コラム・de・ブログ

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必見アーティストCD② 荘野ジュリ「36度5分」

大阪出身の21歳の”女性シンガー”荘野ジュリのファーストアルバム「36度5分」を紹介いたします。
一言では表現しにくいのですが、”R&B”をベースに”ボサノバ”っぽい要素も入ったり、所謂”癒し系?”の優しい”バラード”があったり、しかしながら、変に明るすぎないやや”泣き”の要素のある、従来の”日本人好み”のメロディを持った音楽です。birdとCoccoを足したような感じですかね。

”歌声”も変に強すぎない歌い回しだし、”メロディ”も何と言うかじわじわと体内に浸透していくような、いわば”アイソトニック飲料”的な感じです。ですから、何度聴いても”飽き”を感じないでしょう。
こういった音楽こそ、本来”邦楽シーン”を支えるべきものだと思います。

(荘野ジュリ-36度5分-)
1.カゲロウ
2.駅ニテ
3.アリジゴク
4.負け犬の遠吠え
5.マーメイド
6.線香花火
7.ワタシヲミツケテ
8.人形ラプソティ
9.ツギハギ
10.あげるのに
11.オルゴール
12.うたかた
20050506234948.jpg

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  1. 2005/04/30(土) 23:58:38|
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必見アーティストCD① LEAVES’EYES「Lovelone」

去年の夏、新宿の「disk UNION ハードロック/ヘビーメタル館」へ行ってきたのですが、そこの”視聴コーナー”にあった”LEAVES’EYES”というノルウェーの”メロディック・ゴシックメタル”のアルバム「Lovelone」を聴いた時、「これはっ!(驚)」と思い、ふと買ってしまったのですが、凄く良かったです。最初はかなり”クラシカル”で”心地良い”サウンドが流れそこにまた”美しい声”の”女性ボーカル”が入って、それだけなら普通の”ケルト系音楽”みたいになってしまうんですが、しばらくした時、その”美しい旋律と声”とは似ても似つかない”ノイズ混じり”の”荒々”しく且つ”重々”しいサウンドに変りちょっと”カルチャーショック”を受けてしまいました。あの”癒し系ボーカル”に”ヘビー&ノイジーサウンド”が乗った事で”新世界”が築き上げられた感じですね。
僕は、所謂”ゴシック・メタル”とか”メロディック・デス”みたいなものを馬鹿にしていた所があったのですが、このバンドに関しては正直馬鹿に出来ないですね。是非とも聴いて欲しい作品です!

(LEAVES’EYES-Lovelone-)
01. Norwegian Lovesong
02. Tale of the Sea Maid
03. Ocean`s Way
04. Lovelorn
05. The Dream
06. Secret
07. For Amelie
08. Temptation
09. Into Your Light
10. Return to Life
20050506234459.jpg

  1. 2005/04/30(土) 23:53:32|
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世界のCD① Chambao「Endorfinas en la mente」

スペイン、マラガ出身の女性1人、男性2人の3人組”Chambao”の日本デビューアルバム「Endorfinas en la mente」を紹介いたします。曲調は、”フラメンコ”等の”スペイン音楽”をベースにした”コンテンポラリーミュージック”で、ヴォーカルの”紅一点”の女性Mariの”ハイトーンヴォイス”が中々いい味をかもし出しています。
是非、必聴を!

(曲目)
①CHAMBAO
②LO VERAS
③DESCONOCIDO
④iHAi ESTAS TU!
⑤VIDA
⑥VOLANDO VOY
⑦LOS MUCHACHOS DE MI BARRIO
⑧NEJOR ME QUEDO AQUI
⑨UNA DE TABTAS
⑩AS DE CORAZONES
⑪OLVIDARME DE TI
⑫INSINTO HUMANO
⑬PLAYAS DE BARABATE
⑭PASTA PA LA COSTA
⑮COMO EL AGUA
⑯VERDE MAR
Chambao.jpg

  1. 2005/04/30(土) 23:51:00|
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メロディあっての音楽②

”ロック”というものに”メロディ””音楽性”はたまた”演奏技術”というものが果たして必要なのか?という質疑には多くの”論議”を生む事は確かでしょう。”ロック=音楽”という概念がある一方で、”ロック=メッセージあるいは生き様”といった概念もある訳ですよ。そして、そのいずれも決して”間違い”ではないんです。それらの要素の”度合い”によって様々なスタイルの”ロック”が誕生した訳ですから。

しかし、あえて言うなら、ロックはあくまでも”音楽”である、という事を大前提にしてもらいたいのは僕の正直な意見です。確かに、オリジナルのロックは、今のへヴィメタルに比べると実に”簡素”なものだったのは事実です。どちらかといえば”パンク”の方が近かったのかもしれない。されど、それらは元々ブルース、カントリーなどをベースにしたれっきとした”音楽”だった訳で、多くの”パンクバンド”のように”音楽性”を”否定”するものではなかったはずなんです。あくまでも、それらが”母体”となってそこにジャズ、クラシック、民族音楽など様々な要素を吸収しながら音楽的に”発展”していったものだとだと思うのです。

しかし、その”集大成”という形で60年代後期~70年代前半に”ハードロック””プログレッシブロック”というものが出現してからは、それらがロックの”完全体”という形になって”技術至上主義”の時代を迎えることになりました。それによってそれ以外の多くの”アマチュアバンド”たちは余儀なく”隅っこ”へ追いやられる訳ですけど、このような時代も結局”限界”が訪れる訳です。次第にこの手の”トップクラス”のバンド(LED ZEPPELLIN、DEEP PURPLE、BLACK SABATH、あるいはPINK FROYD、KING CRIMSON、YES等)を超えるバンドが現れず、”マンネリ化”が起こり、またアメリカでは”コマーシャル”なバンドが数多く登場するようになり、いつしか”失速”してしまいました。そこへ突如怒涛のごとく現れたのがSEX PISTOLS、THE CLASHといった”パンクロック”です。元々アメリカの”アンダーグラウンドシーン”のロックだったのが、NEWYORK DOLLSというバンドのマネージャーだったマルコム・マクラレン氏が静まり返ったイギリスに渡り、アマチュアで活躍していたミュージシャンをかき集めてSEX PISTOLSを結成させ”衝撃的”なデビューをさせました。それによって、隅に追いやられていた多くのアマチュアバンド達が、ピストルズに呼応しやがて”パンクムーブメント”が形付けられるようになりました。

これを機に、「ロックは誰でも出来るもの」「下手くそでも自由にやっていいもの」という概念が生まれるようになったのは確かでしょう。やがて、日本でも80年代後期にこういった”流れ”をくんだ”バンドブーム”が起こりました。ただ、ここで僕が”疑問”に感じたのは「誰も彼もが自由に出来るものだったら何でもいいのか!?」という事です。つまり、下手だろうと下品だろうと「これがロックである」という事であれば、誰でも”プロ”になれてしまうという事です。しかし、それはまたとんだ”間違い”だと思います。”プロ”として活動するにはそれなりの”資質””資格”があってしかるべきなんです。”演奏技術””音楽性”も当然問われるべきでしょう。でも、当時の日本の”音楽メディア”は”若者”に受ければ何でもいいから売り出せ、みたいな”方針”をとっていた事は確かです。

僕は、そういった当時の日本の”音楽メディア”の方針に嫌気がさしていた頃、弟の影響でメタルを聴くようになり、そこでHELLOWEEN、GAMMA RAYといった”ジャーマンメタル”と出会う事によって、すっかり”虜”になってしまいました。「俺が求めているのがこれなんだ!」と痛感させるような「これでもか!」というような”泣きのメロディ”とひたすら突き進む”疾走感”、それに加えてツーバスドラム”が更にそこに”重量感”を加える訳です。「ブルーハーツなんかよりこっちの方が遥にましだ!」そう心から思ったのは言うまでもありません。
それから、”北欧メタル””ブリティッシュメタル”ブリティッシュハードロック””プログレ”と浸透していった訳ですよ。まぁ、今でもこれらの音楽は聞きますけど、実はこういった音楽には”クラシック””民族音楽”などの要素もふんだんに含まれています。そういった”背景”もあって、その後は”ワールドミュージック”や”ヒーリングミュージック”にもはまるようになりました。

現在、”へヴィメタルシーン”は”プロレス”同様”隅っこ”に追いやられてしまい、”熱心なファン”に支えながら細々と続いている状況です。そして、アメリカ、そして日本においては”パンクシーン”が隆盛になっております。CDショップへ行っても”ジャパニーズパンク”のコーナーがちゃんとあるし、一昔前なら”ハードロック/へヴィメタル”のコーナーがあったのに今ではございません(苦笑) 
今の若者には”ドラマティック”で”奥深い”ものより、”ストレート”に心に突きつけるものの方が受けるのでしょう。まぁ、それに対して僕らが”否定”する余地はないのでしょうけど、何かもうちょっと物事に対する”真の価値観”とは何ぞや?というものを感じられるようになって欲しいのは確かですね。何というか、もう少し”美的感覚”を身に付けて欲しいです。
  1. 2005/04/30(土) 23:40:58|
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メロディあっての音楽①

僕の事実上の音楽的な”ルーツ”は、”70年代ニューミュージックシーン”にあります。僕が、小学校2~3年生頃で、それまでの”アイドル”とも”演歌”とも違う”第三勢力”がこの頃に”大挙”して現れました。まぁ、その”下地”はもっと前にありましたけど、本当の意味で”表舞台”に出てきたのはこの頃でしょう。
アリス、ゴダイゴ、ツイスト、渡辺真知子、サーカス、さだまさし、八神純子、クリスタルキング、そしてサザン・オールスターズ。彼らが当時の歌番組の”筆頭株”であった「ザ・ベストテン」の”常連”達で、その頃”ランキング”はしていても”テレビ出演”を拒絶していたのが中島みゆき、矢沢永吉、オフコース、松任谷由美、甲斐バンド、そして松山千春です。いずれにしても、当時はこれだけの”実力者”が集まった”一大ムーブメント”があった訳で、その頃に”成長過程”にあった僕としては誇るべき”音楽シーン”であった事は間違いありません。
皆、”メロディ””歌唱力””音楽性”を重視しており、それだけでなく”歌詞”もまた多くの人々の心に残るものだったのです。こういったものが僕にとっては”音楽”なんですよ。

その後、再びたのきん、聖子、明菜、キョンキョンらの”アイドルシーン”に逆戻りしてしまいましたが、80年代中頃にBOΦWY、レベッカ、TMネットワーク、久保田敏伸、渡辺美里、プリンセス・プリンセスといった”元祖J-POP勢”が台頭。かつての”ニューミュージック勢”よりも”ポップ性””ルックス”を重視したものでした。そして、これが現在の”J-POP”に到っている事は言うまでもなく、やがて”売れ戦至上主義”へ向かっていた事も事実。
そういった動きの”反動”によって世に現れたのが、ブルーハーツ、ジュン・スカイ・ウォーカーズといった”ビートパンク勢”、それからフライング・キッズ、たまといった”イカ天バンド勢”、これらが世に言う”バンドブーム”です。確かに、彼らはこれまでの”日本音楽史”においては常に”端っこ”を歩かされていた音楽です。いや、はっきり言って”音楽”として認められなかったものです。しかし、この頃になると、この手のバンド、アーティストが瞬く間に”勢い”をつけてきた訳です。さしずめ、日本における”パンクブーム”といっても過言ではなかったでしょう。

でも、実際”パンクブーム”と”バンドブーム”は全く別の特徴をもった”シーン”である事は事実。本物の”パンクブーム”は、あくまでも当時のイギリスの”不況”というものが背景にあり、職の持てない若者、あるいは若い労働者の間で瞬く間に”支持”を得たものだったのに対し、”バンドブーム”の方は、むしろ”バブル”の末期に起こったもので、物資は豊かなれど、”核家族化”、”両親共働き”、”詰め込み教育”などで心がすさんでいた当時の若者達の”心の隙間”を埋める材料となったものでした。ただ、ここで”疑問”に思うのは、こういったものを一つの”音楽”という枠で扱うべきなのかどうか?という事なんです。どちらの”ブーム”にしても「ロックは誰でも出来るもの。」「ロックは特定の人間のものじゃない!」そういった”メッセージ”があったのは確かでしょう。しかし、”プロ”として活動する場合は、当然それなりの”資質”が求められる訳で、”なんでもあり”という訳には行かなくなるのも確かなのです。でも、”バンドブーム”を境に日本の”音楽業界”はそういった”ハードル”を取っ払ってしまいました。若者に受けて、それが売れるならそれに超した事はない、こんな”思想”が定着してしまった結果、日本から”本物のロック”が事実上消えてしまったのは言うまでもありません。それに嫌気がさした僕は、その後弟の影響で、次第に”ハードロック/へヴィメタル/プログレ”へとはまっていくのです。しかし、同時にその頃日本でもXという”メタル系ビジュアルバンド?”の到来によって、次第に例の”バンドブーム”に”終止符”が打たれる事になります。

でもって、現在の日本音楽シーン”、は”アイドル”をも統合してしまった”J-POP勢”を中心に、”ヒップホップ””ストリートフォーク””青春パンク”などの”インディーズ系音楽”とが入れ替わり立ち代りで”シーン”を作っている状況。いずれにしても、若者を対象にした”CD売上至上主義”に走っているのは言うまでもない。でも、その中でも元ちとせ、一青窈ら”オリエンタルポップ?”、平原綾香等の”実力者”も輩出されています。今、個人的に”一押し”なのは柴田淳。彼女もまた、”70年代ニューミュージック”の”遺伝子”を受け継ぐアーティストです。
やはり、”音楽”に重要なのは”歌詞”より前に”曲”なんです。”メロディ”こそ音楽の”基本”です。ですから、もう少しこういった部分に”焦点”を絞って欲しい!
  1. 2005/04/30(土) 23:39:49|
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日本を沸かせた外人レスラー③ 大型ファイター

”外人レスラー”の中でも、見るからに”強い”と感じさせたレスラーこそ”大型パワーファイター”に他ならない。ただ、”大型ファイター”と言えど、”ピン”から”キリ”まである。ただ”デカい”というだけで、”体”若しくは”力”まかせの”大型レスラー”が山ほどいた事は確かだ。しかし、その中でも”上手さ”も兼ね備えた者こそ、真の”大物レスラー”になれた事は言うまでもない。
ブルーザー・ブロディ、スタン・ハンセン、アンドレ・ザ・ジャイアント、ハルク・ホーガン・・・、彼らは日本でも有名な”大型ファイター”の代表格と言っていい。しかも、彼らは事実上ここ”日本”でビッグになったと言っても過言ではない。それゆえか、彼らの多くは”世界チャンピオン”には中々手が届かなかったのだ。”プロモーター”と喧嘩して団体追われたり、”チャンピオン”になったと思いきや、いろいろと”難癖”をつけられ”幻の王者”となったり、と”強すぎた”ゆえに”世界のベルト”には恵まれなかった。
そんな中、初めて”世界のベルト”を巻いたのが、猪木を倒して”初代IWGP王者”となり、やがてニューヨークの”WWF”に移籍し、当時の王者アイアン・シークを破り”第12代WWFヘビー級(後に”世界”の文字が復活)王者”となったハルク・ホーガン。以来四年間もベルトを保持し、しかも五度も”王者”に君臨している。その後、”WCW”転身後も、リック・フレアーを破り”王者”となっている。2団体の”世界王者”となっているのだ。ホーガンがここまで”ビッグレスラー”になる事が出来たのも、新日本プロレス、そしてアントニオ猪木のおかげと言っても過言ではないと思う。アメリカでもその”実力”が認められていたアントニオ猪木を”実力世界一決定戦”と謳われた”第一回IWGP決勝戦”で破った功績はいかに大きかったか、という事がハンセン、ブロディ、アンドレとの”差”につながったのではなかろうか。確かに、理由はそれだけでなく、当時の猪木とWWFとの関係によるものもあっただろうし、その頃父から”WWFオーナー”の座を譲り受けたビンス・マクマホンJrが、”他団体(NWA、AWA)”のような”伝統”や”権限”にしがみつく方針をとらず、素直にホーガンを”スター”として売り出し”経営拡大”を図った事も、”世界王者ハルク・ホーガン”の誕生につながるだろう。その後の、NWA、AWAの”失墜”もこういったWWFの”新戦略”が要因になっているのではなかろうか。
ホーガンが”第一回IWGP”で猪木を”アックスボンバー”で葬った際、猪木が下を出して動けなくなったシーンは本当に”衝撃的”だった。今となっては、「あの状態で”失神”はありえない。」とか「ホーガンに”華”を持たせる為の”大芝居”だ。」だの言われているが、それでもあの”アックスボンバー”の威力は”本物”だったし、仮に”ヤラセ”だったとしたら、”第一回IWGP”という”大舞台”では、何が起ころうとも猪木が優勝しなくてはおかしい。いずれにしても、その時の”優勝者”が猪木ではなくホーガンだった、と言う事自体が”快挙”である、と言うべきではなかろうか。

日本のファンに度肝を抜かせた”大型外人レスラー”としては上げられるのは、まず身長188cm、体重304㎏の兄ベニーと、身長188cm、体重292㎏のマクガイヤー兄弟、それからバスを引っ張る、といった”デモンストレーション”で名を轟かせたグレート・アントニオ。そして、身長223cmという馬場をも超える”大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントである。
アンドレは、ただの”怪物レスラー”に留まらず、その後も”日本マット常連外人”として、日本のファンにも親しまれた、”名実”を共にした”大物レスラー”であろう。彼は、ただ”デカい”だけのレスラーではなく、”下地”のしっかり出来ていたレスラーであった事は間違いない。彼がリングに入場してくる際、実況の古舘アナが「一人民族大移動」と叫んでいたのが非情に印象深い。彼の入場は、まさに”民族移動”そのものだった。また、彼がトップロープを軽々とまたぐ姿もこれまた印象深い。
そして、”第1回IWGPトーナメント”でのスタン・ハンセンとの試合は”壮絶”なものがあった。ハンセンがあの”大巨人”を”ボディスラム”でマットに叩き付けた際には、「リングが壊れるのでは!?」と、誰もが心配したようだ。
しかし、”’86IWGP王座決定リーグ戦決勝戦”において、猪木と”一騎打ち”の末、”変形腕固め”によって”不敗神話”に終わりを遂げた訳である。
その後、”ジャイアントマシーン”→”WWF”→”全日移籍”を経て、’93年地元パリにて”急性心不全”の為この世を去ったのである。

スタン・ハンセンとブルーザー・ブロディ。共に、”全日本プロレス”を代表する”大物外人”であり、また”プライベート”でも”親友同士”であった。
”超ミラクルパワーコンビ”として、”PWFタッグ王者”に君臨するなどの”名タッグチーム”である傍ら、”シングル”の方でもかなりの”強者”であった。

スタン・ハンセンは、事実上”新日本プロレス”、いやはっきり言ってしまえば”アントニオ猪木”に育てられたと言っても過言ではない選手だ。ブルーノ・サンマルチノの”首”をへし折った、と言われる事件で彼は一躍”有名”となり、やがて”新日マット”で猪木から”NWF”のベルトを奪うなどの”好勝負”を繰り広げ、またアンドレ・ザ・ジャイアントとの”超度迫力”の試合もやってのけた。
やがて、”親友”のブロディから勧誘される、という形で”全日本”へ移籍すると、”シングル”では、馬場から”PWF”のベルトを奪い、”タッグ”でもブロディと共に”初代PWFタッグ王者”となる。
ブロディの”新日移籍”後は、”タッグ”ではテッド・デビアスを新たな”パートナー”として迎え、やはり”PWFタッグ王者”に君臨し、シングルでは馬場に奪い返された”PWF”のベルトを再び取り戻し、更にはリック・マーテルを破って”第35代AWA世界ヘビー級王者”にも君臨する。しかし、彼に叶う相手は他にはおらず、結局”プロモーター”の陰謀によって、理不尽にも”剥奪”されるのである。
その後も、ハンセンは”全日本マット”を主戦場に、”外人エース”として大いに暴れまくった訳だが、’01年、膝の悪化を理由に現役を引退した。しかし、その後”PWF会長”として”プロレス界”には復帰。馬場、鶴田亡き後、今の全日を”陰”で見守る”唯一”の存在であろう。

一方、ブルーザー・ブロディはというと、”表向き”には大きな”実績”はあまり残してはいないが、事実上”外人最強”と謳われるレスラーである事は事実であろう。彼が何故表立った”実績”を残せなかったか?、というとそのあまりもの”強さ”と”プライドの高さ”によるものであろう。それによって、多くの”プロモーター”と”トラブル”をおこし、各地を転々としていたからだ。だから、何度も”NWA世界王者”に成りかけのに、いろいろと”クレーム”をつけられ”幻の王者”に終わってしまうのである。
日本では、初めは”全日マット”の”エース外人”として猛威を振るっていた。”インターナショナルヘビー級”のベルトを三度巻き、鶴田、天龍との”好勝負”を広げ、”タッグ”の方でもハンセンとの”ミラクルパワーコンビ”で、”世界最強タッグ”に優勝したり、”初代PWFタッグ”のベルトも獲得した。
しかし、’86年突如”新日マット”に乱入。”電撃移籍”。そして、猪木との”直接対決”では、結局”決着”が着かず、同年の暮れの”IWGPタッグリーグ戦”の”決勝戦”をボイコット。その後、一度だけ”新日マット”に復帰したが、結局は途中でボイコット。理由は、「提示したギャラが金額通りに支払われていない」との事。その”真相”は良くわからないが、当時の”台所事情”からすれば全日の方が遥に上であったろう。そこら辺の”両団体”の”ギャラ”の違いも関係していたのであろう。
ブルーザー・ブロディの言うレスラーは、とにかく”プライド”の高い事で有名。それが、様々な団体、プロモーターとの”トラブル”を引き起こし、それによって”米マット”では中々”チャンス”に恵まれず、日本やローカルエリアを”主戦場”にせざるを得なくなったのだろう。こうした、彼の”性格”が災いして、’88年7月、プエルトリコ遠征中、地元のレスラー、ホセ・ゴンザレスが”八百長試合”を申し入れた事で口論になり、ホセにナイフでさされ、そのまま”帰らぬ人”となった。享年39歳。実はこの事件には”裏”があると言われていて、その”殺人現場”を目撃したというあるレスラーの証言によれば「複数犯による犯行。」との事。その”真相”は定かではないが、いずれにしてもプエルトリコの”プロモーター”との”トラブル”が原因である事は確かであろう。

ブロディ亡き後の”大型外人”はというと、全日では、テリー・ゴディ、そしてスティーブ・ウィリアムスが、新日では、クラッシャー・バンバン・ビガロ、ビッグバン・ベイダー、そしてスコット・ノートンが、それぞれ”外人エース”となる訳だが、次第に”日本人同士”のカードが多くなる中、次第にこうした”外人エース”も”脇”に追いやられていくようになってしまった。でも、やはり”強さ”を見るからに体言しているのは”日本人”ではなく”外人”。近年”プロレス”に代わって台頭してきた”K-1””PRIDE”等の格闘技も、”トップクラス”と呼ばれる選手はもっぱら外人。こういった部分も、ここ最近”プロレス人気”が”格闘技人気”に押されてしまっている要因とも言える。
しかし、現在では”武藤体制”の全日本プロレスが、”元WWE”の選手を多く招聘。再び、”日本人VS外人”の抗争を築く事が出来、更に今では”外人抗争”にも発展。やはり、”大型外人”がいてこそ”強いプロレス””凄いプロレス”を感じるのは事実。この勢いで、かつての勢いを取り戻して欲しい!
  1. 2005/04/29(金) 22:39:40|
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日本を沸かせた外人レスラー② 実力派

外人レスラーの中には、”日本プロレス界”に多大な影響を与えた”実力派”の存在を無視する事は出来ない。
所謂”三大世界ヘビー級王者”には君臨しなかったものの、”真の実力者”として、”日本プロレス界”特に”新日本プロレス”に多大な影響をもたらしたのが、かの”神様”カールゴッチである。彼は、アントニオ猪木のもう一人の”師”と言っても過言ではなく、”新日ストロングスタイル”の大元と言えるのではなかろうか。彼の”代表的”な技である”ジャーマン・スープレックス”は、もはや日本人レスラーなら誰しもやる技である。その後、彼の”イズム”は、新日にから枝分かれした前田、藤原らが旗揚げした”UWF”の方へ受け継がれるのである。
”新日スタイル=ゴッチ流”であれば、全日の”レスリングスタイル”に大きく関わったのはドリーとテリーの”ザ・ファンクス”に他ならない。どちらかと言えば”新日=テクニック”に対して、”全日=パワー”というイメージが強いが、その中でも”全日流テクニック”をもたらしたのは他ならぬファンクスと言えよう。”ゴッチ流レスリング”が技術をつなぎ合わせていくものであるのに対して、そこに”粘っこさ”を加えたのが”ファンクス流”と言えるだろう。兄弟揃って”世界最高峰のベルト”と謳われた”NWA世界ヘビー級王者”に君臨した彼らは、”日本マット”での人気はとにかく絶大で、特に弟テリーの人気は”親衛隊”や”チアガール”が出来るほどだった。また、スタン・ハンセンやテッド・デビアスら”全日常連外人”も元々は彼らの”弟子”に当たる。

猪木との”名勝負”を繰り広げたレスラーは数多く存在した。”日プロ時代”にフルタイム戦ったドリーファンクJrもその一人であるが、”新日時代”に同じく”60分フルタイム”をやってのけたレスラーこそかのビル・ロビンソン。この試合は、”名勝負”と呼ばれる試合の中でもおそらく”3本指”に入る試合であろう。この試合も、”新日ストロングスタイル”の原点にある試合だ。当時は、”全日=アメリカンスタイル”に対して”新日=ヨーロピアンスタイル”だったと言えよう。
ロビンソンの”全日移籍”後、その”ヨーロピアンスタイル”を新日マットに持ち込んだのは、”ヨーロッパ最強”と謳われたローランド・ボック。彼も猪木と”名勝負”を繰り広げた一人。彼との攻防も”ストロングスタイル”の基盤になっているはずだ。
”アメリカ勢”では、新日マットに初めて”三大世界ヘビー級王座”の一つである”WWWF(後のWWF→WWE)ヘビー級”のベルトを持ち込んだボブ・バックランド。彼も猪木と”好勝負”を繰り広げ、初期の”新日外人常連外人”として、藤波ら当時の若い選手に対して多大な影響を与えた選手ではないだろうか。

ディック・マードックも、”日本マット界”に大きく貢献した選手の一人と言えよう。
彼は、”テクニシャン”というより”ラフファイター”と呼んだ方がいい。彼の”十八番”である”カーフブランディング(仔牛の焼印押し)、頭から首を捻らすようにマットに叩き落す”ブレーンバスター”、レフェリーの隙を突いた鼻っ柱への”パンチ攻撃”等、結構荒っぽい技を得意としていた。しかしながら、”グランドテクニック”もしっかりしていた選手でもあった。
初めは、ダスティ・ローデスと”テキサス・アウトローズ”というチームを結成して”喧嘩さながら”のファイトぶりで暴れまくっており、その後アドリアン・アドニスとの”マンハッタン・トルネード”として新日マットを主戦場にしていた。全日のハンセン&ブロディの”ミラクルパワーコンビ”の”対抗馬”的存在ではなかっただろうか。
それから、ホーガン、ブロディ、アンドレら”新日大物外人”が去った後、このマードックこそ”最後の砦”だった事は確か。しかし、そのマードックもいつしか”新日マット”には来なくなり、気付いたら”FMW”へ上がっていて、そして、しばらく立った後”帰らぬ人”となってしまった・・・。

今、日米問わず”実力派外人レスラー”と呼ばれる選手は殆どいないだろう。まぁ、”パワーファイター”とは言いがたい”実力者”は確かに存在するが、かつての精鋭達のような”味”のあるレスラーは殆どいないといっても過言ではないだろう。まぁ、それに近いのが、今NOAHマットで活躍しており”GHCタッグ王者”に君臨しているダグ・ウィリアムスという選手がいるが、いかんせん”地味”なレスラーである為、”インパクト”にかけるのも事実。されど、今”PRIDE”や”K-1”に押されている”プロレス”にこのような”実力派外人レスラー”は”必要不可欠”だろう。「プロレスとは何ぞや?」というものをこういった選手にもう一度訴えかけてもらいたい!
  1. 2005/04/29(金) 22:29:14|
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日本を沸かせた外人レスラー① 世界チャンピオン

今の”日本プロレス界”には、所謂”世界チャンピオン”の姿を見る事はない。”WWF”の興行的成功により、団体が拡大化。やがて、多くの”大物レスラー”を吸収。一方、他の2大勢力”NWA””AWA”はというと、NWAはノースカロライナのクロケット派を買収したWCWと対立、やがて”分裂”する事によって”NWA王座”の看板は地に落ち、今や一介の”ローカル団体”に成り下がってしまった。AWAの方も”創始者”バーン・ガニアの”独裁体制”の元、徐々に選手が離れていき、やがて”崩壊”するに到った訳である。そして、NWAから独立したWCWも、経営面の問題からか、ABCTVに買収される事になり、やがてはWWFに吸収される。そして、”巨大化”したWWFは全米で広大な”マーケット”を展開するようになり、その後団体名も”WWE”と改名して今日に到っている訳である。
今や日本では見る事が出来なくなった”世界チャンピオン”。しかし、かつては彼らも”日本プロレス界”に大いに貢献していたのである。

一番最初に日本に来た”世界チャンピオン”は、当時の”第40代NWA世界ヘビー級チャンピオン”ルーテーズ。1957年に”初来日”し、力道山と”名勝負”を繰り広げ、日本に”その名”を轟かせた。次に、猪木と”フルタイム”で戦い、王座を防衛した第46代王者ドリー・ファンクJr。その後、”MrNWA””Mrプロレス”ハーリー・レイス→ジャック・ブリスコへと移行、この”両者”の攻防の後、ドリーの弟テリーも”第51代NWA世界王者”となる。やがてブリスコが返り咲くと、その後馬場が”日本人初”の”NWA王者(第49代、第55代、第57代)”となる。そして、”NWAベルト”はハーリー・レイスの”代名詞”となり第47代、第52代、第54代、第56代、第58代、第60代、第63代・・・と通算7度も載冠した訳だが、そこへ立ちはだかったのが”狂乱の貴公子”リック・フレアー。やがてベルトはフレアーの手に。彼も、第62代、第64代、第66代、第68代、第70代、第72代、第74代、第78代・・・と通算8度も”戴冠”している。そして、NWAとWCWが”分裂”するまで、ベルトはほぼフレアーの”虎の子”と化した。
フレアーは、日本でも”タイトルマッチ”を多く行っているが、中でも当時若干24歳だった”鉄の爪一家期待の星”ケリー・フォン・エリックに奪われたベルトを奪還したり、”新日本マット”でも、藤波とタイトルを賭けて戦い、藤波が”幻の王者”となるも、”NWAルール”によってそれが覆された事でファンの”失笑”を買った事もある。

AWAの方は、その”創始者”バーン・ガニアが1970年国際プロレスに初来日。以降長い間”王者”として君臨し、やがて時代はニック・ボックウィンクル(第28代、第30代、第32代)へと移る。”ダーティー・チャンピオン”と呼ばれ、負けそうになると、必ず”反則”をして防衛する、といった”ルール以内”であれば手段も辞さない防衛をしてきた。そこで、こうした汚いやり方に業を煮やした全日サイドは、急遽”PWFルール”を適用して、鶴田との対戦を要求する。それが功を奏してか、”バックドロップホールド”で見事ベルトを奪取(第33代)。その後リック・マーテルを経て、スタン・ハンセンが”第35第王者”に君臨する。しかし、ハンセンがあまりにも強すぎるせいか、AWAのプロモーターはいろいろ”難癖”をつけて醜い”剥奪劇”を行うのである。この”事件”を境に、”AWAベルト”の権威は失落し、やがて”団体崩壊”へとつながるのである。
”WWF王者”は、”WWWF”と名乗っていた頃、ボブ・バックランドが”第8代王者”として”新日マット”に来日。その後、猪木が”王座”を奪取。しかし、再びバックランドに奪われた。後に、アイアン・シークを経て新日本が育てた”大物外人”ハルク・ホーガンの手に(第12代)。そのまま、暫く”不動の王者”となるが、ホーガンの活躍により、WWFの”マーケット”は拡大し、”NWA脱退”により”世界”の文字を取り戻し、やがて新日本との契約も切れ、ホーガンを初めとする”大物外人”を一挙に独占する事となる。


その後は、NWAから独立した”WCW”から、レックス・ルガーが”王者”として来日したり、ここ最近では、ZERO-ONEとNWAとの提携により橋本が”王者”としてベルトを持ち帰ってきた、といったぐらいで、事実上、今の”日本マット”では所謂”世界三大ヘビー級王座”は見る事が出来なくなった訳である。各々の団体のベルト(IWGP、GHC、三冠等)を”頂点”としてやっている訳であるが、それにしても今の”日本プロレス界”に”世界”の文字が見られないのは非情に”寂しい”事態であろう。”PRIDE””K-1”等と比較されてしまう要因は、こういった部分にもあるのではなかろうか・・・。
  1. 2005/04/29(金) 22:10:16|
  2. プロレス|
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ブログ立ち上げました!

どうも、最近では”ホームページ”より”ブログ”の方が重宝されているようです。僕の”HP”もやや”限界”がきたかな?と思う今日この頃ですので、いくつかのBBS、カテゴリーを閉鎖・統合し、新たにこちらの”ブログ”の方へ書き込みたいと思います。

今後ともよろしくお願い致します。
  1. 2005/04/29(金) 21:13:07|
  2. お知らせ|
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  4. コメント:3

スーパーpsy野神

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