平成20年5月)その2

②飯塚、まさかの裏切り劇
これも、本当は先月の話なのですが(汗)、中邑VS武藤戦と同じ4.27、大阪府立体育館における真壁&矢野VS天山&飯塚の”IWGPタッグ選手権”において、まさかの”裏切り劇”が起こってしまいました。”新日本本隊の要”として、これまで新日本を陰で支えてきた”静寂の仕事師”飯塚高史が、天山との”友情タッグ”をものの見事に裏切ってしまいました(汗)

これに対して今のファンはどう思っているかは解りませんが、正直僕的にはこれはやって欲しくありませんでした(苦笑) まぁ、このような”裏切り方”も”あり”なのかもしれませんが、このような事は”WWE”や”ハッスル”でやる事であって、新日本では正直やって欲しくありませんでした。新日本にはこれまでも様々な”裏切り劇”はありましたが、その多くは割りと”自然”に乗っ取った形での”裏切り劇”だったからファンは納得できた訳だし、それに共感する事も出来たのだと思います。ところが、金本浩二が怪我から復帰した際に、突如”TEAM2000”に加入し、更にが再び”本隊”へ戻るとその”仕返し”とばかりにかつての”タッグパートナー”だった田中稔が今回の飯塚と同じような形でライガー率いる”C.T.U”に電撃加入する、という事が起こってからおかしくなったのは間違いないでしょう。

本当の意味で”会社”に不満があるんだったら、正々堂々とそれをアピールすればいいのに、ファンを巻き込み、そしてファンを騙してまで裏切る、という手の込んだ”反逆劇”は今のファンには通じても、古いファンにはちょっと引いてしまう感じがするんですよね(苦笑) これが、真壁が仕組んだのか、会社が仕組んだのかは知らないけど、飯塚よ、本当に会社の”方針”に不満があるんだったら正々堂々と逆らえよって! それにこれが会社主導の”裏切り”だとしたら、ここまでしてファンを裏切ってまでやる事なのかって!! 考え方が「古い!」って言われたらそれまでだけど、これが僕の正直な感想です!

③諏訪魔、三冠王座奪取!!
これまた、本当は”先月”の話なのですが(汗)、4.28、愛知県体育館における”三冠ヘビー級選手権”において、デビュー5年目の諏訪魔が佐々木健介を下し、”第37代三冠ヘビー級王者”となりました。

思えば、今から3年前の2005年2月16日、諏訪間(当時)の”試練の7番勝負”の3人目の相手が健介でした。僕はその試合を代々木体育館で観戦していたのですが、その前の対ベイダー戦、対小島戦では諏訪間の”いい部分”が引き出されましたが、健介はそうした部分を一切引き出さず一気に潰してしまいました。そして、健介に完膚なきまでに叩きのめされた諏訪間は観客に対して頭を下げて謝っていたのが印象深かったです。

あれから3年と3ヶ月の月日が流れ、一度”ヒール転向”を果たし、名も”諏訪魔”と現れた彼は一段と”風格”がまし、そして満を持しての”三冠挑戦”。そして、その相手が”試練の7番勝負”において、自分を容赦なく叩き潰し、更にその後”タッグマッチ”において顎を負傷させた男、佐々木健介。この両者の”因縁”は浅からぬ物があります。そして、”現プロレス界のトップ”の一角である健介を倒す事が今後の諏訪魔にとって非常に重要である事は事実! 新日本やNOAHでようやく”新世代”が”王者”になっているのに、全日本だけがまだ”新世代”が”天下”を獲ることが出来ていません。その”野望”を見事諏訪魔は実現する事ができました。

同じ”エリート出身”でも、中邑と違って少し”苦労”を味わっている諏訪魔の方が”王者”としての”重み”を見せてくれそうですね。 [今月のプロレスニュース(平成20年5月)その2]の続きを読む
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  1. 2008/05/25(日) 11:30:54|
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今月のプロレスニュース(平成20年5月)その1

どうも最近バタバタしていてタイムリーな記事が中々書けなくなっているため、月末にその月に起こった内容の記事をまとめて書く事にしました。まずは”プロレスネタ”から書きたいと思います。

①武藤、IWGPヘビー奪取!! 中邑”王者”から陥落(哀)
厳密に言えば”4月”の話なのですが(汗)、4.27、大阪府立体育館における”IWGPヘビー級選手権”にて、”王者”である中邑真輔がかつての”ライバル団体”全日本プロレスの”総帥”にして、過去に3度”IWGPヘビー級王者”に君臨している武藤敬司。今後の新日本を背負って立たなければならない”使命”のある中邑と、”現プロレス界最後の至宝”とはいうものの正直”体力的”且つ”肉体的”な衰えを否定できない武藤。ここは当然ながら中邑が勝って、新日本の”至宝”を守り更にその”価値”を高めなければならなかったのに・・・。その”使命”を果たす事ができず、”ベルト”はあっさり”他団体”への流出を余儀なくされてしまいました(悲)

武藤と中邑、この両者の”違い”は果たして何だったのだろうか? そして、中邑に足りなかったものは何だったのだろうか? 単純に言えば”キャリア”という言葉が思い浮かんでしまう所ですが、今回の試合を見る限りでは、そんな”単純”なものではなかったと思います。彼ら両者の”資質”そのものはそれほど大きくは変わらないと思います。”体格”にしても”運動神経”にしても”格闘センス”にしても。しかし、明らかに異なるのは今日に到るまでの様々な要素の”蓄積”だと思います。これは単なる”キャリア”による物ではありません。まず、若手時代、武藤は橋本、蝶野、船木、野上(現AKIRA)ら”他の若手”と共に練習生として”下積み生活”を強いられ、更にその当時前田、藤原、佐山(初代タイガー)、高田ら”UWF勢”と長州、谷津、浜口ら”維新軍団”の”大量離脱”があり、それによって通常より早い”デビュー戦”を強いられる事になります。そして、当時は猪木と山本小鉄を中心にした”しごき練習”を叩き込まれていたために強靭な”精神力”と”ハングリー精神”を植え付けられたのは間違いないと思います。一方の中邑はというと、当時の他の若手(矢野、山本、田口、後藤洋央紀等)とは”別格扱い”で、しかも”プロレス”より先に”総合格闘技”でデビューを果たしています。それから、”プロレス”の方でも”継続的”にではなく大事な試合だけ”ピンポイント参戦”し、”美味しい所”を持っていっていた感もありました。そして、早くも”IWGP王者”への挑戦権が与えられ、そしてその場でそのベルトを奪取してしまう、という”若手”としては異例の”業績”を果たす事になります。その一方で、”総合格闘技”の試合にも出場して”K-1選手”のアレクセイ・イグナチョフから”勝利”を奪う、という快挙も果たしますが、これによって中邑が本当の意味での”プロレス”をあまり吸収しないまま出世してしまった事が、その後の中邑を苦しめた事は言うまでもありません。

そして、中邑はそんな”苦難”を乗り越え、ようやく再び”IWGP王者”に君臨する事ができたのにもかかわらず、そんな光景を”横目”で見ながら「まだまだ甘い!」と”挑戦状”を叩きつけた男が現れました。それが武藤敬司だった、という事なんです。でも、当初はそれでも中邑が武藤の”衰えた肉体”を上手く捕らえて渾身の”逆転劇”を演じてくれると信じていました。しかし、現実はそうは甘くありませんでした。本来なら、”インサイドワーク”を駆使する武藤を中邑が”シュート”で打ち砕く、と思っていたのが、武藤が最初に”シュート”を仕掛けてしまったもんだから中邑はなす術がなくなってしまいましたからね(哀) しかも、本来ならば中邑の方が”膝殺し”を狙わなければならなかったのに、あべこべ中邑が”膝”封じられてどうすんの(呆) 

中邑は、確かに”体格”、”体力”、”運動神経”、それから部分的な”技の技術”は申し分ないと思います。しかし、それらを複合した”応用”がまだ出来ていないのと、もっと肝腎なのは、”エリート出身”である中邑には心の底から湧き出る”ハングリー精神”が全然足りないのだと思います。故に、武藤に先に”ガチ”を仕掛けられた時に何も出来なかったのはその為なんだと思います。

でも、今回の”屈辱”こそ、本当の意味で中邑を成長させる”起爆剤”となる事は間違いないと思います。

(PS)本当は、この一つの”スレッド”の中に3つの記事を書こうと思っていたのですが、この件に関しては僕の”思い”が必要以上に蓄積していたため”長文”になってしまったので、残りは”別スレ”で書きたいと思います。 [今月のプロレスニュース(平成20年5月)その1]の続きを読む
  1. 2008/05/25(日) 10:44:52|
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サザン・オールスターズの軌跡

久しぶりに”音楽ネタ”を書きたいと思います。

今月20日に「2009年以降の活動を休止する。」と発表したサザン・オールスターズ。これまでも、原由子の”産休”の際や、各々のソロ活動のために”活動休止”をした事はありましたが、今回の件は”ワイドショー”等でも必要以上に報道されていた事から、事実上の”解散宣言”に近いものなのでしょう。もっとも、「必ず戻ってくる!」と言ってはいても、考えてみれば正式に”解散宣言”して本当に”解散”したグループなんて本当に数えるくらいしかいませんからね(笑) いつでも復活できるように便宜上”活動休止”という言葉を使用して事実上”解散”したグループは結構いますからね。

そんなサザン・オールスターズは、今でこそ”売れ線ポップスグループの大御所”というイメージが強いですが、彼らの”デビュー当時”は本当に”衝撃的”だったのは今でも忘れません。小学生の時、それまで”アイドル歌手”ぐらいしか興味なかったのが、当時の”ニューミュージックシーン”の中にあって本当の意味で”音楽”というものに興味を持つようになったきっかけを作ったグループの一つである事は間違いありません。そして、そうしたアーティストの中にあってもっとも”インパクト”が強かったのがサザンであった事は言うまでもないでしょう。当時は、本当に何を歌っているのか全然聞き取れなかったし、それに「僕は今ノイローゼに悩まされています。」と言って「ザ・ベストテン」等の当時の歌番組の中で様々な”奇行”を起こしていましたから(もっとも、これが”ガチ”だったのか、売り出しのための”演出”だったのかは定かではありませんが(汗))。しかし、彼らの3枚目のシングルである名曲「いとしのエリー」でそれまでの”狂気?”なイメージを一気に払拭したのは確かでしょう。

サザン・オールスターズ・・・1975年、当時青山学院大学の音楽サークルで活動していた桑田圭祐を中心にその”前身バンド”結成され、何度か”バンド名”と”メンバー”を変えた末、桑田の友人が風呂の中で思いついた”サザン・ロックとファニア・オールスターズ(ニューヨークのサルサグループ)を組み合わせた”という意味で「サザン・オールスターズ(当時は桑田圭祐&サザンオールスターズ)」という名前に決定し、その後更にメンバーチェンジを繰り返した後、1977年にアマチュアバンドのコンクール「ヤマハEast West77’」に出場し桑田が「ベストボーカル賞」を獲得。この時に、桑田(ヴォーカル、ギター)、大森隆志(リードギター、2001脱退)、関口和之(ベース)、原由子(キーボード)に更に松田弘(ドラムス)、野沢秀之(パーカッション)が加わり”デビュー時”のメンバーに固定。そして、1978年6月25日にシングル「勝手にシンドバット」でデビュー。続いて、同年11月25日に2ndシングル「気分次第で責めないで」を発売。そして、翌年の3月25日に3rdシングル「いとしのエリー」を発売し”大ヒット曲”となるが、5thシングル「C調言葉にご用心」を発売した後”多忙”を理由に活動を緩め、それによって一時人気が低迷に。しかし、それを挽回すべく1982年に発売された14thシングル「茶この海岸物語」を発売し”大ヒット”を生んだ事によって再びサザンに”スポットライト”が当たるようになります。そして、ここから”夏向け売れ線ポップグループ”の代名詞へとなっていきます。更に、これを機に桑田と原由子が”結婚”する事になります。

1985年、初の2枚組アルバム「KAMAKURA」を発売し、「第27回日本レコード大賞 優秀アルバム賞」を受賞するも、桑田の妻となった原由子の”産休”を理由に一時活動を休止。以降は、それぞれ”ソロ活動”を始めますが、桑田はその間”KUWATA BAND”を結成し、デビュー曲「BAN-BAN-BAN」等の”ヒット曲”を次々と発売します。そして、1988年6月25日に活動再開し、24thシングル「みんなのうた」を発売。翌年6月7日に発売された「さよならベイビー」が彼らにとってシングル初の”オリコンチャート1位”となる。それから、92年7月21日に発売された「シュラバ・ラ・バンバ/君だけに夢をもう一度」、「涙のキッス」が2枚同時発売され、サザン初、いやオリコン史上初のシングル初登場1位、2位となる。更に「涙のキッス」が彼らのシングル初の”ミリオンセラー”となります。翌年発売された32ndシングル「エロティカ・セブン」が記録的な”ヒット”を生みます。しかし、ベースの関口が病気療養のためサザンは再び活動を”休止”し桑田が”ソロ”として活動する事になります。

95年、ベースの関口が病気療養から復帰し再び活動を再開。その後「あなただけを~Summer Heartbreake~」、「愛の言霊」等が”ミリオンヒット”となり、アルバム「Young Love」が過去最高のアルバム売上を記録する。しかし、その後発売されたアルバム、シングルは伸び悩んだが、2000年1月26日に発売された「TUNAMI」が現時点で293万枚の売上を記録し、”オリコン歴代シングル売り上げランキング3位”に付くほどの”記録的ヒット”となる。その年の夏に地元茅ヶ崎市住民の”署名運動”によって実現した2日間の野外ライブ「茅ヶ崎ライブ~あなただけの茅ヶ崎~」を行う事になるが、その後、リードギターの大森隆志が独立のために脱退。再びバンドは”活動休止”へ。そして、2003年6月25日に”25周年”を迎えその記念としてデビューシングル復刻版CD「勝手にシンドバッド 胸騒ぎのスペシャルボックス」を発売した後、7月23日に再び活動を再開。しかし、2007年桑田の”ソロ活動”により再び”活動休止”となります。

そして、今年の6月25日に”デビュー30周年”を迎える事になるが、その為の”シングル発売”、”ライブ”などの活動・プロモーションの発表と同時に2009年以降の”無期限活動休止”を宣言するに到ります。

ざっと、これがこれまでのサザン・オールスターズの”軌跡”となりますが、正直僕にとってのサザンは「C調言葉に御用心」まで。いや、「チャコの海岸物語」以降でもせいぜい「Bye-Bye My Love」まで。「メロディ」以降はどうも・・・(汗)って感じです。ですから、今更”活動休止宣言”された所で「へぇ。」というのが僕の正直な感想です。何か、この曲から以前のサザンが持っていた”エキセントリック”な雰囲気が消えうせ、ただただ”売れる曲”を作っている、という印象が強まったのは事実。その後、”ソロ活動~活動休止”が相次いだのもそういったものが要因ではないでしょうか。でも、”事務所”や”レコード会社”にしてみれば一度”売れる曲”が出てしまえばその”路線”を続けてもらった方が通剛が言い訳で、これが”ミュージシャン”にとっての最大の”ジレンマ”となるのは事実。でも、”ネタ”が尽きれば”充電期間”も必要な訳ですから、”30年”も続けただけあって、そろそろ”各々の道”へ歩みだすのもいい事だと僕は思います。

サザンオールスターズ
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  1. 2008/05/24(土) 19:42:09|
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仙台~松島への旅②(松島編)

翌日の5日、朝9時前にホテルをチェックアウトすると、仙石線に乗って松島へ向かいました。思えば、去年の8月には広島の”宮島”へ行き、今年の正月には京都・丹後の”天橋立”へ行き、そして今回の松島と”日本三景”をこの短い間制覇してしまいました。でも、実はこの松島へ来るのは今回二回目ですが。

電車の接続があまり良くなかったので、何本かの電車を乗り継いで焼く10時ぐらいに松島海岸駅に到着。そこから歩いて4~5分した所に遊覧船乗り場があり、早速切符売り場で乗船券を買いました。やはり”ゴールデンウィーク”ですから、かなり混んでいたのは言うまでもありません。

そして、船に乗り込み、そして船は桟橋から出発しました。ただでさえ混んでいるのに、更に船内には”かもめのえさ”が売られていて、それを求めてかもめの大群が遊覧船を追っかけてくるんですが、正直”写真”を撮る立場からすればこれほどうっとうしい物はありません。それに、いい風景があればあるほど人は群がるはカモメは群がるはで散々でした。そして、船はやがて”内洋”から”外洋”へでて、気が付いたら桟橋の方がすっかり見えなくなりました。陸から離れてかなりいい眺めになってきた所に、カモメに紛れて1羽のトンビが姿を見せました。やはり、ワシやタカと同じ”猛禽類”だけあって”風格”が違います。上空で気流に乗りながら尾羽で調整している様もかっこいいし、餌が海に落ちた際も、カモメはそのまま海面に拾いに行くのが無様に見えるのが、トンビはくるっと旋回して急降下して拾うからこれまたカッコいい。僕は、以前このトンビに鎌倉へ向かう海沿いの道路で最中アイスをパクられた事があるので、”ハンター”としての”恐ろしさ”と”素晴らしさ”を身をもって体験しているので、思わずトンビに見とれてしまいました。

松島5(遊覧船から)小
松島の島々

松島15(遊覧船から(鐘島))小
鐘島

松島16(遊覧船から(仁王島))小
仁王島

そうこうしている内に、船は再び内洋をの方向へ戻って行きます。一応、鐘島や仁王島のような変わった島も撮れたからよかった物の、終始カモメに振り回されっ放しで遊覧船での”島巡り”は終りました。船から降りると、すぐに”五大堂”へ向かいました。”五大堂”とは、平安時代前期の武将、坂上田村麻呂が”奥州征伐”の際に建立した毘沙門堂で、その後円仁(慈覚大師)が瑞巌寺の前身である延福寺建立の際にそこに建立した仏堂が”五大堂”であり、それを伊達政宗が慶長9年(1604年)に再建し今日に到っています。松島を代表する”景勝”で、島を含めた全景がとても美しいです。

五大堂1(全景)小
五大堂

その後、昼食をとるために瑞巌寺近くのレストランに入りました。迷った挙句”穴子重”を頼んだのですが、そこそこ美味しかったのは美味しかったけどやはり去年宮島で食べた”穴子丼”の方が美味しかったです(笑) そして、松島を代表する寺院である”瑞巌寺”へ向かいました。本堂の中には入れるので、本堂の内部を拝見する事にしました。さすがに中は”撮影禁止”だったため、写真は撮れませんでしたが、内部の部屋の襖には”金箔”が張り巡らされ、そこに各部屋ごとに違う絵が描かれていたのですが、まさに”桃山文化”を思わせる華美なものでした。

瑞巌寺1(中門)小
瑞巌寺

本堂を出た後、庫裡と宝物館へ行きました。こちらも”撮影禁止”でしたが、ここは政宗絡みの物以外にも様々な展示物が展示されており、現地の他の資料館と比べてもっとも内容が充実していたように思います。そして、この敷地内には洞窟がいくつかあって、それを利用した遺物がいくつかありました。こうした”自然”を利用した遺物も、荘厳な感じがしてとても感動しました。

瑞巌寺10(洞窟郡と観音像)小
洞窟群と観音像

瑞巌寺を後にすると、時間があるのでお土産を買う事にしました。まず、”お菓子類”ですが、名物の”萩の月”はもとより、松島では”かもめの卵”も名物のようで、更に”蒸しきんつば”というのも美味しそうだったのでこの3つを買い、”蒲鉾専門店”で”笹かま”を買い、更に酒屋で地酒「浦霞(原酒)」を買って、仙台へ戻りました・・・。いや、何かを忘れてるぞ(汗) そうです、”牛タン”を忘れていたため、仙台で”牛タン”を買う事にしたのですが結構高いので、一番安い”牛タンスモーク”を買って、それから小腹が空いたので”カレー屋”に入り、そして新幹線で家路へと向かいました。 [仙台~松島への旅②(松島編)]の続きを読む
  1. 2008/05/06(火) 14:39:03|
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仙台~松島への旅①(仙台市内編)

おととい5月4日~5日の2日間、1泊2日で仙台~松島まで旅行に行ってまいりました。本当は、奈良へ行くつもりだったのですが、フジテレビ系ドラマ「鹿男あをによし」と”平城京創立1300年”の関係でどのホテルも”満員”だったため、これまでまともに行っていなかった仙台へ行く事にしました。

新幹線で仙台まで行き、駅を降りると早速昼食をとる事にしたのですが、すぐ近くに「寿司通り/牛タン通り」なんて物があるとはしりませんでした(汗) しかし、そこの牛タンの店はどこも混んでいたため、ネットで調べた店を探したのですがそこも並んでいたため、比較的すいている店が一軒ありましたのでそこへ入る事にしました。そこで”牛タン定食”を頼んだのですが、やはり東京で食べる物とは全然違います。”舌”を食べてるのではなく、ちゃんとした”肉”を食べている感じでした。もともと、僕は”牛タン”はそれほど得意ではないのですが、”仙台=牛タン”のイメージが強いのでとりあえず食べてみたのですが、やはり”本場”は違いましたね。

昼食後、仙台見物をすべく青葉城(仙台城)と瑞鳳殿辺りに行くためにバスを待っていたのですが、あいにく”ゴールデンウィーク”のために道路が混んでいたためバスが30分近く遅れていたようなので、仕方なく歩いていく事にしました(悔) さすがに”徒歩”では時間が掛かります。重たい荷物を背負って30分近く掛けてようやく瑞鳳殿の”入口”に辿り着いたのですが、そこから更に”登り坂”が待っていました(汗) そして、坂を登りきった所にようやく伊達政宗の霊屋「瑞鳳殿」が姿を現しました。”瑞鳳殿”とは、伊達政宗の遺体が埋葬された経ヶ峯に建てられた”霊屋”であり、日光東照宮に勝るとも劣らない煌びやかな建築物でした。しかし、1945年戦災で焼失、1979年に再建されているようです。

瑞鳳殿3小
瑞鳳殿

瑞鳳殿を見た後、その”資料館”を見物し、それから伊達家二代藩主忠宗が埋葬された感仙殿、三代藩主綱宗埋葬された善応殿を拝観してから、今度は青葉城(仙台城)跡まで再び歩いていく事にしました(泣) 地図上では近く思えても実際歩くとかなり遠い(泣) 更に山の上にありますから登る途中で息が上がってしまい(汗)、更にようやく石垣が見えたので道路を渡ろうとしたのですが、道が混んでて車が一定の間隔をあけながら止まらず進んでいくので中々渡る事が出来ず、ようやく渡りきって城跡の上に上がったのはいいんですが、予想以上に殺風景でもはや”城跡”ではなく完全に”公園”と化していました。”青葉城”とは、正式には”仙台城”と呼び、伊達政宗が最終的に居城として築いた城で、当初は大きな”天守”を立てる予定だったようですが、家康に遠慮して”天守”を建てずに広大な”本丸御殿”を築いていたそうです。現在は勿論跡形も無いですが、資料館の方でそれを”CG”で復元した映像を放映していました。かなりスケールが大きかったですね。

青葉城2(石垣)小
青葉城石垣

青葉城5(伊達政宗像)小
伊達政宗騎馬像

資料館を見物した後、時間にもあまり余裕が無かったので仙台駅方面へ戻る事にしました。さすがに疲れていたのでバスに乗る事にしました。仙台駅に着くと、すかざず宿泊先のホテルにチェックインし、その後夕食をとる店を探しに再び外出しました。ネットで見つけた店を探したのですが、あいにく休みだったようなので、再び”寿司通り/牛タン通り”という飲食店街へ行く事にしました。そこで、すし屋に入る事にしました。で、本場でそこそこ”本格的”な素材を使っているでしょうから値段もちょっと高めでしたね。もっとも、”仙台牛にぎり”とか”くじらにぎり”とか値の張るものを頼んだのもありますが、合計で約5,000円(酒代も含めて)かかってしまいました。これでは、お腹も膨れないのでラーメン屋へ行く事にしました。「仙台っ子」という名前の店で、一見”横浜家系”の感じでしたが、スープの味はもっとすっきりしていてしかもコクがある変に”とんこつ”ぽくない味で非常に美味しかったです。

それから、ホテルへ戻って風呂に入り、テレビを見た後すぐに床に付きました。(次章へ続く) [仙台~松島への旅①(仙台市内編)]の続きを読む
  1. 2008/05/06(火) 11:53:55|
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スーパーpsy野神

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